62 ああ、寝ても覚めても悪役令嬢
葵と会えて心から嬉しいのに、どうしてもウィリアムだとこう……何て言うか突っ撥ねちゃうのよねー。この世界で目覚めてから今までがちょっと複雑な間柄だったからだわ。ごめんね葵。
容姿は元より性格も随分違うけど、大事な部分では助けてくれたり優しかったり、根っこは同じなんだって感じる。
もう前世の家族や友人に会えない辛さはあるけど、私はここで幸せを掴みたいって思ってる。
だってここには葵がいる。
黒ドレスに着替えてウィリアムを部屋に通しいつもの長椅子セットで向き合った。
そして、私は婚約を受け入れた。
その際ウィリアムが元々の予定していた日程で私と式を挙げてはどうかなんて提案してきたけど、それはさすがに却下したわ。だって伯爵に任せたとは言え本邸の修繕も見届けない内にここを去れないわよ。
大体にして急過ぎ。前世で付き合っていた時だって結婚の話は数える程しか出たためしはなかった。しかも何人家族が理想とか、もっとすっ飛ばして老後は田舎でのんびり暮らしたい……なんて会話を他愛なく交わすくらいで、具体的な結婚プランはノータッチ。
あの頃はお互いまだその気はなかったのよね。
だけどこっちで長い葵は……ウィリアムは違うのかしら。
結局彼はあっさり取り下げたけど、どこまで本気だったのかはわからない。
ただ私だって断りはしたけど、大好きな葵と結婚するんだわ~って思うと二人のバラ色の時間を想像して期待に胸が膨らむし、無性に嬉し恥ずかしな心地で頬が緩む。普段は魔法なんて使えないのに浮かれて空まで飛んでくんじゃないのって思ったくらいよ。
まあ何にせよ、改めて日程が決まるまで結婚に関しては待ってもらうしかないわ。
まだ夕食時間帯までは余裕があったから二人で本邸にある伯爵の書斎に赴いた。
許可はもらっていても改めて婚約の意思を伝えれば、私が決めた事ならばと祝福の言葉をくれた。まあ溺愛パパの悲愴感とか渋々感はすんごく漂ってたけどね。
それをわかっていてウィリアムは実にしれっとしていたわ。大真面目に心臓に剛毛が生えてると思う。
彼と離れに戻ってからは、心機一転婚約関係を始めるに当たってどうせなら悪女の汚名を返上しようとも相談した。
まあ相談ってよりは私がすごい乗り気だったから彼も付き合って助言をくれたようなものだけど。
日記の記述を参考に、折を見て今までアイリスがやらかした相手にはできるだけ謝罪とかフォローを入れようと思う。まあ中には放置の方が良さそうって相手もいたけど。
「将来のためにも、上手く関係改善できるかしら」
「さあな。たとえできなくても、俺的には一向に構わないが」
「……恋人が嫌われ者でもいいの?」
「その方がかえって君に悪い虫が寄り付かなくていい」
「……ウィリアムになってから、ホントだいぶイイ性格になったわよねあなたって」
呆れと感心半々で私はのんびりした気分で天蓋の内側を眺めた。
室内は明るく外はもうすっかり暗いけど、夕食にはほんのちょっと早い。
休憩がてら私は一人ベッドにごろーんと横になってたんだけど、ふとベッドが沈むのを感じた。
見れば、会話をしてくれながらも戻ってからは長椅子で仕事関係の手紙を読んでいたはずのウィリアムが上がってきていた。
襟元はとうに寛げられていて、袖のカフスも外されている。
無駄にエロいウィリアム・マクガフィンの降臨だった。
え、何かまずい……かも?
前世の誼ですっかり慣れて寛いじゃってたけど、どうしよう。
近くにきたウィリアムはたら~りと変な汗を浮かせる私に気付いて金髪をさらりと揺らして口元を超余裕そうに緩める。
「君との幸せのために必要な処世のスキルを習得したとでも思ってくれ。何しろこの世界は平和ボケなんてしている暇はないんだ。貴族社会なんてものは、迂闊に気を抜けば権力を欲する猛獣共に咽笛を食い千切られる」
「えっ……そこまで危ない世界なのここって?」
直前までの微かな焦りも忘れ思わず驚いて身を起こせば、すぐ傍に座って足を楽にしたウィリアムは至極真面目な面持ちで頷いた。
「表向きはにこやかだが裏では結構えげつないな」
「そ、そうなんだぁ~……」
悪女悪人は決してアイリスやワル魔法使いだけじゃないんだわ。私この先社交界でやってけるのかしら……。
不安の余り貧血でも起こしたようなか細い声になった私の手を、ウィリアムが力強く握ってくる。
「そんな顔をするな。ちょっと大袈裟に言ったんだよ。それに結婚したからって別に社交の場に出なくとも構わない」
「えーと、それは大丈夫なの?」
「まあ一般的には良くはないが、君が嫌なら強制はしたくない。それにやっぱり社交の場で君が多数の人間の目に晒されるのは面白くない。だから屋敷で自由気ままに過ごしてくれていい。俺自身のためでもあるしな」
「あなたの……? 奥さんが公の場にさっぱり姿を見せないなんて、あなたのためになるどころか評判悪くなるだけでしょ?」
「そうでもない。要らない罪を犯さずに済む。君に色目を使う男が居たら問答無用で目を潰したくなるだろうからな」
わあ~こわ~…………ほんっっっと元葵なの!?
恋人からの物騒発言にもかかわらず頬が熱くなる自分にも駄目出しだけど。
だってこんな独占欲丸出しの愛の激白を浴びせられて平静でいられる?
内心宇宙の端から端までを往復するように究極に右往左往していると、ウィリアムはフッと笑った。
「君が美琴だって知ってからは、俺は君を甘やかしてでも、時には追い詰めてでも、俺から離れるのを許す気はないんだ」
「ささささっきから何!?」
これはさすがに恥ずかしくて悶絶しかない。
「正直葵の時は気恥ずかしさと遠慮もあって、自分でも思いきり愛情表現が出来ていなかったと思うよ。けどこっちだと全然抵抗もないから、気兼ねなく君に愛を注ぐつもりだ」
「…………ええっと~」
もーなんて返せばいいのよねーこんなのー。
私は唖然、向こうは得意満面。
ああこんな時、日記が傍に居てくれたら……。
日記はウィリアムがニコルちゃんの手に渡したらしくて今は彼女のとこに居るみたい。
喋る日記だってニコルちゃんがすごく興味津々だったから、さっき彼女の部屋にも寄ってお泊まりOKも告げてきたわ。日記だって不用意な発言はしないだろうし、彼女は勝手に中を読むような子じゃないから大丈夫だと思う。
そもそも「ぼくの聖書です」って丁重な扱いだったから、かえって日記が調子に乗らないかだけが心配ね。
その場で私とウィリアムの正式な婚約の話もしたけど、ニコルちゃんは私に抱き付いて「ビル兄様よろしいですか? 姉様を泣かせたら即刻返してもらいます」なんて可愛い事を言ってくれちゃったわ。一瞬黙り込んだ二人の空気が張り詰めた気がしたけど、抱き付かれていてちょうど二人の表情が見えなかったから気のせいかもしれない。
ニコルちゃんは口では何だかんだと言いつつもアイリスの婚約に本気で反対してはいなかった。アイリスの願いを優先してくれる姉思いのシスコンなのよね。ああだけど「最後に一つ思い出を下さい」って言い寄られちゃったら押し切られそう……。やっぱり姉妹百合ルートもあるかもしれないわ。
もう一つ、不死鳥は私が召喚しても現れるし、主人認定されたおかげか私の命が危ないってなると向こうから勝手に現れるんだって。
自由にこっちと精霊世界を行き来できるみたいね。でも基本的には向こうの世界に居るらしいわ。
現在は昼間私に怒られたのが余程堪えたのか、精霊世界で猛省中。
ウィリアムにやり方を教えてもらって試しに一度召喚してみたら来てくれたけど、私を見るや三白眼をうるうるさせてしおらしくしちゃったもの。見た目はあれだけど実は素直で可愛い子なのよね。
因みに、召喚魔法には指先を針で突いて出した血を使った。痛いから自力魔法はやっぱり極力やりたくない。そういえばウィリアムってば血を出すなって止めてこないと思ったら……指ぱくされて治癒された。もう何だかねえ。
「俺が傍にいるのに、別のことに気を取られるなんて感心しないな」
ハッそうだった、私ってばベッドの上だった。
私を傍から見下ろしてどこか
しかもまるで極薄のガラスで出来た大事な大事な宝物でも扱うような触れ方って、ずるくない? 彼の愛情が伝わって耳まで熱くなって心拍は戦闘機もかくやな急上昇よ!
「ね、ねえっ」
「何だ?」
「も、もう別れるなんて言ったら許さないんだからね?」
やや乱暴な口調で言ったけど、その実キュンとする切なさに泣きたくもなったのを誤魔化せていたらいい。
ああ、と頷いたウィリアムはゆっくりと身を屈め、私のこめかみにキスを落とした。
「絶対に言わない」
睫に掛かる吐息に込められた固い決意は、どんな誓いよりも神聖で厳かで、大切だった。
それ以上、私たちは恋人らしい深い事なんて一つもしなかったけど、互いへの気持ちはどこまでもクリアで、だけどそれでいて他には類を見ないくらいに深く濃厚でもあった。
二人して仰向けで寝転んだベッドの上で手を繋いだ。まるで付き合い立ての
互いの指先を絡めるだけで柔らかな真綿に埋もれるような幸福感に満たされた。
奇跡ってやつを多分に実感していた。
心地よい静寂の中他愛のない話をポツポツとしていたら段々うとうとして、そろそろ夕食よねって思うのに抗えなくて目を閉じた。
「この先もう俺は、君への想いだけは間違わないから」
そんな嬉しくて照れ臭い言葉が最後に耳朶を仄かに愛撫したかと思ったら、いつの間にかウィリアムの声も指先の熱も不思議な程に遠ざかった。
――フフッ。
男か女か、大人か子供か、得体の知れない誰かの軽やかな笑い声が、どこかで微かに聞こえた気がした。
私が次に目を開けた時、そこは清潔な白いベッドの上だった。
室温は適温で、白っぽい天井パネルには蛍光灯が光っている。
――え!? どういうこと!?
蛍光灯はアイリスの世界にはない代物だ。
視線を動かせば、ドラマなんかで意識不明の病人のベッド脇に置かれている電子機器があって、絶えず画面内は延々と更新されていく心拍などの測定値を表示し続ける。
ここって病院よね?
体は包帯とかギプスで固定されているのかほとんど動かせなかったけど思考は明確にできる。
考えるに、私ってば生きてたってわけ?
じゃあ……だったら葵は?
「美琴」
不安に胸が潰れそうになった矢先、欲した男の声が聞こえて奇跡だと思った。僅かに目を見開く。世界にたった一つのその声は媚薬のようで、耳から入ると隈なく全身を巡って私の心臓を痺れさせる。
それはたとえ世界が変わっても変わらないだろう、唯一無二。
「葵……」
起き上がって手を伸ばせば届く所……ってのは誇張だけど、すぐ傍に最愛の星宮葵が横たわっていた。
私みたいにあちこち包帯ぐるぐるで。偶然か誰かが気を利かせたのかは知らないけどベッドは隣同士。
葵だ、葵がいる。
私は一も二もなく破顔した。
声が聞こえて様子を見に来た看護師さんに訊ねれば、私達は救急搬送された雨の夜から揃って意識不明で、でも生命の危機的に容体が急変するような心配はないだろうってわけで間もなく一般の病室に移される予定だったみたい。
全く神様も時に小粋な計らいをする。
日記ってば最大級のドッキリをしかけたわね。今度会ったら覚えてなさいよ?
会えたら、だけど……。
お互いにベッドから動けないけど会話だけならこっそりできた。
薄々そうかなって思いながら話をしてわかったのは、私達は同じ世界を体験していたって事。
ただそうは言ってもあの世界が不思議な夢か真実本当に異世界かは、こうなってはどちらと断言はできない。
だけど、私の胸の奥には向こうでの出来事がしかと刻まれている。
葵……ウィリアムとのやり取りや彼の本心だって。
「あなたってば稀に見る超絶美形だったのに残念よね。まあウィリアムのことは顔で惹かれたわけじゃないけども」
「え、何それ……ウィリアムにも惹かれていたって、本当に? てっきりウィリアムが僕――星宮葵だってわかったから婚約する気になったんだと思ったよ」
「……実は結構あなたの思いやりとか勇敢な行動にときめいちゃってたのよ」
「そうなんだ」
葵の声は少し照れ臭そうだった。
「ところで、本当に見た目でじゃないんだ?」
「勿論でしょ」
そう言ったらやけに真剣な目をされた。
嘘は許されないようなそんな眼差しに、私は白旗を上げる。
「ええと~、ちょぴっとはイケメン力に絆されました……」
「正直でよろしい」
葵は直前までの雰囲気を一転し愉しげにくすくすと笑った。
「君のアイリスはすごく可愛かったけど、僕はこっちでの美琴も変わらず愛おしいって思うよ」
「そ、そう?」
「うんそう。ところでさ、退院したらイチャイチャし放題だね。君への償いも兼ねて尽くすよ。だから――覚悟してなよ?」
か、覚悟って何!?
葵らしい優しい口調と柔らかな笑みでの台詞だったけど、ほとんど真面目な台詞しか言わなかった彼の口からウィリアムさが抜けていない積極的で甘い言葉が放たれて、そのハート型の言葉の矢はいちいち私の心臓に命中した。
ふ、不整脈頻発で寿命が縮みそうだわ!
また転生しちゃったらどうしてくれるのよ!
あの不思議な日々はそう、きっと神様が気まぐれにくれた彼との仲直りの機会だったんだってそう思う。だから是非ともその厚意に甘えさせてもらうわ。
ありがとう神様、ついでに日記も。
ニコルちゃんや不死鳥にもさよならなのは、ちょっと、ううんすっごく切ないけど。
「ねえ葵」
「ん?」
まだ包帯は取れないけど、伸ばした手も届かないけど、きっとこの想いは届くから。
「改めて告白します。わたくし南川美琴は、星宮葵のことを――――……」
何だか蛍光灯の白く明るい光がダブって見えてきたんだけど。一際明るくも感じる。
まるで祝福みたい。
よーし退院したら今度こそ葵と幸せに――――ってあれれ?
傍の機械からアラーム音が上がり出す。
――先生早く来て下さい、南川さんが!
――こっちもです! 星宮さんが!
気付けば他にも看護師の声やパタパタと走るナースサンダルの音が聞こえたけど、意識の薄れと共に遠ざかっていった。
どうしたの私ってば?
え?
……え?
「――――えっ……?」
ハッと目を開ければ病院じゃない天井……というか天蓋の内側が見えた。
見覚えのあり過ぎるその黒い天蓋には「まさか? いやいやまさかあ~」という思いが込み上げる。
「起きたか美琴? いや、アイリス」
すぐ傍からと言うか耳元で声がしてビックリして顔を向ければ、そこにはこの世の誰が見てもきっと申し分のないだろう美男がこっちを向いて横たわっている。
「あらウィリアム……って、え? あれ? 葵? 葵もなの? どういうこと? だって私達本当は生きてて日本で目が覚めたはずでしょう!?」
「ちょっと落ち着くんだ。俺も今起きた所なんだよ。俺たちの服装からして、どうも一晩経っただけのようだが」
窘める葵ことウィリアムも詳細がまだわかっていないらしかった。
そっか、手を繋いでいつの間にか眠っちゃったのね。
確かに外は明るいし、翌日の朝って感じだわ。
でもどうして?
よっし、すぐにでもあのポンコツ日記に確かめなきゃ!
わけがわからなくて動転はしてるけど、日記達とお別れじゃなかったって思うと心から喜んでいる自分がいる。
やる気を出し、努めて気分を落ち着けようとしていると、突如バーンと扉が開かれた。
え……これはもしや。
ウィリアムと揃って目を向ければ、ニコルちゃん付きのメイド達の姿が視界に入って、ああデジャブ~。
彼女達は目を大きく吊り上げた。
「――アイリス様! あなた様は何という悪女なのです!!」
どうやら私の悪役令嬢ライフは、まだ終わってくれないみたい。
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