90 新たな同居人

「え……? この子アーネストって言うの……?」


 私もマルスも処刑どころのホールに留まったまま、もう少し詳しく話を聞くことにしたんだけど、私はちょっとどころか完全に衝撃の面持ちでテーブルの向こうに腰かけている男の子を見つめた。

 ザックが気を利かせて牛乳を用意してあげて、今はそれを美味しそうに飲んでいる。

 その子の隣にはザックが座って、私の横にはマルスがいる。

 咽が渇いていたのか、微笑ましいくらいに一生懸命に牛乳を飲んでいた木のコップから顔を上げたその子は、口回りを白くしたままぺろりと嘗め取るのも忘れたように、私のほぼ凝視って言っていい眼差しにヒクリとたじろいで首を竦めた。


「自分がどこから来たのか、家も両親も誰か近しかった相手も覚えていないようだが、唯一自分の名前だけは覚えていたようだ」


 既に直接彼から話を聞いていたザックの説明に、私は「よりにもよってその名前かっ!」って内心で嘆いてげっそりしちゃったわ。

 だってアーネストって、ねえ……?


「ふう……アーネストってこの国には多い名前なのかしら」


 独り言としてぼそりと呟いた声を聞き取ったマルスが「アーネストなら仲間にもいたし、追い剥いだ獲物にもたまにいた」と裏付けをくれた。いやいやちょっと獲物って言い方!

 リアルにエグいマルスの台詞にザックは苦笑し、アーネストだか君は「お、追い剥ぎ……?」と青い顔になる。


「ちょっとマルス、小さな子を怖がらせてどうするの」

「ついさっきあんたも似たようにさせてた」


 はい面目次第もございません。


 ですがショタ、いいえ乙女道に罪はありませんわ!


「あれは……萌えよ、萌え」

「そういうのは程々にした方がいい」

「……ソウデスネー」


 真面目なマルスはちょっと窘めるような目をして横の私から前へと視線を戻す。もうね、マルスも私への遠慮とかないわよね。ズケズケよね。

 私も私で咳払いをして、改めてアーネストだか君……いやもう腹括るか、アーネスト君を見やった。私としてはアーネストちゃんでも全然いいんだけど。


 彼はそもそも吸血被害には遭っていなかったみたい。


 じゃあどうして女性と一緒に昏倒していたのかって話になるけど、その答えは未だ不明。


 警備隊の方もまさかこんな小さな子が犯人のわけはないって見解と、女性の「犯人は少なくとも私より背が高かった」って証言からも、この子は事件とは無関係だってわかったから、すんなりザックに身柄を預けてくれたらしいわ。

 因みに犯人の性別に関しては、犯行時に声は聞いていないらしく同じ女性の可能性も男性の可能性もあって絞れないとのこと。現状進展なしね。

 ところでどうしてザックがわざわざ彼を連れ帰って来たのかって言うと、この通り記憶障害でしょ、ザックが連れて来なければ王都警備隊の方で救貧院に送られていたからだって。

 救貧院って言うのは孤児だったり家庭環境に問題のある子たちの面倒を見てくれる施設で、だけどザックいわく「花の王都にあってもその待遇は必ずしも快適とは言えない」そう。

 気の毒に思って、彼の身元が明らかになるまでだろうけど、面倒を見るって警備隊の方に提案したらしいわ。ザック的には処刑どころの居候が二人から三人に増えようと大して変わらないって思ったみたい。ま、賑やかになっていいわよね。


「ねえアーネスト君、本当に名前以外は何も思い出せないの?」


 アーネスト君がこくりと子供特有の細い小首を頷かせる。

 肩まである髪の毛がさらさらと揺れて、ホント冗談じゃなく女の子みたいに可愛いわ。まつげだって長いし。

 彼は眉尻を下げてしょんぼりしちゃったけど、お姉さんはあなたを責めているわけじゃないのよ。安心して~!


「そう縮こまらなくてもいい。リズは叱っているわけじゃない」


 見兼ねたマルスがわざわざテーブルに身を乗り出して慰めるように頭を撫でようとしたけど、アーネスト君はビクッと大きく肩を震わせて身を引いて、そのまま俯いちゃったわ。

 マルスは特に気を悪くした様子もなく、加えて無理に撫でようともしなかった。

 遠慮したとかじゃなく、好きにさせるって言うか見守るような眼差しだったから、案外子供好きだったりするのかもしれない。

 まあ、彼の友達だった風の小精霊はサイズ的には人外だったけど、幼い男の子の見た目だったし、その影響もあるのかしら。


 因みにあの小精霊の話は……うんまあまた今度で。


 反対に私は私でアーネスト君の口回りの牛乳がどうにもこうにも気になっちゃって、腕を伸ばしてハンカチで強引に拭き取った。やっぱりパッチリ目を瞠ってやや驚いたように固まったわね。

 見知らぬ人間たちに囲まれて緊張しているんだろうけど、私は見ていて何となく、彼は無自覚にも根本的な部分で他者を拒絶している気がした。


「とりあえず大まかな事情はそういうことだ。事後承諾にはなるが、二人もこの子の世話を頼むよ。きっとわしだけでは諸々の目が行き届かないことも多いだろうしな」


 若干居住まいを正してのザックの言葉に、私もマルスも揃って承諾に頷いた。


「アーネスト君、よろしくね。私は……――リズよ」

「マルス」

「ちょっとちょっと固有名詞だけ過ぎ。アーネスト君が不思議そうにしてるじゃないの」

「……僕の名前はマルスだ」


 肘で小突いて言い直させれば、アーネスト君は「あ、はい。それはわかりました」って申し訳なさそうに小さな声で呟いたけど、何だ理解していたのね。

 じゃあどうして不思議そうにしていたのかしら。


「どうかしたの?」

「ええと……うーん?」


 小さな眉間に一つしわを寄せて小首を傾げる様が年相応で萌えるけど、彼は何だかどこか腑に落ちないような顔をしている。


 だけど彼自身にもその理由がわからないようだった。


 まあ色々と戸惑うことも多いだろうけど、それもきっと一緒に過ごすうちに徐々に慣れていくんじゃないかしらね。ただ、そんなに長くここにいるよりも早くこの子の家族が見つかると良いとは思う。


 今夜はもう時間も遅かったし、マルスと同じ部屋に彼の寝床を準備してあげて処刑どころはようやく長い一日を終えた。


 ……ただね~、本音を言えば私が一緒に寝てあげたかったわ。だけどマルスが駄目だって渋い顔で釘を刺してきたから諦めた。でも失礼しちゃうわね、私そんな危ない変態じゃないわよ。ふにふにほっぺを撫で繰り回してスカートとか穿かせちゃう程度よ。

 そう抗議したらそれが駄目だって怒られたわ。ええーん。


 とにかくそんなこんなだったけど、気を取り直して自室に戻ってそばかすメイクを落とすと、やっと私なりの一息をつけた。

 唯一この部屋だけがありのままの自分でいられる場所だわ。

 新同居人が加わるのに際して、私は念のため大きめの卓上鏡を部屋に持ち込んだ。ザックの奥さんの鏡台は別の部屋だしここの共同姿見になっていたから独占はできない。卓上鏡なら支障ないだろうってわけで、これまたザックの奥さんのを借りたのよね。


「これからは日常生活にももっと慎重にならないといけないわ」


 アーネスト君に私の素顔は明かせないもの。勿論本名も。


 彼の前でも気を抜かず野暮娘リズでいる。


 マルスは既にそう気を回してくれていたし、ザックも私が敢えてリズって自己紹介したのを聞いていたからその点は察してくれたみたい。お客の居ない時はアイリスって呼んでくれていたけど、これからはもうリズ呼び一本に変えてくれると思う。

 だってねえ、子供の口から情報漏洩って展開はよくあるでしょ。

 お父さんお母さんの恥ずかしい家庭内での秘密を、子供たちがテレビの前であっさり喋っちゃったってバラエティ番組を見た事もあるし、一般的にもそういう話って珍しくないと思うもの。

 どこでどんな足が付くかわからない以上、隠すのが最善よね。


「日記もそう思うわよね?」


 卓上鏡を置いた机の前に座っていた私は、身を捻ってベッドの枕元へと目を向ける。そこには真夜中に何かあってもいつでも持って逃げられるようにって、日記が置いてある。

 期待して待ったけど、声は返らない。


「全くもう、無口が過ぎてもモテないわよ?」


 やっぱりまだ、日記は帰って来ない。

 フン、上等じゃないの。こちとら長期戦だって覚悟の上だもの。

 それでも気付いたら唇を噛みしめていた。頭を振ってネガティブ思考を追い出して軽く吐息を落としてから、私は就寝に向けての支度を始めた。

 そんなわけで、翌朝からは自室でそばかすメイクをして部屋を出るのが当たり前になった。





「お、お待たせしました」


 その日も、処刑どころでは居候その三のアーネスト君がせっせと足を動かして料理の載ったトレーをお客さんのテーブルに運んでいた。今は昼時で食堂営業中だ。


 若い女性や奥様方からは可愛い可愛いって言われて愛でられそうになるんだけど、やっぱり彼は人の接触接近を好まないみたいね。料理を運んだ相手からその手の気配を感じると、逃げるようにそそくさと店の奥に引っ込んでしまう。

 普通に距離を保って話しかける分には変に緊張しないで会話もできるし笑ったりもするから、引っ込み思案ともちょっと違うのよね。難しいお年頃なのかしら~。


 それで、どうして彼までお店に出ているのかって言うと、うちに来た翌日の昼間、今日みたいに私もマルスも給仕の仕事をしていたんだけど、アーネスト君がホールを覗きに来たの。


 おやつも出したし、天才なのか文字ももう読めるって言うから本でも読んでいればいいのに、わざわざホールにやって来た。

 最初は退屈で遊び相手が欲しいのかしらって思ったけど、彼は私が思うよりも大人だった。


『どうしたの? お腹空いた? あ、おやつ嫌いなやつだった?』

『えっ、ちち違います。美味しかったです』

『そう? 部屋でゆっくりしていていいのに……って、あーもしかしてここの仕事が気になるの? 邪魔にならない所で見学していてもいいわよ』


 たまたま折よく手が空いたから声を掛ければ安堵した彼はだけど、こっちを見上げて眼差しに何か必死そうな色を浮かべた。


『あのあの、見学というか、働かざる者食うべからずって言いますよね。だから、働きます!』

『小さいのに偉いわアーネスト君! でも本当に好きに寛いでくれてていいのよ』

『は、働かせて下さい! ……やっぱりこんな子供は役に立たないから駄目ですか? できることは何でもやります。ですからどうか働かせて下さい。お願いしますっ!』


 彼は祈るみたいに両指を合わせて組んでぎゅっと両目を閉じた。力んだせいか他の理由かは知らないけど小さな肩が微かに震えていた。ちょっと予想外な反応をされて呆気に取られちゃったわ。


『リズお姉さん、駄目ですか?』

『――くぅっ!』


 やや不安そうに見上げてくる揺れる彼の金色の瞳。究極の可愛いを見せられて私は思いっきり萌え……ううんたじろいだ。仕事中なのをうっかり忘れそうになったわよ。


『えっとー、ここのボスはザックだから彼に訊いてみるわね』

『はいっ! 宜しくお願いします!』


 結果、ザックは特に長く考えるでもなくあっさり許可をくれた。だからアーネスト君もお店を手伝って、その対価としてここに住まわせてもらっているって扱いになった。

 だけど私が見た感じ、何かして役に立たなければ……って、まるで強迫観念のようなものに追い詰められているようにも見えたっけ。


 頑張っている姿は微笑ましい。


 だけど同時に痛々しいって思っちゃったのはどうしてかしら。


 私は敢えて何も気付かないふりをして、アーネスト君を出来る限りサポートしてあげたいって思ったわ。

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