69 牢獄の来訪者1

 茶色い煉瓦造りの法廷を出ると、まだ夕方が尾を引き本格的に夜になる前だった。

 道中何だかんだあったおかげで世間話ができるくらいには打ち解けた護送の兵士達から聞いた話だと、広大な王城の敷地内には様々な機関や施設があるらしく、この法廷もその一つみたい。この国の各地方にも法廷はあるけど、位置的にも国の真ん中にある王都の法廷はまんま中央法廷って言って施設自体の大きさも働く人数も国一番らしいわ。

 到着時同様に、でも到着時とは異なる経路でローゼンバーグ家の本邸以上にどこがどうだかわからない通路や回廊や庭のような場所を通り過ぎ、半ば引っ立てられるようにして歩かされた先は予想通り牢屋だった。

 ここの法廷と同じく頭に中央と付くこの牢は法廷敷地に併設されていて、裁きの後すぐに罪人を投獄できるようにって意図があるみたい。

 まあわざわざ中央法廷まで連れて来られるような罪人は私みたいにちょっと罪状に余りあるような人間ばかりだって話だから、判決後の護送中に逃亡されないようにって保険もあるんだと思う。


 しかも中央牢ってば外壁に蔦の這った見るからに古色蒼然とした石造りの建物で、地上部分よりも地下の方に重きを置かれた施設だった。


 実際、地上の部屋は獄吏たちの詰め所やそこで使用される各種道具類の倉庫が主で、罪人の収容場所は地下にある。


 そんなわけで私も例に漏れず地上から二階分くらい階段を下った所にある地下牢に放り込まれた。


 どこの世界でも牢屋の造りなんて似たり寄ったりなのか、通路に面した四角い房の前面一面が鉄格子になっていて、更にその一部が扉になっている。

 奇しくも窓のない牢屋は初めてじゃないけど、伯爵家の屋敷牢とは雰囲気からして牢獄レベルが違い過ぎたわ……。地下だからか空気がひんやりしていた。でもそれは冷涼ってものじゃなくじめじめして淀んで滞った感じだし、天井や壁からは地下水がじわりと染み出して、それが小さな水溜りを形成している。そのせいで階段が所々ぬるっとしていて危うく滑って転げ落ちそうになったわよ。石壁の継ぎ目に得体の知れない昆虫だっているし、残飯を餌に棲み付いている鼠がこそこそと駆け回っている。

 それに何より、限られた蝋燭ろうそく明かりだけの薄暗い地下牢は予想に違わず臭かった。蝋燭ろうそくの燃料に魚油や獣脂油を使用しているのかもしれないし、長年かけて染み付いた歴代の囚人の体臭や汚物のせいかもしれない。来たばっかりで確かな事はわからないけど、ぶっちゃけそこはさしたる問題じゃなかった。


 特大の問題が別の所に丸々一個あるものねー、ホホホホ……。


 どうやら私に宛がわれたのは個室のようで、同房に他の囚人はいなかった。


 まあ居ても凶悪犯と一緒だなんてどうしようってマジ泣いただろうから良かったわ。

 牢に入るに当たっては囚人用の服を渡された。一応は清潔な物みたい。着替えても着替えなくても自由にしていいって言われた。庭いじりのままの農夫っぽい作業着を見てどっちもどっちって思ったに違いなかった。護送中はそれ一着しかなかったから、今思えば吐しゃ物が自分の服に付かなくて幸いだった。

 それでも連日ずっと着ていたし乙女としては綺麗な衣服を着ていたい。

 まあ牢屋内は汚れているから囚人服に着替えたってすぐにどうせ汚れるとは思うけど。


 手枷足枷は外してもらえた。


 牢屋内に居る間はいいみたい。でも少しの間だけだったのに枷に締めつけられていた手首足首には赤く跡が付いていた。

 処刑の日までよくよく悔い改めるように、なんて兵士の一人の台詞を置き土産に錠前がガチャンと音を立てて締められると薄暗い地下牢通路に足音が遠ざかっていく。


「はあ、少し寝よっかな……」


 諸々の精神的ショックと車酔いの名残とがタッグを組んで襲ってきていた。

 今はとにかく一休みしたかった。

 うちの屋敷牢と違ってこの独房には寝台も机もないから石床に雑魚寝決定だけどね。あー最悪。絶対冷えるし足腰痛くなるー。風邪引かないか心配だわー。

 横暴過ぎる死刑宣告を嘆かないわけじゃない。

 刑の執行は三日後って言われて、即日斬首じゃなくて良かった~ってできた猶予に少しほっとしたけど、本当はほっとなんてしている場合じゃないのよね。


 だってたったの三日よ。


 また三日縛りかってツッコミはあったけど、とにかく処刑日までにどうにかしないといけないわ。


 もうこうなればいよいよ脱獄よ~ッと勝手に意気込んでみたけど、二秒後には溜息しか出てこなかった。


 だって普通に考えて、私が逃げたら家族にまで類が及ぶわ。大逆人として処刑なんてされてもそれこそ伯爵家の存続問題にまで発展するかもしれない。一貫して否認するつもりだけど、不当にも刑は決まっちゃったしこんな場所にいるのにどうやって声を上げればいいの?

 そうなるとやっぱり脱獄を視野に入れるべき?

 でも逃げ出せばローゼンバーグ家やもしかしたらウィリアムにまで……ああ堂々巡りだわ。


「これが夢だったらいいのに」


 囚人服に着替えた私は壁際に横になると、一先ひとまずはまぶたを下ろした。

 浅い眠りの中、しばらくして聴覚が近付く足音を察知し億劫に思いながらやや重たい瞼を押し上げれば兵士が食事を運んできたところだった。

 おお、ツーマンセル。二人一組。見張り役とトレーを運ぶ兵士からなる二人編成で、錆び付いて五月蠅い鉄格子を開けてその付近にトレーを置くと「夕食だ」って一言言ってきびきびと戻っていった。

 夕食は囚人への嫌がらせで敢えてこしらえたのかってくらいに固くなってカビ臭いパンと、これは厳選の無色食材かってくらいに色の薄いスープだった。


「余計に食欲が出ない……後で食べよう」


 トレーを傍には持ってきたものの再び横になってゆっくりと目を閉じる。

 延びて六日に及んだ馬車での旅路とその後の目まぐるしいような出来事に、心も体も疲れ切っていた。





 こんな追い込まれた状況だってのに他の房の囚人の立てる物音やどこかで水滴の落ちる小さな音を聞いていたら、疲労のせいかテレビを点けっ放しで転寝するのにも似た安らぎに埋没した。少しは眠ったんだと思う。


 だけど、ふと目が覚めたのは何故だろう。


 疲れ過ぎてて深くは眠れなかったとか? まあ確かにこんな劣悪な環境下じゃ深くは寝られないわよ。

 だけど、そうじゃない。


 すぐ傍に何か無視できない強烈な気配を察知したからだ。


 本能的警鐘に目が覚めたと言っても過言じゃない。


 最初、裾の長い衣服から靴先だけが覗く足元が見えた。


 い、いつのまに!?


 眠りは浅かったし鉄格子が開閉されれば錆のせいで軋んだ悲鳴を上げるからきっと目が覚めただろうに、そんな音は一切しなかった。

 実際チラッと見れば錠前は締まったまま入口の格子扉だってピタリと合わさっている。


 まるで牢の内側に突然現れたみたい。


 手段は何であれ、私はギョッとして呼吸すら忘れた。

 息を詰めるような慄きに視線だけをそろそろと上にズラしていく。


 そこに佇む何者かは、魔法使いが着るような黒っぽいフード付きのローブを身に纏っている。


 床から見上げていても顔半分が隠れて見えないくらいに深く下ろされたフードの奥から相手の確かな視線を感じて、ゴクリと我知らず唾を呑み込んでいた。


 こ、この人……誰ッ!?


 こんな場所に兵士の案内もなく一人で現れるなんて不自然過ぎる。どう見ても侵入者だわ。だけどここってそう簡単に侵入できるものなの?

 自問自答は否と出た。

 重罪人を収容しておく監獄の警備が手薄なわけがない。見張りの兵士を倒してきたのか巧妙に監視を掻い潜ってきたのか、或いは――魔法なのか……。まあ何であれ凄腕よね。

 ピンポイントでこの独房に来る辺り、私に用事……なの?


「あ、あなた、私を亡き者にしようとやってきた刺客……とか?」


 相手を刺激しないように声音同様控えめに身を起こして、汚れとか虫とか四の五の言ってもいられず壁面に背中を張り付けるようにして横にズレた。元々壁に寄って横になっていたからそれ以上の後退は不可能だった。

 相手は私を拘束してくる様子もなく、無駄な足掻きとでも思っているのかもしくは気にもしていないのか何も言わない。

 気休めだったけど少し距離ができて心なし余裕もでき、私はまじまじと侵入者を観察した。


 目の前に佇む相手は、見た目から判断するなら魔法使いっぽい。


 フードのせいで人相は判然としないけどその襟元の隙間からは胸元より下まである金の髪の毛が垂らされている。長い髪は一瞬女性かと思ったけど背の高さと肩幅からして男性のような気がした。不審者に言うのもなんだけど髪シャンプーとかのCMみたいにさらさらしてそうね。でもこっちだってさら髪なら負けてないわよ……なんて現実逃避も兼ねて無意味に張り合ったりもしつつ警戒を解かずに睨んでいると、相手はフードの下に唯一見えている形の良い唇を笑みの形に歪めた。


「その態度はわざとなのかい? ――私だよ、アイリス」


 え……?


 それは一度聞いたら忘れられないような、耳触りのとても良い甘美な男声だった。

 人気声優が演じる王子様キャラの声を聞いているみたいに。

 だけど、柔らかですごくいい声なのにどこか薄ら寒い。

 悪寒がして両肩を竦めると、薄暗い牢の奥でそんな些細な仕種まで見えるのか相手は貴公子のようにくすくすと品良く笑った。


「そんな風に怖がる姿は新鮮だなあ。案外可愛いね。でもどうして私を怖がるんだい?」


 そんな事言われてもねえ……。大体この人の事知らないし。


「あなた、誰?」


 妙な沈黙があった。


「やれやれ、君の要望に添えなかったからってささやかな仕返しのつもりかい?」


 要望? さっぱり会話の内容がわからないけどもしかしてアイリスの知り合い?

 益々以て私が疑問を大きくする間にも相手は動きを見せた。


「全く君は気まぐれなんだから。ハイハイこれならわかるだろう? もう知らないとは言わせないよ」


 密やかな微笑みの吐息と共にフードが外された。

 私の口から思わず大きな感嘆の溜息が漏れる。


 そこにはウィリアムに劣らない絶世の美形が現れたんだもの。


 牢獄の細い灯りの下でも青年のどこか魔性的な美々しさは損なわれない。

 パッと見硬質で怜悧なイメージのウィリアムとはまるで正反対の優しげな容貌をしていた。

 剛と柔、青と赤、水と火。

 安直だけどそんな対比が瞬時に頭に浮かんだ。だけど私にはやっぱり彼が誰だかわからない。


「ごめんなさい、実は精神的ショックで記憶に欠落があるみたいなの。だからあなたが誰だか思い出せなくて……。そのうち思い出すかもしれないけど、思い出せないかもしれないから今は失礼を承知で訊ねるわ、どちら様って」


 仕方がないので嘘八百を並べてみれば、しばし不思議そうにこっちを見つめた美青年は突然「くはははっ」と笑いの衝動を抑え切れないように笑った。


「まさか嘘だろう? 記憶喪失? 君がかい?」


 さも心底可笑しそうに一頻ひとしきり笑ってから青年はそれまでの柔和な表情を一変させた。

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