81 親子喧嘩は洞窟で1
マルスからはよくよく休めって言われて素直に従った。
質素でもきちんと寝床って言える場所で寝られるのはホント有難かった。
だけど見知らぬ場所で熟睡できるわけもなく夜中ふと目を覚ました。
……ベッドの傍に誰かが立っている。
黒い影にゾッとして危うく悲鳴を上げそうになって、でも寸での所で堪えたわ。
幸い蝋燭の明かりは遠い壁際に一つ申し訳程度にあるだけだったから私の微細な身じろぎは見えなかったみたいね。
慎重にもう一度薄目を開けて様子を窺えばとっくに暗さに慣れた目が相手の正体を捉えた。
マルスだった。
無言で佇む彼はじっと私を見下ろしていて、――その手には短剣を握っている。
ねねね寝首を掻かれる!?
相手がウィリアムの時とはまた違った味わいの戦慄に心臓がバクバクした。
だけど今動いたらそれこそジ・エンドだわ。
必死こいて呼吸を乱さないよう乱さないよう乱さないように~って気力と神経を総動員しながらも、彼が短剣を振り上げたら即刻飛び退けられるよう気構えをしつつ寝たふりをしたまま緊張に文字通り手に汗を握って彼の出方を窺う。
十秒、二十秒、一分、三分……くらいは経ったと思う。
……ええと一向に動きを見せないんだけど。
わざわざ人が寝入った頃合いを選んでこの洞窟まで来たからには目的があるはずよね。
それが私を殺す事だとは考えたくないけどねーアハハハー。
その時ポツリとマルスが小さな声を落とした。
「どうして……っ……」
彼は後はだんまりで、結局は短剣を仕舞うと何もせず踵を返して去っていった。
念のためたっぷり時間を置いてからゆっくりと身を起こす。
苦しそうな声だった。
悲しみも内包されていた。
「どうして……か。それはこっちの台詞だわよ」
彼にも事情があるんだろうけどそれは私に関係するの? 考えたってわからないから訊きたいけど、危険な詮索かもしれないと思えば複雑な後味の悪さだけが心に残った。
そんなスリリングな夜を越えてここに来て三日が経った。
夜中の不可解な出現は今の所一度きり。彼は私が知らないと思っているんだろう一切何もなかった顔をしている。
接してみてわかったけど彼は口数が少ない。必要最低限の会話しかしてないもの。無駄な会話はしない主義なのかしらね。だけど一度だけ「どうして崖から落ちて来たんだ」って好奇心からか訊いてきた。私が「追われた結果」とだけ告げて詳しく話すのを躊躇うとそれ以上は踏み込んで来なかったけどね。
私が穏やかじゃない事情を抱えている身なのは予想済みだったみたい。
……まあ崖から落ちて来た囚人服着た人間が普通じゃないのは誰が見たって明らかよね。
この日も夜が近付き外はもう暗く、洞窟内は蝋燭灯りだけが頼りだ。
こうやってまた夜が来ると心細さもひとしおで、私は卵を温める親鳥のように日記を懐に抱いたままベッドの上に丸まっていた。
日記は物言わないただの日記になった。
この先どうすればいいのか何一つわからない。先が見えない。何もやる気になれない。
「あんた、また残して……」
頃合いを見計らって夕食の食器を下げに来たのか、皿の上の食べ掛けの黒パンと木の実と余り減っていない何かの野鳥と野菜くずのスープを見たマルスは窘めてきた。
まあ表情は余り変わらなかったけど。
彼みたいなのとはババ抜きはしたくないわね。勝つか負けるかって大事な場面でこのポーカーフェイスだと全然わからないもの。
「ごめんなさい。後できちんと全部食べるわ。だからそれまで新しいのはいいから。本当だから、ね?」
相棒喪失の精神的ショックを引き摺っているせいで食事は余り咽を通らなかった。体力が戻るまでは図々しくもお世話になるつもりだったけど、摂るべき栄養をしっかりと摂っていないから当然戻るべき体力だって緩やか過ぎる右肩上がり。目標地点まではまだ遠い感じだわ。きっと走ったらふらついてすぐにへばる。
こんなんじゃあ駄目だって思うのにやる気は全く浮上しない。
「この残りは僕が食べる」
「えっ、だからいいってば……あ……」
マルスは私の言葉を無視するように残りを口に運んだ。
後でまた来た時に埋め合わせのように軽食を持って来てくれるんだと思う。今日の昼食までもそうだった。食べ物が大事なのはわかるけど、私の食べ掛けを躊躇なく口にしちゃう所は残しているって後ろめたさ以前に何だか照れ臭い。日本だと鍋を一緒につつくのも嫌がる人っているしマルスはそういうのはないのかしら。
じっと見ていたら表情は薄いながらも怪訝そうにされた。何か言いたいなら言ってくれとの無言の促しを感じる。
「いえね、そのー、私の食べ掛けなのに抵抗ないのかなーと」
「抵抗? 何の? このまま置いておくと食べられる物も傷んで無駄になるかもしれないから、あんたの『後で食べる』って言葉に従うのには抵抗がある」
「あ……あー、うんそうよね。残してごめんなさい」
私の気にしてる点ってここでは我が儘で贅沢な感覚なんだって改めて反省した。
接してみてわかったけどこの子って結構世話焼きでもあるわよね。育った環境のせいか野生的でもある。私には過剰な手当てをしてくれるくせに自分の傷には無頓着っていうか、嘗めときゃ治るみたいなぞんざいな扱いなんだもの。
枝に引っ掛けたって言う腕の傷が痛そうだったから見兼ねた私が私の手当ての際に逆に無理やり薬を塗ってやったらびっくりしていたわ。
ああそうそうマルスってばてっきり私と同じかちょっと上かなって思ってたら、何と二つも年下だったのよね。
弟分みたいで、だから余計に傷を見兼ねちゃったのかもしれない。
それにしても十四歳って、ニコルちゃんと一緒じゃないのよ。
ほんの一つ共通点を思い出しただけで会いたくなった。ニコルちゃんは勿論、皆は、ウィリアムは、どうしてるかな。
今回も結局はマルスに始末をしてもらう形になった夕食の空き皿を申し訳ない心地で眺めていると、
「……泣きたいなら、いくら大泣きしたってこっちは気にしない」
マルスがポツリと言った。
「え?」
「我慢してるのは体に悪い」
日記の事情を知らないながらも私が随分と気落ちしているのはわかってそう言ってくれたんだろう。
「誰しも
「いやいやいや四つもな……」
……くはないかも。だって私はアイリス・ローゼンバーグなんだものねー。
黙り込んでしまえば少年は食器を纏めて手に持った。
「どんな事情があるにしろ、僕にあんたを助けたことを後悔させるな。次の食事はきちんと食べろ。体のためにも。後で別の食べ易そうな物を見繕って持ってくる」
「あ、うん。ありがとう」
わかってはいても耳に痛い言葉だった。しかもこの流れだと次のをお残ししたらちょっと怖いわね。洞窟の通路を遠ざかっていく彼の背を見送って、私はぐいーっと自分の頬を引っ張る。
「しっかりしなさいアイリス・ローゼンバーグ! 何のために逃げて来たわけよあなたは? ニコルちゃん達だってどうなってるかわからないし、向こうだって心配してるに決まってるのに何を一人で腐ってるのよ!」
自らを叱咤して、そして膝の上の日記を見つめる。
日記を言い訳にしていた自分に嫌気が差す。さっさと体力戻して再起を目指しながら、日記が戻る方法も一緒に探せばいいだけの話じゃない。
きっとどうにか生き返らせる方法があるはずよ。神様の振り子がどう動くかはわからないけど、どれだけ掛かってもそのいつかが来る時まで日記も希望も手放さなければいいのよ。私のNPCだからじゃなく、日記とまた軽口を言い合ったりしたいから。
「ここ数日はごめん。でも待っててよ日記。きっとあなたを復活させてみせるわ」
再出発は体調管理からってわけで、私はマルスが戻ってくるまで軽い運動でもして待っていようと日記ダンベルを開始した。
まあだけど体力ないし程なく腕が上がらなくなって休憩する羽目になった。
「ふぅ~疲れたぁ~。マルスが戻って来るまでちょっとこのままでいよ」
日記を卓の上に置いてその上に突っ伏して息を整えているうちに、段々うとうととしてきた。最終的には日記の上に顎を置いたその姿勢のままちょっとは居眠りしたのかもしれない。
カタンと音がして、その前置きのない唐突さにふっと意識が覚醒した。
マルス……?
瞼を押し上げゆるりと首を巡らせれば、そこにいたのは黒髪の少年マルス……じゃなかった。
相手は既に卓の傍に立っていて思いのほか距離が近く、私は冷水でも浴びせられた気分で飛び起きた。
「だ、誰!?」
私の誰何には答えず、卓に置かれていた水差しの水を豪快に呷ったその相手は、ざんばらな黒髪の男。
見た感じ年齢はローゼンバーグ伯爵世代。筋骨隆々かつ動物の毛皮を巻いた粗野な感じの出で立ちからして山賊の一人に違いない。
ああああどうしよう見つかったーっ。今ここには私たけでマルスはいないし、非常にまずいのではないでしょーかっ?
「はは~あなるほどなあ。かなりの
男はにやりとして不精髭の生えた顎を撫で摩りながら身を屈めてまじまじと私の顔を見つめてくる。
ひ~~~~っ、お、襲われる!
「マ、マルス君には大変お世話になっております!」
叫ぶとか逃げるとかしないとって焦って日記を盾にしたけど、その末に出てきたのはそんな台詞だった。
男は一度キョトンとして、次に爆笑した。
「っは! ハハハハ! ハハハハハハ! 面白え嬢ちゃんだぜ。ぶるぶる震えてか細い声でも出すかと思いきや、肝が据わってんな! どうだこの際山賊ならないか?」
「え……ええとー……どうでしょう」
断ったら逆上されそうで曖昧な返答しか出て来ない。
私ってば悪役令嬢の次は山賊令嬢になっちゃうかも……?
男は「ん~?」とより近くで私の目を覗き込んでくる。
その黒々とした瞳に怖気付いてうっかり目を泳がせた時だった。
「親父殿!」
軽食を手に持ったマルスが珍しく血相を変えて駆け込んできた。
え、親父殿?
じゃあ何、この人マルスのお父さん!?
マルスは乱暴に卓に皿を置くと、私とその男性の間に入って私を背に庇った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます