76 処刑場にて3

 あんの金髪ロン毛野郎~~っっ!

 声を飛ばしてきたんだもの、今だって絶対にどっかからこっちを見ているはずだわ。

 しかも何よ「詰まらない」ですって?

 どこがーーーーっ!


「大体、こっちは詰まる詰まらないって話じゃないってのよ!」


 急に怒り出し意味不明な言葉を吐く私に、固定具から解放してくれるために傍まで来ていた兵士達は煩わしげな目をした。


「アイリス……?」


 ウィリアムが眉を寄せ何らかの魔法的な気配を察したのか一歩を踏み出す。


 刹那、依然首を固定されたままのギロチンから、ブツリ、と何かが切れる嫌な音が聞こえた。


「縄がっ!」


 誰かがそう叫んだ。

 だと思ったーーーーっ!

 何らかの原因で――ってアーネストに決まってる!――その大きな刃を固定していた縄が突然切れて私の首を落とす予定だった鋭い刃が滑り落ちてくる。

 絶望的な摩擦音が聞こえる。

 声帯までもが凍り付き悲鳴も出なかった。

 どよめく広場の観衆たちの方が一旦処刑なしだと心構えを解かれたせいか悲鳴染みた声を上げる。


 うそーッマジで死……っぬ!?


「アイリス!」

「駄目!」


 声は同時。

 思考も含めてここまで一秒にも満たなかったと思う。

 咄嗟に動いたウィリアムへと、きっと魔法を使う気なんだって一瞬で見抜いて気付けば叫んでいたわ。

 私の予想外の剣幕にビクリとしたウィリアムが一瞬動きを鈍らせる。それで十分だった。

 私は大丈夫。こんな所じゃ死ねないもの!なんてのは強がりだけど、もう究極の賭けよ賭け。可か不可か。ロシアンルーレットなんて比じゃない死亡確率上等じゃない。不死鳥でも私の中の魔法の血でも何でもいいから私を助けて助けて助けてとにかく助けなさいよーーーーッ!!


 だけど確かに強張るうなじに冷たい刃が当たってピリリとした痛みを感じた。


 まるで人生の時計が止まったような感覚の中、スッと冷える心地がする。


 ああ、駄目だった……。


 でも死ぬのは嫌ーーーーッ!


 刹那、本当に時間にすれば瞬きすら冗長と言える儚い瞬刻の後、私の首と胴を真っ二つに分かつはずだった刃が硝子が割れるよりも余程音色に富んだ破裂音を立てて大きく粉砕した。


 爆砕とも言えるかも。


 しかも同様の末路を辿って断頭台の台座もろともまでが粉々に砕け散る。


 耳をつんざく爆裂音の余韻が依然鼓膜を震わせながらこの上なく瞠った私の両目の前を無数の欠片たちがパラパラと降っていく。

 広場には沢山の悲鳴が上がって人々が大きく驚愕と恐怖に慌てふためいている。

 一体何がどうなってギロチンが木っ端の如く細かに粉砕したのかわからないまま、ただただ私は頭の中が真っ白になって座り込む。


「ああ……処刑具が……」


 尻餅をついた処刑人のおじさんがどこか呆然として嘆いたのが聞こえて、どこかまだ遠かった現実が急激に手の中に落ちてくる。

 周囲を見やれば兵士達も爆風のせいなのか揃って尻餅をついていた。

 手の甲や顔なんかの彼らの剥き出しの皮膚には吹き飛んだギロチンの欠片や木材の破片が付けたんだろう裂傷が幾つも刻まれていて、幸い深手の人はいないみたいだけど痛みに顔をしかめている。

 皆が何か信じられないものでも見るような目で私を見つめる。

 さっきまでの軽蔑とか侮蔑の目じゃない慄き怯えるような目で。


 私は傷一つ負っていないみたいだし、やっぱりこれ私がやったの?


 そうだ、ウィリアムは……?


 蒼くなってまさか彼も怪我をしたのかと焦って見やれば彼の頬にも裂傷が見て取れた。カッコイイ男の代名詞ウィリアム王子様なだけあって舞台上で彼だけは無様に転げたりしていないで両足でしかと立っている。

 その他、前方の観衆の中にも怪我をした人の姿がチラホラと見えた。

 そっちも程度は軽そうで安心したけどこれは全部私のせい?

 どうにも居心地が悪く、深く俯いて顔を隠す。


 だけど周囲の慄きの理由はそれだけじゃなかったみたい。


「な、なあおい、さっきからいるあれ……不死鳥だよな?」


 え? 不死鳥?


 それは誰の呟きか、いつの間にか私の上には大きな炎の翼を広げた大きな炎の鳥が浮かび、辺りを睥睨していたみたい。

 指摘されるまで全く気付かず遅ればせながらのろのろと自力で立ち上がった私は、断頭台の残骸の中に佇んで静かに守護者を見上げた。


「鳥さん……。もしかして今のはあなたなの?」


 不死鳥はやや高度を下げて頭を下げると、褒めて褒めてと私にその大きな頭をすり寄せてくる。


「そっか。また助けてくれたのね、ありがとう」


 きっと私以外の人は不死鳥の熱さを感じているんだと思う。それなのに私が火傷もせずに平気そうにしている光景を目にして度肝を抜かれたに違いない。結構などよめきが耳には届いていた。

 笑い事じゃなく死に直面して、泣くよりも力の抜けたような苦笑いと共に不死鳥の炎の羽毛に頬を埋め撫でてやる。

 痛覚を再び感じる余裕が出て来たのか首の後ろのヒリ付きを思い出し手をやればぬるりとして、見れば手に赤いものが付いている。やっぱり少し切れてたみたいね。ゾッとした。生でギロチンを味わった現代日本人ってきっと私くらいだわ。


「姉様あああーッ!」


 その時遠くで微かにまた一つ安堵を誘う声が聞こえた。

 声の方へと急いで目を凝らせば人混みを掻き分けてこっちに来ようとしている銀髪の少女の姿が目に入る。

 遠目ながらもその顔は泣きそうに真っ赤で必死で、その様子からきっと私の処刑が済むまでは……と、どこかで押さえ込まれていたんだろうって思った。この分だと伯爵夫婦もこの広場のどこかにいるのかもしれない。

 ああでも良かった。ニコルちゃんがいれば皆を治癒魔法で治してあげられる。

 どうか私の代わりに治して欲しい。


 私は人を傷付けた。


 私を助けてくれるためとは言えこんな形で不死鳥の力を使うつもりなんてなかったのに……。怪我した人達に、そして何より不死鳥に申し訳なかった。唇を噛んで拳を握る。


 今の私じゃ、悪女のそしりは正しい。


「ごめんなさい……」


 小さく口を動かして誰にともなく……ううんこの場の皆に精一杯謝る気持ちで頭を下げた。

 ふと、誰かの爪先が視界に入ってくる。


「どうして君が謝るんだ。ここの者たちは自業自得だろう。顔を上げるんだ」

「ウィリアム……」


 片膝をついた彼から肩に手を置かれて促され、彼の顔を見たら微かに唇が震えた、

 本当はすぐにでも大泣きして抱き付いてしまいたかった。彼に慰めて欲しかった抱き締めて欲しかった。

 でも彼の頬の傷を見たら思考が冷えた。

 怪我させたくせに浅ましくも縋ろうとするなんてね……。

 ウィリアムは私の視線とその意味に気が付いて自身の頬の傷を親指で擦って滲んでいた血を拭い去る。


「少しワイルドになっただろう?」


 だって。


「ばか……惚れ直しちゃうじゃない」


 不謹慎にも思わずふふっと笑ってしまった。


「気に病むなアイリス。人の処刑を喜々として見物に来るなんて悪趣味以外の何物でもないんだし、良い薬だ」


 私を優しく気遣ってくれながら広場を見下ろしたウィリアムは急に冷ややかな眼差しになって唾棄するように言う。

 幸い不死鳥の出現でざわついていたおかげで彼の辛辣な台詞は周囲に聞かれていなかったみたいだけど、皆が見ている前でこれ以上反感買うような発言をしたらヤバいでしょ。寄ってくる令嬢達をあしらうのとはわけが違うのよ。


「それでも、怪我までさせていいって話にはならないわ」

「君は殺されそうになったのに馬鹿なのか?」


 くっ、こんな時にそんな心をエグる台詞はウィリアムでないと出て来ないと思う。


「……あなたってば本当にあの葵なの?」


 どうせ他に聞かれはしないだろうしちょっと皮肉気に文句を言ってやれば、彼はどこか意地悪く微笑んで耳元に唇を寄せてくる。

 しかも婚約解消宣言をしたすぐ後でもあるからか、私の怪我の有無でも確かめるように身を屈めての不自然じゃない体勢でっていう巧妙さで。


「それだけど、本当は葵じゃない」

「えっ!?」

「ジョークだよ」

「…………」


 ふざけないでって睨んでやったらちょ~う余裕の笑みを返された。

 でもどうしてこんな風に意地悪するのよこの人ってば。今し方までのこの場の緊張感はいずこよ? 私は本当の本当に死ぬかと思って怖かったのに……!

 不覚にも目が潤んじゃって、そうしたら向こうがやや息を詰まらせた。


「ふざけて悪かったよ」

「反省するなら、しないで」

「……君が余りにも心配させるからだ」


 だからって意地悪するの? 何じゃあこの人に心配掛けたらその都度意地悪されるってわけ? 冗談じゃない。


「あなたねえっ……――」


 更に文句を重ねようとしたけど、ふっと浮かべた彼のどこか弱ったような表情を見てしまえば言葉が咽の奥に引っ込んだ。


「君が生きていて良かった」


 ああ、そうよね、処刑だなんて本当にもの凄く心配掛けたのよね私。

 彼はきっと今まで私のために駆け回ってくれていた。

 さっきは処刑中止の何かの書状を渡していたしね。

 婚約解消の真意は後で聞かせてもらうとしてとりあえずは心配してくれてありがとうって言うべきよね。息を吸い込んでそう言おうと思った矢先だった。


 コツン、と頭に小さな硬い物が当たった。


「何……?」


 痛くはなかったけど飛んできたそれを見下ろせば、小石だった。

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