樅の木

つぎはぎ

樅の木

 僕と彼女は互いに銃を向け合う。詳細な理由は不明だ。ただ彼女が敵だったというだけ。


「樅の木は聴いてるかしら?」


 僕たちは銃を向け合っているはずなのに彼女は旧友と会って最初の話題を振ってくるかのような口ぶりで話しかけてきた。


「うん。聴いてるよ君とあったあの日から。あの落ち着いた音色が僕の心にしみるよ」

「なら良かったわ。じゃあ今ここで樅の木を流していいかしら?」


 断る理由もないので僕はうなずく。そうすると彼女は携帯端末から大音量で樅の木を流し始めた。


「今日はあなたと会う最後の時だと思ったの。だからこれにこの曲をインストールしてきた」

「とても……幻想的だね。僕たちの最後に流すにはもってこいかもしれない」

「そうでしょう。こんな私でも最後には悲劇のヒロインを気取れるわ」


 彼女は乾いた笑みを僕に向ける。ただそれでも銃口はこちらから離さない。


「悲劇の……か。僕も君も命をたくさん奪ってきた。本当の悲劇は僕たちの足元にあるはずだよ」

「そうかしら? 私たちの足元の存在の死にはドラマがないわ。悲劇じゃなくてそれじゃただの胸糞よ」


 きっとそれは半分あってて半分違う。確かに僕たちからみたら彼らの存在にはドラマがない、だが当人からしてみればきっとドラマがあったのだろう。そのドラマの最後はあっけないものだったが。


「最後に……思い出話でもする?」

「僕らに過去はいらないだろう? それをみてるときっと僕たちは死んでしまうよ。罪に耐えきれなくなってね」

「そうね……ただ樅の木と一緒なら、この音色と一緒ならそういうことも話せるかなって思ったのよ。それに、きっと私はあなたを殺してもあなたに殺されても私は死んでいるわ」

「どうしてだい?」

「だって私はあなたとの過去を忘れたくないもの。もしあなたを殺せたとして、そのことを思い出さずにはいられないのよ。あなたを殺したことを悔いずにはいられないのよ」


 彼女の目からは涙が溢れていた。静かに、ただ静かに、樅の木の音色に合わせているかのように静かに涙を溢していた。


「そうか。それはきっと僕もだよ」

 

 気がついたら僕の目からも涙が溢れていた。


「そう。嬉しいわ」


 彼女はにこやかに笑う。ただその可愛らしい笑みも、樅の木の音色のせいで悲劇的な笑みに変わっていたが。


「私はこんなに悲しいのに、こんなに嬉しいのに、やっぱり声は震えないわね。私の声はただ平然と一直線」

「それはしょうがないよ。涙という機能は必要だけど、感情で声の抑揚を変える機能は必要ないからね。通信の時に声が感情に支配されて伝達内容が相手に伝わらなかったら大変だ」

「そうね。それに涙がでるといっても、これだけしか出ない。もし私の体がメンテナンスされてなかったらきっと大量の涙がでていたわ。そしてそれ以前にきっとこんなに大量に人を殺せなかった」

「そう……かもね」


 まるで悲劇のヒロイン。それを気取るかのように彼女は柔らかな笑みでそれを僕に訴える。そしてその悲劇の主人公である僕は彼女に笑いかける。


「最後に、この曲が終わる前にいいかしら?」

 

 彼女は相変わらず僕に銃口を向けたままこちらに歩いてくる。

 僕も銃口を彼女に向けたまま彼女へと歩き出す。

 そうして十数歩、互いにもう手で触れる位置に来た。この距離なら僕は彼女のその唇を奪うことも、少し控えめな乳房に触れることも、彼女の息の根を止めることもできるだろう。


「最後にあなたにキスをしていいかしら?」


 僕は肯定の意味としてうなずく。

 その瞬間彼女は僕の側頭部に銃口を押し付けながら僕に優しいキスをした。僕は彼女の側頭部に銃口を押し付けながらそのキスを受け入れた。


「ありがとう」


 キスをした後二歩下がると彼女は銃口を僕から自身の頭部に向けた。


「じゃあね」


 一つの銃声が響く。

 銃声が樅の木と重なり、やがて樅の木だけが残る。

 そしてその樅の木も音色が小さくなってゆく。

 この音色ももう枯れる。


「安らかに」


 僕はそう呟いて銃口で自分の頭部を撃ち抜いた。

 あたりには銃声だけが残り、

 樅の木は最後の時を迎えた。



  

                              樅の木『END』

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