第35話エピローグ・其の3

「そもそもあたし、本格ミステリーってあまり好きじゃないんですよねえ。凝りに凝った密室トリックやアリバイトリックなんて出されても『ああ、この作者は自分が頭がいいことをひけらかしたいんだな』とは思いますが……どうにもあたしはそう言うのは楽しめなくて」


 なんてことを言うんだ、この自称本格ミステリーの女神さまは。


「正直言いますと、あたし叙述トリックもあまり好きではなくて……最近は叙述トリックもやりつくされた感があって訳が分からない難解なものになってる気がするんですよね。一見様お断りと言うか」


「あんた、本格ミステリーの女神の癖に本格ミステリーが好きじゃないのか!」


「べつにあたしは本格ミステリーの女神じゃありませんよ。いや、そういう意味ではアラタさんのトリックはあたし好みでした。程よくわかりやすいと言うか。本格ミステリー好きなうるさ型が『稚拙なトリックだな』なんて笑い飛ばすくらいじゃないとあたしには理解できないと言いますか。怒らせたらごめんなさい。アラタさんのトリックはあたし的には良かったと言っているつもりでして」


 ???


「俺のトリックが稚拙だからこそいい? なんだそれ。本格ミステリーはトリックの巧みさがすべてじゃないか。それなのに……そもそも『本格ミステリーの女神じゃない』? だって自分で『あたしは本格ミステリーの女神』なんて自己紹介したじゃないか」


「いやですねえ、アラタさん。作中でも言ってたじゃないですか『鍵かっこの中の文章が事実とは限らない』って。『あたしが本格ミステリーの女神』て言うのは嘘でした。まあ、アラタさんをだました形になりますね。同じミステリー愛好家として勘弁してくださいな」


「じゃあ、あんたはなんの女神さまなんだ。いきなり俺の部屋にふわふわした存在としてやってきて、今は実体化してる。少なくとも普通の人間ではないだろう」


 俺の問いかけにかい子さんはしれっとして返事をした。


「ただのミステリー好きの女神ですよ。それも本格ミステリーよりは社会派ミステリーが好きな女神ですね」


「社会派ミステリー?」


「そう。あたしはトリックがどうとかいうよりも、犯人が犯行を行うに至った動機とかを楽しむたちなんですよねえ」


 社会派ミステリー。複雑な人間関係なんて数十年間にわたって引きこもっていた俺には書けないと思っていたから書くのを諦めたジャンルだ。そんなジャンルがお好きなのか、この女神さまは。


「そういう意味では、アラタさんの『十六角館の殺人』は非常に楽しめました。何十年館も引きこもり続けていろいろこじらせた人間がどんな妄想を抱いているか。それを実現できるとなったらどんな気持ちでうっぷんを晴らすのか。いや、これはもう……いい意味でひどいと言いますか。とにかくすごかったです」


「楽しんでもらったようでどうも」


 この女神さまは、俺に何のチート能力も与えてくれない女神さまは……俺が頭を絞って考えた暗号解読やダイイングメッセージは楽しまずに、俺の悶々とした思いを楽しんでいたって言うのか。


「いやあ、それにしてもアラタさんが犯人視点で進行させる『十六角館の殺人』はあたしとしては楽しめましたよ。なにせ、最初から犯人はアラタさんだと明示されているんですから。そのうえトリックもあらかじめ教えられているんですから。余計なトリックの推理に頭を悩ませることなく、真犯人であるアラタさんの鬱屈ぷりを楽しませてもらいました。これもあたしが本格ミステリーが好きではないからこそできた楽しみ方ですね」


 俺の思った通りだ。この女神さまは俺の不幸を楽しんでいただけなんだ。俺の『十六角館の殺人』を本格ミステリーとしては歯牙にもかけなかったんだ。


「一応、あたしが社会派ミステリーが好きってことはそれとなくにおわせていたんですけれどね、アラタさん。あたしが名乗ったやしろかい子って名前ですが、『やしろ』って名字はどんな漢字が使われていると思いますか?」


「それは……八つの代の八代やしろとかじゃないのか」


「違います。社会の『社』でやしろかい子です。普通は人に自己紹介されたら『どういう漢字を使われるんですか』なんて聞き返すものですよ。まあ、あたしとアラタさんの会話を文章として読んでいる誰かさんがいたとすれば『本格アラタに社かい子か。安直な名前だな』くらいにしか思わないでしょうが」


 社かい子! なんて安易なネーミング! 実体化したときの仮の名前だからってストレートすぎる! 新本格派にちなんだ俺の名前から着想して社会派ミステリーの『社会』から自分の仮名をつけたのか。


「そういうコミュニケーションを取れないところがアラタさんがこうなってしまった理由でしょうかねえ。いじめられるべくしていじめられて、引きこもるべくして引きこもったと言いますか……」


「黙れ! あんたはいったい何なんだ! 勝手にやってきて人の小説の欠点をあげつらうだけでなく、あげくの果てに人格攻撃まで」


 わめきちらす俺をかい子さんがなだめ始める。


「落ち着いて下さい、アラタさん。あたしはアラタさんの『十六角館の殺人』を本格ミステリーとしてはけなしましたがそれ以上に社会派ミステリーとして楽しんだと言ったじゃないですか。それに、アラタさんがこうして引きこもっていることも非難しているわけではありませんよ」


「嘘だ。いい歳をした中年の子供部屋おじさんをあざけりに来たんだろう」


「そりゃあ、アラタさんみたいに集団生活になじめないタイプにとって学校と言う場所は苦痛でしょう。それを笑う人間も大勢いたでしょう」


 よくわかってるじゃないか。さすが社会派ミステリーがお好きなだけはある。人間関係の機微をよくわかっていらっしゃるようで。


「ですが、それが悪いわけではありません。そうですね、アラタさんみたいなタイプは一昔前なら職人のところに弟子にされて、同じようなタイプの親方さんに『これをやっとけ』なんて言われたことをひたすらやり続けていたでしょうね。結果、無口だけれども腕はいい職人が誕生するわけです」


「そうかなあ。俺みたいなタイプはいつの時代いかなる場所でもこんな体たらくになっていたと思うけれども」


「そうですね。誰に言われなくても何万字もの文章を書き溜めるコツコツしたタイプの人間になっているでしょうね」

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