第2話 むかしむかしの綺麗な綺麗な出会い

「それでは失礼します」


 書類をやや汚してしまったことをわび、一礼してGは司令の前から立ち去ろうとした。司令は書類と共に、それまで自分の使っていたこの部屋の整理をもしていたところだった。

 いつもすまないね、と姿は若いこの第二世代の将官は、数世代下の彼に言葉をかけた。

 扉を開けると、Gは学生の頃のように廊下で待っていた友人に手を上げた。鷹はポケットに手を突っ込んだまま、壁にもたれさせていた背中をよ、と反動をつけて元に戻した。


「あんた何も、待っていなくとも良かったのに」

「俺が待っていたかったからなの。気にしない気にしない」


 そう言って鷹はひらひらとその大きな手を振った。それを見ながらややむきになってGは言い返す。


「そういう意味じゃあなくて」


 くす、と友人は笑う。じゃあどういう意味、と訊ねながら左側から肩を組んだ。右はよせ、と常々言う年下の友人に対する彼の無言の礼儀でもある。仏頂面になりながらも、促されるままGは歩き出した。


「こんにちは少佐がた」


 外見は彼らと変わらないがち、士官学校を出たばかりであろう初々しい下士官がにっこりと挨拶をする。一人二人… その度に鷹はやあ今日も元気だね綺麗だねと臆面もなく返していく。


「仲がいいのは結構だが職務に差し支えることはするなよ」


 言いながらも上官はそれ以上の注意もしない。知られたことだった。彼らはどちらも「とても優秀な士官」だったから…

 そんな外野の間をするするとすり抜けながら、あまり大きくない声で二人は話し続ける。


「あんたまだ任務中だろ?」

「うちの部隊もまだ作戦は発表されていないからね。今は体力を蓄えてる期間だろ、お互い」

「まあそうだけどさ。…今度の司令はどういう人なんだろ?あんたこんなとこに赴任しそうな将官を聞いたことあるか?」

「そうだな…」


 鷹は立ち止まった。唐突だったので、肩を組まれたままの彼は思わずつまずきそうになる。

 おっと、とそれを見て友人は、大きな手で彼を支えた。


「いきなり止まらないでくれよ!」

「ああごめんごめん。ちょっと気になることがあってさ」

「気になること?」

「その、今度の司令」


 友人は長い指を立てる。それなら彼も気になるところだった。

 前線とはいかないまでも、アンジェラスの本星から遠く離れたこの惑星マレエフの駐屯地くんだりまでやってくる将官はそうはいない。

 おそらくは数日中にこの地を発つだろうあの司令にしても、彼らが配属された時には既に長の年月をこの地で送っていた。そしてこの戦争が終わる時まで、それは変わらないと誰もが思っていたのだ。


「わざわざ『今』変わらなくちゃならないってことは、近々ここを中心とした大きな作戦行動が取られるってことなんだろうな…すると、どういう将官が来るんだろうな…」


 そうだろうな、とGも思う。そしてふと先ほど中尉と話していたことが頭をよぎった。


「レプリカの鎮圧でもしろっていうのかな…」

「え?」

「いや、独り言。でも司令ったって、誰だって同じさ。将官なんだろ?偉大なる第一世代か、聡明なる第二世代の誰かさんだろうさ」


 吐き捨てるように言うGに、鷹の顔は軽い驚きの色を浮かべる。

 それはひどく珍しいことだった。もう結構長いつきあいだが、この友人が、誰かのことをそう悪意を持って形容するのは聞いたことがなかったのだ。

 強烈な好意も示さない代わりに、強烈な悪意も示さないこの年下の友人は。


「何?」


 怪訝そうな顔で自分を見ている友人に気付き、Gは問いかける。鷹は手を伸ばすと、年下の友人の長い前髪に指を絡める。Gは軽く眉を寄せた。


「だから何だよ」

「…あんまりそういう物騒なことは口にするなよ?」

「物騒? 俺が?」


 彼は鼻で笑う。


「少なくとも、『偉大なる第一世代』のことをそういう風に大きな声では言うなよ。俺は、君が今度の司令ににらまれるのは嫌だからな」


 Gは軽く眉を寄せ――― 心配げな表情で自分を見る友人からふっと目をそらした。

 普段冗談めかしたことをあれこれ言うのだが、こういう所で本気を見せることはGもよく知っている。


「当たり前だろ?俺だって自分のことは可愛いもの」

「ならいいさ」


 だが内心はそう穏やかではなかった。

 いけないいけない、と彼は声に出さずにつぶやく。日頃考えていることというのは、ちょっとした気の緩みに、つい言葉になって出てしまうのだ。…困ったものだ。

 軍隊という組織の性格上、その役職の人数はピラミッド的である。上へ行く程人数は少なくなる。

 そしてアンジェラス星域の種族の性格上、そのピラミッドは同時に世代ピラミッドになることからは逃れられない。

 第七世代――― 彼らの認識の中では、本当にまだまだ子供と言っていい程の世代の彼らが軍という組織の中で、高位の士官や将官になることなど、夢のまた夢だった。何せ「死なない」のが、彼らの種族の性格なのだから。

 そして地位が上になればなる程、前線で死ぬ確率は少ない。下位の兵士は、上官をかばうように訓練されている。

 とは言え、何もGはこの軍内での出世を望んでいる訳ではない。

 彼自身、現在の地位は鷹と同じく少佐である。士官学校出のこの世代としては、かなり昇官も早い方である。それ自体は悪いことではない。別にそう大層なことを望んでいる訳ではないのだ。だが…

 そこで「だが」と思考の流れがつまずいてしまう。

 それが何故なのか自分でも判らなくて、彼はそんな自分を持て余してしまうのだ。


「あんまり考え込むなよ」


 鷹は、彼の左の肩をぽんと叩く。Gはその手を取って、右へ移した。ふっ、と年上の友人は口元を緩めた。



「…何処の局もやってないな」


 ベッドサイドに置いていたラジオのアンテナを伸ばすと、彼は手探りでダイヤルを回した。銀色の細いアンテナは、空に浮かぶ二つの月の光を反射してきらりと輝く。

 旧式のラジオは、空間の電波状態をいちいち自動的に整理することはない。

 特に時刻の違う地域や、大気圏外からの電波も飛んでくる時間帯にはそれが甚だしい。

 雨の音や、わななく鳥の声のようなノイズが、時々耳を刺すように、明るくはない部屋に飛び込んでくる。

 軍の備品なら当然だろう。民間用に「綺麗に」整理されたラジオでは、敵軍の電波を拾うこともできないのだから。

 そんな中から、彼は幾つかの民間放送を拾いだし、その内容に耳を傾けた。

 経済情報や、音楽番組や、詩を朗読している局、それに何処かの地下組織の革命放送の演説まであった。


「そりゃあそうだろう? そんなこといきなり民間に知れたら、何が起こるか判らない。このマレエフだけでもどれだけのレプリカが居ると思う?」

「特にここはスターライト財団の最大級の工場があるからね…」

「判ってるじゃないの」


 いつの間にか彼の個室に入ってきていた友人は、当たり前のように声をかけた。

 そして座る彼の前に立つと、くい、とその顎を上げさせる。慣れた友人の仕草に、Gは表情を変えることもなくあっさりと言葉を返す。


「常識でしょ。しかもマレエフの工場には、HLMの最大級の原料タンクがあるんだからさ」

「最大級。もしくは唯一。ここにしかない、ね。全く、いつの間にここに運び込んだのやら」


 そう言いながら友人の手は、顎から首へと回り、Gの長い黒い髪をまとめていたリボンをするり、と解く。

 それが合図の様に、彼は目を半分閉じる。

 髪をかきやりながら、鷹は彼の右の耳に何やら囁いた。

 途端に彼の身体から力が抜ける。軽く押されただけで、Gは自分の身体が落下していく感覚を味わう。

 こんな関係は、もう結構長いものだった。士官学校の頃からであるから、もうどの位になるだろう。

 出会った時には、ただの先輩と後輩だった。それが幾つかの季節を過ぎた時、友人になった。



 きっかけは、士官学校がお祭り騒ぎの準備に追われていたことだった。

 戦争中の軍隊とは言え、毎日が毎日、戦闘に明け暮れている訳ではない。何かしら祖先の祝祭日には上官を説得してお祭り騒ぎをしようと試みるのが通例である。

 それはその下にある士官学校にしても同じだった。いや、実戦に出ることがない学校の生徒なら、なお当然だったとも言える。

 誰もが皆、戦争に出て死ぬ可能性を当然と思っているくせに、その傍らで、お祭りで浮かれ騒ぐこともまた当然だと考えていた。

 そんな浮かれ騒ぎの雰囲気の中で、Gは成りゆきで合唱隊のピアノの伴奏を引き受けることとなってしまった。たまたま母星の故郷に居た頃に修練していたピアノの腕を買われたのである。

 何でここで合唱隊なんだ、と考えたところで始まらない。他の同期生に誰もピアノを弾ける者がいなかったこともあり、彼は結局伴奏を引き受けてしまった。

 そしてそこで、顔はともかく、名前までは覚えてはいなかった上級生と出会ったのだ。

 果たしてそれが偶然であったのかどうかは彼には判らない。相手を知らなかった当時も、知っている現在も。


 その時期の放課後、彼は個人練習と称してそう大きくもない宿舎の娯楽室を占領してピアノを弾いていた。

 時間はそう長くは取れなかった。他の生徒が外で準備に追われている間だけ。押しつけられたような役割なのに、そのあたりの規則は守らなくてはならないのがやや理不尽に感じられる。

 さすがに士官学校に入ってからはずっと弾いていなかったので、ピアノを弾く指もやや鈍っていた。するといきおい、練習に励む手も熱心になり、集中した耳は外の音も聞こえにくくなる。


 だから、その時彼は、心臓が止まるかと思った。


 その上級生は、何の前触れもなくやってきた。

 音も立てずに娯楽室を横切り、アプライトのピアノを弾く彼の右横に立った。

 弾かれたように顔を上げた彼は、しばらく集中していたせいか、そこに立っていたのが、顔しか知らない上級生だというのを思い出すのにやや時間がかかった。

 そんな彼に、上級生はああそうか、という顔をした。そういう態度を示す者には見覚えがあったらしい。


「何の用ですか?」


 ややぶっきらぼうに彼は訊いた。

 頭の接続の切り替えが上手くいかないのか、表情が堅くなっていることは、彼自身気付いていた。だが気にするような性格でもなかった。

 上級生は、それに気付いてか気付かずか、努めて親切な口調で彼に話しかけた。


「実は先日、俺は用事があって歌の練習に出られなかったんだ」


 上級生は、そう言ってピアノの上にあった楽譜の、一番上のパートを指し、俺はここね、と付け足した。


「一応読めるけどね、ちゃんと覚えたいから、弾いてくれないかな?」。


 ああ…、とうなづきながら、ようやくやや落ち着いた彼は、言われる通りに、上級生が指した譜面のメロディをたどった。歌う側に合わせた、メロディつきの伴奏を彼の指は奏でる。それはそう難しいことではない。

 二小節ばかり進んだところで、上級生は、歌い始めた。

 だがその次の瞬間、彼の両肩はぴくん、と何の前触れもなく上がった。

 電気が走ったような感触が、確かにあった。そしてその電気が、自分の右半身から力を脱けさせるのを。

 全身が硬直した。手が止まった。


「…どうしたんだ?」


 上級生は、突然手を止めた後輩に、軽く姿勢を落とし、顔をのぞきこむようにして、右側から訊ねた。

 彼は慌てて飛び跳ねるようにして顔を上げ、椅子から立ち上がり、上級生から退いた。上級生は不機嫌半分、怪訝そうな顔半分で後輩を軽くにらんだ。


「何か俺が悪いことをしたのか?」


 彼は慌てて首を横に振った。違う。確かにそれは違うのだ。


「じゃあ何だよ」


 上級生は迫った。だが彼自身、何がなんだか、自分に何が起こったのかさっぱり判らないので、とにかく後ずさりするしかなかったのだ。

 そして気が付いたら、壁ぎわに追いつめられていた。もともとアプライトのピアノは部屋の隅にあった。

 気付いたのか気付かないのか、上級生は右の手を上げ、壁と自分の間に彼を挟み込むようにして接近して問いつめていた。

 そして幾つかの問いが、彼の中に飛び込んだ。そのたびにその声は、彼の中に入り込み、かき回した。

 彼はその問いに、ただ頭を振るばかりだった。

 だが、さすがにそこまでされれば、彼も何故自分が訳の判らない状態になっているのか、気付くことができた。


「…あなたの声が悪いんだ」


 何度かの上級生の問いの果てに、彼は消え入りそうな声で告げた。

 すると上級生は、彼の顎に手をのばすと、くっと自分の方へ向けさせた。彼は息を呑んだ。

 視線が合う。

 混乱と恐怖、そしてそんな醜態を見せたことに対する羞恥のせいか、彼の目はやや潤んでいた。

 その表情には、さすがに上級生も心動かされるものがあったらしい。やや大きすぎるくらいの目が、こころもち細められた。


「…俺の声が?」


 彼はうなづいた。視線が、離せない。

 そして続けた。

 とにかく何かしら、本当のことを言わなくては、この上級生が自分に何をするか判らないような気が彼にはしていた。


「…あなたの声が耳に入ると、僕は何やら訳が判らなくなるんだ」


 それは本当だった。上級生はそれを聞くと、軽く首を傾げ、ふうん、と言いたげな顔になった。


「俺の声が?」


 上級生は確かめるかのように彼に問いかけた。

 掴まれたままの顔ではうなづくこともできない。大きな手は、軽く掴んでいるだけのようなのに、彼の自由を完全に奪っていた。彼の中で不安が高まった。それはほとんど初めて味わう感覚だった。

 ところが、不意にその左手の長い指は、つ、と僅かに耳の方へと移動した。その途端、そんなつもりはないのに、彼の口が軽く開き、目が細められた。

 喉の中から、声が細く漏れる。

 長い指は、そのまま彼の首筋をすべり、鎖骨のあたりまでたどりつくと、不意に離れた。


「じゃあ仕方ないね」


 くす、と上級生は笑い、壁についていた手を離した。

 ふっと自分の周りの気温が下がるのを彼は感じていた。それほど接近していたことに、彼はようやく気がついた。

 はあ、と彼は大きく息をついた。ずる、と背中が壁にへばりついたまま落ちていくのを感じながら、緊張が解けるのを感じていた。

 そしてその元凶は、あはは、と笑いながら上着のポケットに手を突っ込んでその部屋から出ていった。

 Gは全身で安堵した。

 額から背中から汗が一気に吹き出すのを感じていた。何が起こったのか、頭は一気に整理しようと努力を始めていた。

 そして、それだけで済んでほしい、と彼は思った。

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