70 牢獄の来訪者2
「アイリス・ローゼンバーグがそんな失態を犯すものか」
それまでの、牢獄にいるのが場違いな美しさを纏っていた青年はこの時だけはどこかこんな場所がぴったりだって思ったくらいに妖艶で意地悪く、深淵の畔に立つ隠者のような
にこやかにしていたのが仮面でこっちが本当みたい。正直ちょっと怖い。
それにこういう人何て言うんだっけ、あれよあれ、あれあれ――猫被り!
アイリスもそうだったみたいだし、悪役令息ならきっとそんな顔をしたんじゃないのって感じの極悪顔だわ。だけど歪んだ表情を作ってもこの男の美貌は損なわれていない。ある種の趣向を持つ婦女子からは需要ありそうだわ、鬼畜攻め好きとかの……。ふう、どうやらアイリスの知人らしいしこれはきっと類友ってやつなのかも。
「え、ええと~……でも本当にそうなんだもの!」
いつもだったらうっわ美形眼福眼福~って弛んだ顔でうへうへしていただろうけど、さすがに今は私も身の危険を感じて気を緩めるなんて愚は犯さない。
青年がスッと私の方に足を踏み出した。
ひーっ、どうしよう!?
「私は結構短気なんだって言わなかったかな? さっさとお芝居をやめたらどうだい、アイリス」
「だ、だから本当だってば……」
嘲弄染みた笑みを浮かべて近付いてくるからまた壁に沿ってズレようとしたものの、何とすぐに角に行き着いてしまった。これ以上の逃げ場はなく、青年はすぐ傍まで来て私を見下ろした。猫が鼠をいたぶる時みたいな、そんな顔で。
ど、どうしよう、彼の普段の性格は知らないけどアイリスの知り合いならまさか無体はしないわよね? ……ね?
冷汗ダラダラでぐるぐる考えている顔を覗き込まれた。
「こここ来ないで!」
反射的に拳を突き出しちゃったけど易々とその手を止められた。
「一つ言っておくけれど、私は殴られるのが心底嫌いなんだ」
「そ、そりゃ誰だって痛いのは嫌でしょうよ!」
うっかり出た拳でもあったし止めてくれて良かったけど、掴んだ私の手を故意に強く握り締めてきて痛かった。よく挨拶代わりの握手に嫌がらせの意を込めて力を込めるとか、そういう可愛げのあるものじゃない。
正直ぞわりと全身の毛が逆立つような怖気に襲われた。痛さとは別に何かやだって悲鳴を上げそうになったけど堪えたわ。きっと生理的に合わないのかも。
幸い私が痛みに顔をしかめると気が済んだのか放してくれたけど、優劣は明白。
でもね窮鼠は猫だって、きっとライオンだって噛むのよ。
「あ、あなた魔法使いよねッ」
痛む手を摩りながら威嚇するように問えばあっさり「そうだね」ですって。
「君とはそこそこ付き合いもあるし、単なる事実をわざわざ確認する意図は何? 何を企んでいるんだい?」
彼は猫を被った方の顔でにっこりとする。
「意図も何も、申し訳ないけど本当にあなたの記憶がないの」
「……本当に?」
「ええ」
こっちの世界で見た超絶イケメンその二からじっと見つめられたのに造形への賛辞は出ても心は微塵もトキめかなかった。どころかやっぱり背筋が寒くなる。
「ふぅむ……君は愚かにも私の機嫌を損ねてカエルに姿を変えられてしまうようなヘマは犯さない。だとすれば、本当に精神的ショックで私を忘れたのかい……?」
「そう言ってるでしょ!」
逆にこっちが短気を起こしそうになっていると、彼は見定めるように自身の顎に手を添え私の上から下まで視線を走らせた。
「ふぅーむむむ……ところで君、猫は好きかい?」
「へ? まあ人並みには」
「どんな種類が好き? 何でもいいから」
「え、ええと……アメショーとか?」
「ああ、アメリカンショートヘアーか、へえ~なるほど」
彼はどこか満足そうにした。
でも何がなるほどなのかしらね。
「じゃあ猫を被った男はどう思う?」
「えっ」
「さっき君は私を猫被りだと、そう思ったんじゃない?」
う、鋭い……。けどここで素直に肯定するのは気が引ける……っ。
「す、好き嫌いは人によると思うわよ。人を騙すとかじゃなく場の調和を乱さないよう気を遣ってのことなら、まあ別に良いんじゃないかしらって私は思うけど」
「……へえ、なるほど。さすがは自身も猫被りなアイリスだね」
「あらホホホ、それはご丁寧にどうも!」
話題の転換に付き合って青筋仕様の愛想笑いを貼り付けて、以前誰かに似たような問いかけをされた時に答えた無難な回答を口にしたけど、それで満足したのか青年はこれ以上凄んではこなかった。
「話を戻すけど、あなたは一体何の用で来たの? そして誰?」
いい加減にしろとまた凄まれるかもとは思ったけど、私の方こそいい加減にはできないってわけで覚悟して問いかけた。
「ここに来たのは、君の意に添えなかった埋め合わせをしておいたって伝えるためだよ。逆恨みされても嫌だしね」
「私の意……?」
それに逆恨みって……まあ逆恨みならアイリスの十八番。それを考慮すればこの人の主張もさもありなんよね。
「ふふっそれも忘れたのかい?」
彼は私から離れると勿体を付けるように閉ざされた牢屋内をゆっくりと歩き、背を向けたまま片手を持ち上げ講釈でもするように一本指を立てどこか面白がるように告げた。
「――死ぬこと」
「!?」
全身に驚きと慄きが走った私は我知らず一歩下がろうとして、だけど既に踵が後ろの壁に当たっているんだって思い出した。
まさか……この男は……。
彼がくるりと振り向いた。
「あなた、何でそんなこと……」
「知っているのかって?」
こくりと頷くと、彼は自らが魅力的に見える仕種をわかっているのか顎を少し引いて柔らかに微笑む。
「だってローゼンバーグの屋敷には、君の依頼で私が破壊魔法を施したんだもの。依頼人の望みを知っていて当然だろう?」
「なん、ですって……?」
じゃあこの男が、こいつが例のワル魔法使い?
隠しメッセージとか、親切心だとかで要らん破壊魔法の数々まで置いてったあの?
「ねえアイリス、君は今でも死にたい?」
これまで音沙汰がなかったのに、まさか向こうから接触してくるとは思いもしなかった。
しかもこんな若く麗しい男だなんて想像もしなかった。
次にどうすべきか決めかねていると、彼はまるで体の肉を通り越したその奥に魂があって、あたかもそれを見ようとでもするかのようにじっと目を凝らして私を見つめた。
その表情にはウィリアムの冷淡さとは違った種類の酷薄さが覗いている。
人命より科学の進歩を尊重するようなマッドサイエンティストって、きっとこんな感じだわ。
彼のその髪と同じ金色の瞳がしばらく私の上に留められている。
猛禽類や猛獣の類じゃないのにまるで目が底光りしているように見えてゴクリと固唾を呑んだ。どっちの世界でも時に人は見かけによらないものね。
アイリスの依頼だったからとは言え、こんな聖人みたいな容姿の奴があんな質の悪い魔法の数々を仕掛けた張本人だなんて。
死亡フラグ回避の必死の苦労と、ウィリアムやニコルちゃんや不死鳥が酷い目に遭ったのを思い出せばムカムカしてきてついつい目付きも口調もきつくなる。
「死にたいわけないでしょ!」
と、ここではたと気が付いた。
ちょっと待って、じゃあこいつが今言っていた埋め合わせって?
嫌な予感がするんだけど。ううん、水に浸けるとぼんやり浮かんでくる文字みたいに、会話の途中から思考の底より薄ら答えが浮き上がってきていたわ。でも本人にきちんと確認は必要よね。
「ねえ、あなたの言う埋め合わせって、何?」
「ああそれは、実験はいわば状況に任せていたところもあったからね、誰が何をどうしたにせよ失敗したのはそのせいだった。強度や発動速度においても私の見通しが甘かったんだろう。そこは請け負った身としては申し訳なく思っているよ」
「……それで?」
きっとこの男は私自らが動いていたのを知っているんだと思う。
でも死にたいはずのアイリスが矛盾した行動を取っていた理由を糾弾してこない辺り、やっぱり実験の成否には余り興味がなかったのかもしれない。
「アイリスは死にたがっていただろう。だから今度は確実性を高めて大罪人としての死を贈ろうと思ったんだけれど……今はもう死にたくないのなら、うーんどうしようか。ねえ?」
やっぱり!!!!
「ねえ、じゃないわよ! このワル魔法使い! 投獄されたのはあなたの仕業だったのね!」
「まあね。これでも諜報とか根回しとかは得意な方だし、そういうのが好きなんだよ」
「うわあああ最低でしょあなた! 大体誰が国家転覆ですって!? しかも屋敷での騒動を伏せてくれた家族の身にもなってよ! とばっちりが行ったらどうしてくれるのよ!」
「ああ、そこは害が行かないようにしてあげたから安心して」
「そういう問題じゃないわ! 人の人生を掻き回さないで! あなたの余計なことのせいでのんびり令嬢ライフが消滅しそうだわ! ホントどうしてくれるのよーーーーっっ!」
苦悩する音楽家みたいに思わず頭を掻き毟っちゃったわよ。
「まあだけど君が嫌なら勝手に先走った私の落ち度だし、本当にどうしようねえ?」
こいつ、人の窮地を楽しんでる……!
心底愉快だって顔して、人をコケにするような軽い口調がムカつくーーーーッ!
ホントこの男、見た目は優しいお兄さんって感じなのに、すっっっごく性格悪い!
さすがはワル魔法使いだわ!
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