第98話 闇の来訪者V


 どうして煙突の傘はこんなに温かいの?


 見知らぬお宅の煙突にとぐろを巻いたシュルルは、そのとんがり帽子に頬を寄せてぼ~~~~っとしていた。


 薪は燃え尽き、余熱でぬくい。

 表面は錆でざらざら。決して肌触りが良いとは言えない銅板が、今はとてつもなく愛おしかった。


 ぽつり、ぽつりと、雨でも無いのにそこへ黒い跡が。


 一時は、発情した猫みたいな声が響かせていたシュルルも、ようよう落ち着きを取り戻したか、ハッと我に返ると、どこかで例の上着を落として来たらしく、ちょっとだけ素肌に夜風が冷たい気がした。


 じっと黒い染みを見つめる。


「……帰ろう……」


 そう言い聞かせる様に呟き、べこべこの傘の上で上体を起こす。

 見渡せば、一面に広がる煙突の群れ。

 3階建てがほとんどの町並みは不思議と統制がとれ、整然と月光に青白く浮かび上がっていた。


「どこへ?」


 呆けた様に、自分に問う。


 これじゃあ、お店、引き払わなきゃ……


 不思議と他人事の様に、それらがとても遠く感じられた。



「お嬢さん、行き先が無いのかい? だったら、私の所へ来るかね?」


 不意に愉悦を帯びた声が。

 と同時に生暖かな風が吹き、シュルルは、ああ見つかったかと思った。


「いいえ。知らない方のお誘いにすがる程、困ってはおりませんので」


「そうかね? そうは見えないのだがねぇ~」


 若く、年老いた、艶のある、それでいてしわがれた声。好ましくもあり、好ましくもなし。その不思議な響きに、シュルルは目を細めた。


 ほんの少し前には、自分以外誰も居なかった筈の屋上の縁に、ビロードの様な影が垂れ下がり、ゆらゆらと風を孕んでは大きくはためき、その中に赤く光るルビーの様な二つの瞳。縦に裂けた黒目が、人では無い事を雄弁に物語っていた。


 まあ、シュルルにしてみれば、この手の手合いは初めてでは無い。

 レイスにゴースト、ワイトにノーライフキング。そして、目の前に居るのは、如何にもバンパイアでございと言った感じだ。ダンジョンに潜れば、嫌でも遭遇する。


 さしずめ、この街でも人々の生き血を啜り、数々の悪行三昧といった処だろう。


 こっちが、こっちのいんぐりもんぐりで苦しんでいる所に、余計な奴が!



 肩をすくめ、ちょっとは驚いたとアピール。

 それでいて目線を逸らし、すげない素振りを。


「それで?」


「これは手厳しい。見たところ、恋のお悩みかな? 相談に乗って差し上げようではないか。さ、もっとこっちへ……」


 そう言うと、影そのものかの様な両の腕を高々と掲げ、見る間に月の光を遮り、黒い闇を増して見せ、ニヤリ。口を耳まで裂いてイヤらしく微笑む。


「さあ、もっとこっちへおいで~……」


 爛々と妖しくも輝く2つの瞳。視界より人の魂を蝕む魅了の眼光。にらにらと揺れる光は、確かな圧力を帯びてシュルルへと注がれた。

 が、その輝きが、何かに当たり、シュルルの周囲で球状に爆ぜて、小さな火花を散らす。

 シュルルが帯びた、認識阻害のリングが働き、干渉しているのだ。

 だが、ねちねちとした圧は感じる。


 それに、ぶちりとキレた。


「あのさあ!」


 ガっと煙突のレンガを素手で砕く。


「デリカシーってもんが無いの!?」


「お、おまっ!?」


 素早く左手首に巻いた魔法のスリングを手にし、砕いたレンガをぶんぶん回せば、それだけで淡い光が円を描いた。


「お呼びじゃ無いの!!」


 次には、ひゅんと唸って、2つの輝きがパンと弾け、むわっと何かの腐臭が。

 だが、そうまでなっても尚、そのねっとりとした嘲笑が。それは次第に高笑へと。


「何よ? あと、何発か食らいたいわけ? 変態?」


「いやいや、これは強烈な……今宵はなかなかに刺激的な夜ですな」


 飛び散った飛沫は、羽虫や蝙蝠となり、元の場所へと戻り出す。そして、数匹が背後からシュルルの首元へ。

 その瞬間、それらがばばっと燃え上がった。青白く。


「その生気、なかなかに……」


「うるさいわね! さっさと消えな! すり潰すぞ!」


 ガっと歯を剥いて威嚇するも、中々に油断ならぬ。

 こいつらは冒険者と一緒。一匹居たら十匹は潜んでいると思え。


「いやはや、これはこれは……」


 そう言いつつ、そいつは頭の無い体で恭しく一礼。これだからアンデットは!


 実に楽しそうな表情をぐにゅぐにゅと蠢かして作り直しながらも、左右不揃いな目を大きく見開いて、シュルルの顔をじっと見つめた。


「良いですな。簡単に篭絡出来ない所が実に素晴らしい!

 お名前をうかがっても宜しいですか?」


「冒険者、アンデット、ゴキブリに名乗る名はありません!!」


「ほ! これはこれは、冒険者ゴキブリと我々は同列ですか!?

 随分と嫌われたものですなぁ~。

 我々バンパイアにも、心というものがあるのですぞ」


 等と、えらく傷ついた風を装うので、ますますカチンと来た。


「間違えました! 冒険者は煮ても焼いても食えますし、ゴキブリだって死にそうに飢えたら口に出来るでしょう! でも、バンパイアは無理! 灰になって、畑の肥料くらいにしかなりませんし、育ちもええ、育ちも悪いに違いありません! 何なら、貴方で試して差し上げましょうか!? 結果をまとめて論文にして差し上げますわ!」


「ほほう。つまりは、私を庭木にして、いつでも傍に置きたいと、そうおっしゃる?

 これはこれは。バンパイア冥利に尽きるというものですなあ~」


「ぶ、ぶっ殺すぞ!!」


「いやあ~、残念無念。吾輩はもう死んでおります故~。

 お心には沿いかねますなぁ~」


「く、ああ言えばこういう! まったく! 食えない奴!」


「いやいやこれが案外いけるかも知れませんぞ。どうです? いっそ、お互い少しだけかじり合ってみれば? もしかしたら、恋の花咲く事もある?」


「あるかあっ! あり得ない!!」


「まあ、そうおっしゃらずに。1人寝はさぞお寂しいでしょう?

 吾輩の棺桶にご一緒しませんかな?

 夏は冷たく、心地よいですぞ」


「や、約束があります! 今夜は、もう! 1人には振られましたが、もうお1人は私を待っていてくれるの!! 間に合っておりますわ!!」


「あなたを振る!!?

 勿体ない……頭に海綿でも詰まってるんでしょうなあ~……

 まぁ、しかし~……今宵はそういう事でしたら……またお逢いしましょう」


「うえ?」


 相手が急に引くものだから、高ぶるシュルルは不意に肩透かしを食らったかの、変な寂しさを覚え、自分に腹が立った。

 そこまで、異性との会話に飢えていたとは。びっくり仰天の介。


 その、如何にも年を重ねた風のバンパイアは、余裕しゃくしゃくに羽ばたいて行く。

 本当に腹が立つ奴!


 思わず肩で息をし、尻尾でぺしぺし地団太を踏む。

 そして、しばらくすると妙に人恋しくなり、そそくさとその場を離れ、何となく、本当に何となく、港の方へと向かうのだった。


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