第91話 せんせい、それはせんせい
「ハックのバカ! スケベ!! へそ噛んで死んじゃえ!」
不意に甲高い怒声が響いたと思ったら、まるでカタパルトから射出されたかの様に、小柄な丘小人の身体がぽ~んと宙を舞い、綺麗な弧を描いて人が犇めく男湯にだっぱ~んと飛び込んだ。
「ぷほっ!? バッカ野郎! マジで死ぬトコだったぞ、こらぁっ!!」
「死ね、言ったんで御座るよ!」
着の身着のままずぶ濡れの丘小人、ハック分隊長殿は、無様にあがきながら何とか顔を出し怒鳴り返すが、当の相手は茹でタコみたいな顔であっかんべーとやたら細長い舌をぺろんと出し、そっぽを向いてさっさと母屋へ消えてしまった。
それを見送り、バツの悪い顔で周囲に申し訳ないと、片手で軽く拝む様にわびた。
「何だろうなぁ~、ちょっとからかった位でさあ!」
と、相手に聞こえる様に、わざと大きな声。
すると、それをたしなめる者がいた。
「おうよ……もちっと静かに願えませんかねえ、分隊長の旦那……」
「あ~ん?」
よくよく見れば、壁から滴り落ちる湯を頭に受け、顔面濡れわかめ状態のひょろりとした男が、呆けた顔で湯舟に腰かけ、納屋の壁を背を預けていた。
「なんでぇ。誰かと思ったら、この度めでたく団長さんに就任なさった、グリースさんじゃあ~あ~りませんか?」
「おうおうおう、これっぽっちもめでたくねえっての。
旦那にめでてぇなんて言われたら、ケツの穴がかゆくていけねぇやな」
へへへと笑うグリースに、顔をしかめたハックは濡れそぼった襟を正し、その横に座ってた団員を押しのけて座り込んだ。
「ふん。笑わせんなって。
うまい事、ここに住み込める段取りだってぇ~?
あの牛乳のカミさん、どうたらしこんだよ?」
「まさか。俺の純な想いが通じたってだけの事よ~。
それより、そちらさんは、随分ござるアネさんにご執心ってもっぱらの……」
と声を抑え、悪そうな笑みを浮かべてみせたグリースに、かなり大げさに嫌な顔でそっぽを向くハック。
「よせや~い。誰があんな田舎剣法娘を!
俺はな、親切心から都会の悪い男に騙されねぇ様に、ちょっと、ちょっとだけ教えてやってんだよぉ~……」
「それはご親切にどうも、で御座る!」
「げっ!?」
噂をすれば何とやら。
びっくりして、心臓から喉が飛び出す?想いのハックが振り向くと、そこに奴がいた。
鮮やかな青いワンピースの腰には黒い拵えの同田貫。手には何か布を何枚か持って、憮然とした表情で。
「ほら。いつまでもそんなくっさい服着て無いで、こっちによこすで御座る。
それと、これ。湯から出たら、身体拭く布と、き・が・え!」
「「「「「「「「「「ぷっ!」」」」」」」」」」
一斉に、10人くらいが吹き出し、慌てて変な顔のハックから目線を反らした。
「ば、バッカ野郎! 頼んでもねぇ事しやがって!」
「風邪ひいたとか言って、明日の約束すっぽかしたら酷いで御座るよ!
昼前には迎えに来る事!
良いで御座るね!?」
「お、おうよ……」
「「「「「「「「「「~~~~!!」」」」」」」」」」
ぎろり睨まれ、しぶしぶ服を脱ぎだすハックに、周囲の男達は、口元を押さえて悶絶寸前まで笑いを堪えるのだった。
◇
ガチャン!
陶器やガラスの砕ける音が、薄暗い室内に響き渡った。床に飛び散ったその欠片を、冒険者達は静かに見下ろしていた。
「どうゆー事だ!?
こんだけ雁首揃えて、逃げて来やがって!!
おう!? 『黒炎狼』はどうした!? 何がA級冒険者だ!!?」
ガンとどっしりとした執務机を蹴り飛ばし、冒険者ギルド長のフランキーは元々悪い顔色を更にどす黒くし、その脚を押さえてうずくまった。
「誰か! 誰か説明しろぉっ!!」
半ば哀願に近い絶叫に、ますます静まり返る冒険者達。
すると、おそるおそる手を挙げる者が。
「お、おお……言え。言ってくれ。俺を納得させてみろや……」
フランキーはよろける様に立ち上がると、荒れる息を整え、戸棚からグラスと酒瓶を取り出し、立ったままでなみなみと注ぎそれを口に運びかけて、ハッとなり机上へ戻した。
「で?」
後ろの方で縮こまっていた魔法使いの中から、『鉄G黒光り』のフエールが。サッと人の壁が割れ、自信無さげな怯える表情をありありと覗かせた。
「連中、ヤバイです。あれは詐欺師? いえいえ、とんでもない。あそこは賢者の塔の、しかも一番頭のおかしい幻術系の支部。関わっちゃいけません。何を考えてるか判らない。私なら近付かない。今すぐ、今回の仕事をキャンセルする事をお勧めします」
「出来るかっ!!」
思わず机の上のグラスと瓶を薙ぎ払ったフランキー。その砕ける音に、思いっきり顔をしかめた。
そして、その迸る感情をどうにか鎮め、フエールに向き直った。
「すまない。取り乱した」
「い、いいえ。判ります。このままだと……」
「ああ、悪獣会での良い笑いものだ。海賊ギルドや傭兵ギルドの連中が、ここぞとばかりに来るだろうさ。全く忌々しい……」
すると、各リーダーも口々に感想を寄せ合い始めた。
「全く手が出なかった。自分の動きが自分で無いかの様で。あれはまるで……」
「幻を相手にさせれてたのかすら実感が無い。あれはまるで……」
「あの剣術娘。普通では無い。ハック1人ならいざ知らず。不意打ちも良い所だ」
「正に変幻自在。あれも幻覚なのか? 通りの壁を、ボールの様に跳ねまわって」
フランキーはすっかり頭を抱えてしまった。これではまるで……
わいのわいの意見を述べ合っているが、これといった打開策は。次第に、上の階へと皆の目線が。
「何やら楽しい集まりの様で御座るな?」
不意に声をかけられ、全員の目線がサッと横の戸口へ。
掠れた、それでいて陰々と響くしわがれ声。
静かに扉が開き、その主が部屋へ足を踏み入れた瞬間、部屋の熱気がすうっと引いたかの錯覚を覚えた。
それは畏怖。
あるいは絶望。
それら暗い気配が体現したかの、青白い肌の男が1人。
この国の風俗とは少し違った、衣と帯。
「せ……せんせい……これは、せんせいの出る様な話じゃ……」
皆がそっと目線を反らす中、フランキーがその場で揉み手をする。
つうっと冷や汗が、垂れる感覚。
つーんと香る、酒と薬の甘ったるい匂い。
ずいっと扉を押して覗く黒い柄。
「珍しく五月蠅いではないか?
余程、面白い事があったと見ゆる。
上の階まで響いてきやる。
まあ1つ拙者に話してみるが良い。
その為に、この様な、やっかいな人斬り包丁使いを飼っておるのであろう?
く……くくくく……」
「いや、まあ。そうなんでございますが……へえ……
せんせいがお出ましになると、死人が片手じゃ足りないもので……」
そう言ってへいこらするフランキーから、男は部屋に居並ぶ冒険者達へ目線をぬらり流し見る。
「何だこやつらは?
使えぬ道具なら、拙者が……」
にや~り。
パチン。鯉口を切る音が響き、ほぼ同時にフランキーが吠えた。
「ヤメロー!!」
すうっと同田貫が鞘に戻る。
全員が、硬直したかにぴくりとも動けなかった。
すると、ぶぶぶという羽音と共に、1匹のハエが、くるくると舞い落ちた。片羽を失い、螺旋を描く様に。それを、皆で呆けた様に目で追った。
その様な有様に、男はさも嬉しそうに歪んだ笑みを浮かべ、数度頷いた。
「座興よ……
床を掃除する手が足りぬのであろう?
はっ! はぁ~っはっはっはっはっは!!!」
さも愉快とばかりに、身をよじっての高笑い。
それが唐突に、冷え冷えとした無表情に。
「笑え」
ただ、そう一言告げた。
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