87 噛み合わないタイミング

「ほー……、何事もなくて幸いでしたね」

「んだな」


 賑わう処刑どころの店内で、壁際のテーブル席に腰掛ける男二人が各々の安堵を声に乗せた。大した騒動にならずに済んだ一部始終を見ていたのだ。


 何処にでもいる労働者の恰好をした二人は共に二十代半ばで、片方は眼鏡を掛けている。


 彼らは本日の仕事を終えてたまたまこの日この店を訪れた客で、暴れた男同様に初めて来た口だった。仲裁や何らかの助力をする必要もなく収束したのは予想外ではあったが、身を挺した功労者とも言える黒髪のそばかす少女へと彼らは内心で拍手を送っていた。

 ただ、黒髪の少年が少女を案じてだろう店の奥に連れて行ったので、もしや怪我を……とちょっと心配ではあったが。


「お、良かった良かった奥から出てきたべ」


 快活そうな雰囲気のツンツン短髪の青年が店の奥から出てきた二人に気付いた。

 その声に促され眼鏡を掛けた大人しそうな雰囲気の青年の方も目を向ける。こちらは長髪を緩く結って肩から垂らしている。短髪の彼が武官とすれば長髪の彼は文官と言うような好対照な取り合わせの二人だ。

 眼鏡の彼はジッと目を凝らすように黒髪の少年を見やったまま、眼鏡のツルを指先で抓んで位置を調節した。


「どしたのや?」


 田舎出身の短髪の青年が訛り全開で訊ねれば、眼鏡の青年は半ば感心しているような小さな唸りを咽の奥で発した。


「いえその、他人の空似とまではいきませんけれど、あの少年はどこかボスに似ていると思いませんか? 店に入って一目見てそう感じたんですよね」

「あーそれな! オラも思った思った。ボスの兄弟って言われても納得だべ。ま~公爵様は奥方一筋で隠し子なんぞをこさえるような方じゃねえから、関係ないんだろうけどな」

「それは当然でしょう」


 注文取りや給仕を再開し忙しく動き回っている少年を眺めたまま、二人はうんうんと頷いた。


「おっそだそだ、帰ってからじゃ面倒だからついでにここで定時報告すっか」

「はー……。あなたはそうやっていつも怠慢なんですから。それでは最早定時ではないでしょうに」

「だってオラ今夜確実に酔って部屋に帰るべ? んでベッドに倒れ込むべ? そんで一回でも目を閉じて次に開けたら、ハイお天道さんお早うございますだ。面倒っつーよりか不可能なんだべ。んナハハ!」

「……」


 呆れて物も言えないような顔でやれやれと嘆息する眼鏡の青年は、やむなく相棒の提案を受け入れた。説教するだけ時間の無駄だからだ。

 それぞれに支給された通信石を懐から取り出して、二人分の酒と料理が並ぶ木のテーブルの上に置く。

 どちらの物もおはじきの形状をした設置特化型ではなく携帯に便利な球状の物だ。それらと対になる石が彼らのボスの元にはある。

 そしてこれはまだまだ庶民には高価な物なのでほとんど浸透はしていない。しかしながら持てば誰にでも使える汎用品なので魔法使いでなくとも使う事ができる。


「んじゃオラからな」

「はいはい」


 準備と言う程でもない準備が整うと彼らは順序良く今は遠方にいる彼らのボスへと報告を行った。

 王都入り前に取り決めていた報告時刻よりだいぶ早かったが、ボスは時間が空いていたのか通信に応じてくれたのは幸いだった。

 魔法石に触れながら短髪の青年が陽気に本日も成果のなかった旨を報告をしている傍らで、眼鏡の青年は少年に声を掛け追加の注文をお願いした。

 少しして、眼鏡の彼も同僚と同じく取り立てて進展のなかった自らの報告を終えようかという頃注文した料理が運ばれてきた。


「――お待たせしました」


 少年ではなくそばかす少女がそう丁寧に言って皿を静かに置いた。


「どうもありがとう」


 通信石から手を離したばかりだった彼が軽く微笑むと、営業スマイルなのかもしれないが少女もにこりとしてくれた。

 彼女はリズと呼ばれていた。

 その笑みはほとんど口元しか見えなかったが、青年二人は思わずじっと彼女を見つめてしまっていた。

 何かどこか彼女の野暮ったさが作り物めいて見えたのだ。

 ただ、それもすぐに酒場の喧騒に呑まれたように霧散してしまったが。


「冷めないうちに食べましょう」

「んだな」


 二人は同じような感覚を抱いていたとは露知らず、存外に美味しい料理に舌鼓を打つのだった。





 所はがらりと変わってマクガフィン公爵家の屋敷内。

 上質な調度の整ったとある一室では、王都の酒場で青年二人が報告をしていた相手――彼らのボスが通信終了と共に長椅子に背を凭れて天井を仰ぎ深い憂慮の溜息を落とした。


 ウィリアム・マクガフィンその人だ。


 二人は各地に派遣している人員の中でも王都方面の捜索を任せている配下だが、今日も一向に変わり映えしない報告内容に彼は落胆を禁じえなかった。

 アイリスが王都に居る可能性はどの地よりも低いと思ってはいても、報告の度に僅かなりでも希望を持ってしまうのだ。

 或いはもしかしたら王都に……と。

 それは決して王都に限った話ではなかったが、だからいちいち各地からの報告の度に失意に苛まれる。

 しかし気落ちしても気分だけだ。捜索の手は絶対に緩めない。

 不屈の精神と言えばそうかもしれない。


 土台、彼女を諦めるという選択肢はないのだ。


「にしても、最後の声は誰だったんだ……?」


 ――それではボス。また明日ご報告致します。


 今し方、いつも真面目で慇懃な眼鏡の青年配下はそう締め括った。

 ウィリアムも「引き続き頼む」と返して通信石から手を離そうとした。

 その時だ。


 ――お。


 向こうが先に魔法具から手を離したのだろう。

 通信を終えるのとほとんど同時に女性の声らしき声が紛れ込んだのだ。


 ただし、極めてぶつ切りの。


 お、という発音だけの。


「近い位置で聞こえたな。酒場に居るとは言っていたが、酒場は酒場でもまさか女性とのそういう系の酒場にいたのか?」


 短髪の方はともかく、いつも真面目な眼鏡の彼がそういう場に行くだろうかと疑問には思った。

 加えて、超難問イントロクイズのように女性の声は短過ぎてよく吟味もできず知っている声なのかどうかも判然としなかった。

 何となく気にはなったものの配下の色事にまでどうこう言うつもりのない彼は、まあ大して気に止める必要もないかと思い直し長椅子にごろりと体を投げ出すように寝転ぶと目元に腕を乗せた。


「もういい加減、さっさと出て来い……」


 視界が暗くなればより鮮やかに眼裏に浮かんで来るのは二つの姿。

 南川美琴とアイリス・ローゼンバーグ。


「さっさと…………」


 密やかな懇願には、夜の進行と共に深度を増していく恋しさと孤独感が滲んでいた。





 深夜、煉瓦の建物が密集する狭い路地から見上げた細い夜空は今日も変わらずこの地上を平等に見守っている。天に奇跡や加護を願うも無情と嘆くも罵るもそこに介在するのはいつも人間の事情だ。ただ空は善も悪もなくて、何もしない。

 私はと言えば、ああ星が綺麗だなーってのんびりした思考で仰いでぐんと腕を伸ばして背伸びした。


「ふう、今日も何とか無事仕事終わり~! マルスが酔っぱらいのおじさんに絡まれた時はどうなるかって思ったけどね」

「ヒヤヒヤした」

「あ、やっぱりあなたでも肝を冷やすことってあるのね」

「いや、あんたが張り倒されたから」


 責任を感じてどんよりと自己嫌悪に陥るマルスは相変わらず表情が薄いけど、彼の感情は表情と反比例して意外にも豊かなんだってもう知ってる。


「あ、あー……心配掛けてホント悪かったわよ」


 このお店は酒場ではあるけど、それほど遅くまでは営業していない。

 実はお昼時に食堂も営んでいるからその兼ね合いもあるのよね。

 だから今日みたいに日付を跨ぐ日は珍しかった。

 ザックは翌日っていうかもう今日だけど……の下拵えに取りかかっていて、それが終わったら寝るって言ってたわ。まあこれも連日の流れだけどね。

 私とマルスは後片付けを終えたら後は厨房にザックを残して各自の時間が訪れるってわけ。まあ何にせよ深夜まで起きてなきゃならないのはお肌に大敵なんだけど生きるために贅沢は言ってられないわ。


 今は洗い物を済ませてマルスと一緒に店の裏口近くにあるごみ回収箱に生ごみを出した所だった。


 変装もしているしマルスもいるし店からそう離れてもいないしで、まさか吸血犯に襲われはしないだろうと私は普通に深夜のごみ出しを敢行している。

 隣を歩くマルスも私に倣って天を仰いで、一日の終わりのホッと一息なのか軽く息を吐き出した。眼差しは解放感からか穏やかだ。

 こうして静かな路地を二人でゆっくり歩いているとこの夜空の下で事件が起きているなんて嘘みたいだわって思う。まあここはもう道に慣れたご近所だし私一人で居るんじゃないから危機感もなくそう思うのかもしれないけど。


 もう少しで店の裏口って所まで来た時、しかしそんな私の勝手な安心感を砕く夜闇を引き裂くような悲鳴が聞こえた。


 ――きゃあああああ!


 どこか別の路地から反響してきた甲高い叫び声に、私達は足を止めて全身に緊張を走らせる。

 一瞬にして心拍数が跳ね上がってドクドクと脈打ちざわりと肌が粟立つような感覚に見舞われる。それはマルスも同じだったかもしれない。


「今の声は尋常じゃないわよね。たぶん女性のだし、路上で痴話喧嘩ってレベルじゃない。行ってみましょ!」


 気を引き締めて駆け出そうとした私の腕をけれどマルスが掴んで止めた。

 彼は言葉を喋る前にふるふると横に速く小さく首を振ってみせる。

 駄目だ行くなって意思表示だ。


「僕が見てくるから、あんたは店の中に入ってろ」


 やや急いたように荒く言い置いて駆け出そうとするもんだから今度はこっちから腕を掴んで引き止めてやったわよ。


「一人は危険だわ。行くなら一緒によ」

「駄目だ。何が起きてるのかわからないんだ」

「だったら尚更二人でよ、マルス」


 彼はまだ何か反論しようとしたけど私がじっと真剣な目で睨むように見据えれば、今にも私の手を振り払おうとしていた肩から根負けしたように力を抜いた。


「わかった」

「じゃあ行きましょ」

「無茶は…」

「しないわよ。勿論そっちもね」

「……わかってる」


 互いに頷いて揃って駆け出した。

 だけど悲鳴は建物の壁に跳ね返って聞こえたものだから元の音がどこから来たのか突き止めるのは少し手間取った。早く見つけないとって焦りだけが募る。

 マルスと共に駆けながら左右手分けして幾つもの横道を覗き込んだりした。時間帯と事件のせいで暗く細い裏路地に人影はほぼ見えない。居たとしても酔漢で、座り込んで「う~ひっく」ってやってるわ。まあ明るい大通りなら多少はシラフが歩いているとは思うけど。

 私達の他は怖気付いているのかはたまた聞いていた人がいなかったのか、駆け付けようとしている人は他にはいないみたいだった。

 ここでもないそっちでもないってやってて少し息が切れた頃、


「リズ! 向こうだ!」


 マルスが叫んだ。

 先にその横道に駆け込む彼に置いて行かれないよう私も身を翻して急いで続く。


 そして、硬い地面に力なく横たわる若い女性ともう一人、彼女の傍に倒れ同じく意識を手放している小さな少年を見つけた。


 女性の方は普通に巷の婦女子が身に纏う外出着姿だったけど、彼女の家族なのか少年の身包みは何故かブカブカの黒い魔法使い用のローブだった。


 五歳か六歳か、年の頃はそのくらい。


 それとあと見事な金髪だったから、黒ローブと相まって嫌~な奴を思い出しちゃったわ。


 そう思ってからあんなのと一緒にしてごめんねって少年に心で謝ったけど。


 彼らの近くに寄って緊張の面持ちでマルスと顔を見合わせる私を、やっぱり夜空は慈悲も罰もなく見下ろしていた。

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