55 炎の精霊4

 重さのない不思議な橙の鳥をウィリアムは不死鳥だなんて言った。

 でも屋敷上空に出現した不死鳥とは大きさも形も似ても似つかない。

 あっちは全体的に鋭くてシュッとした感じだったけど、こっちは出荷直前のガチョウなのってくらいの丸々具合だし。

 唯一の共通点っていうかそっくりな所は目付きの悪さだけど、でもまさかこの鳥が不死鳥だって言うの? ホントに?


「いやいやまさか~」


 笑い飛ばす私にウィリアムは再度肯定するとかそうだって言い張るとか、これと言った反駁はんばくは見せなかったけど、代わりに橙鳥が鼻息も荒く飛び上がった。


「へ? 急にどうしたの?」

「あっおい止めろ!」


 やや慌てた色を孕んで強くウィリアムが叫んで、橙鳥は三白眼を怖いくらいに丸く見開くと全身を膨張させた。


「わわわっ実は鳥でもなくてハリセンボン? それとも風船だったの!?」


 ここが魔法のある世界だってわかってはいても、何かのマジックショーでも観ているみたいだった。

 だって私の目の前には次の瞬間、不死鳥が現れていたんだもの。


「……おいこの大馬鹿鳥、離れが燃えてお前の主人に焼け死なれたくなかったら、今すぐその本性を隠せ……ッ」


 青筋を立てたウィリアムが抑揚のない物凄く低い声で怒ってるけども、確かにこのままだと離れが燃えそう。

 不死鳥の炎の熱で天蓋の端っこからアイロンかけ過ぎた時みたいな臭いしてきてるし、天井がジリジリいってるわ。不死鳥の周囲の空気もぐらぐらと真夏の陽炎みたいな揺らぎを見せてるし。


 でも、不思議にも私は一切熱さを感じない。


 反対に、ウィリアムはトータル的には涼しい顔をしていても、前髪を揺らす風に嫌そうに僅かに目を細くしている。熱さに薄ら汗を浮かせてる人みたいに見えるんだけど……え、これそよ風~って思ってたけど違うの? 熱風なの? マジで?

 不死鳥はまだ堂々たる威容を湛えてそこに居る。

 鼻で笑うような嘲りっぽい表情を浮かべてるし、ウィリアムの言葉はてんで無視って感じだわ。ウィリアムの方も今にも攻撃魔法を繰り出しそうな険呑な目付きだし。


 ……この二者って折り合い悪いの?


 大体、きっとシカトなんてそんな無礼な真似された経験ないわよねこのイケメン君は。怒るのも当然なのかも。

 ああお気の毒様~。ああ可哀想に~……なんて思っていた私の失礼思念にビビッと来たのか何なのか、彼はこっちに目を向けた。


「アイリス、君が躾けてくれ。早くしないと冗談抜きに部屋が燃えるぞ?」

「えっそれは困るわ! でも私がどうして? まあ当分――炎は遠慮したいけども!」


 私の台詞は何故か効果覿面てきめんだったようで、一瞬炎とは対極にある氷のように固まった不死鳥は、瞬時に凋んでまるっとした橙鳥の姿に立ち戻った。


「ええと、不死鳥のチビキャラ化したのが橙鳥なの? どう見てもそうよね」

「ああ。言っただろうそいつは不死鳥だって」

「な、なるほど理解したわ。でも頼む前に意を酌んで戻ってくれみたい。案外素直ないい子じゃない」

「いい子って、全く君は……。そのいい子に亡き者にされそうになってたんだぞ、忘れたのか?」


 どこか不服そうに呆れるウィリアムだったけど、それ以上は堪えたのか処置なしと首を横に振るだけで何も言ってこなかった。

 チビ不死鳥の方は、私の膝の上に舞い降りるとお腹にすりすりしてきた。

 やっぱり精霊だからか重さはないけど、すりすりがぐりぐりになって、その仕種があたかも嫌いにならないで~って甘えるようで、私は自然と頬を緩ませて両手を伸ばす。

 あ、精霊には触れないんだっけ。

 触れる寸前でそう思ったけど、指先はふわっとして柔らかな羽毛に埋もれた。

 でも重さがないから、持ち上げても自分の腕をただ上げ下げするだけの変な感じ。


「あなた触れるのね。よくわからないけど、あなたは不死鳥で、私を助けてくれたんだって?」


 そう問えば、チビ不死鳥は目付きの悪さの割に泣きそうに目尻を下げて垂れ目っぽくなった。

 しかも涙まで浮かべて今度は私の手にすりすりしてきた。

 表情と行動を鑑みるにこれってごめんねって言ってるのかしら?


「もしかして謝ってる?」


 チビ鳥はコクコクと頷いた。


「言葉も理解してるのね、すごーい!」

「……精霊は人の言葉を解するんだからすごくも何ともない」


 ベッドの脇の椅子に腰かけ直したウィリアムが素っ気ない口調で言った。


「ああそうなの? でもそんなことは知らなかったんだし素直に感激して何が悪いのよ。水を差さないで」


 彼は憮然として私をちょっと睨むと視線を外して黙り込む。

 腕組みして不機嫌さを隠しもしないから、この人も何だかんだでまだ子供ねー。まあ彼の方は後回しにしてチビ鳥を見下ろす。

 ウィリアムの方を見てニヤッとしていたチビ鳥は、私の動きを察してすぐに表情を取り繕った。

 うん、まあ、どっちもどっち……。


「ねえ鳥さん、あなたこそ、もうどこも痛くない?」


 チビ鳥は嬉しそうに頷いた。

 私は傷だらけなのを治しただけで、束縛の魔法から解放されたのはそれによって回復した不死鳥自身の力だろう。もう脅かされる心配もないから暴れもせず穏やかでいるんだと思う。その推測は間違ってはいなかったようで、そこも訊けばチビ鳥は何度も頷いた。


「ところで私はどうやって助かったの? 火傷もないし、落ちて無事な高さじゃなかったのに生きてるじゃない? どうして?」


 チビ鳥は言葉を喋らないみたいだし、ウィリアムへと説明を求めれば彼は組んでいた足をのっそりと組み替えて閉じていた瞼をゆるりと持ち上げた。う、まだご機嫌斜めだわー。


「君がそいつの主人になったからだ」


 案の定ウィリアムは面白くなさそうな声全開でチビ鳥を睨み付けたけど、端的過ぎて説明になってないわよ。


「主人って、飼い主ってこと?」

「そんなようなものだな」

「え、精霊って飼えるの? 餌とか知らないわよ。鳥の餌でOK?」

「精霊にそういう物理的な食べ物は必要ない。彼らは彼らの世界にあるエネルギーを主体として存在を維持しているらしいからな」

「へえ、何か凄そうだしよくわからないけど餌要らずなのね。じゃあ飼えそう」

「……」


 ウィリアムは間違いなく呆れたようだった。眼差しがおいおいって言ってた。


「とにかく、君がそいつを救いたいと心から真摯しんしに願い、実際に救い、それによってそいつは君を護るべき主人として認めたんだろう」

「……そうなの?」


 彼の言葉を疑うわけじゃなかったけど本人……というか本鳥?に確認すれば、チビ鳥は肯定の代わりに手に頭をすり寄せてきた。強面だけど可愛い~。

 気持ち良さそうに目を細めるそんなチビ鳥を撫でながら嬉しくなる。

 この子を助けたいって願いが叶ってホントにホントに良かった~。


 ウィリアムによれば、私の火傷は不死鳥が全部治してくれて、落下の衝撃もその羽毛に包まれて受けなかったって話。


 それに主人特権で不死鳥の放つ熱を熱いと感じないのはどうも私だけで、触れられるのも私だけみたい。


 実際、半信半疑な顔をしていたからかウィリアムがチビ鳥に手を伸ばしたけど、本当に触れなかったもの。

 更にはすぐに指を引っ込めたウィリアムが微かに顔をしかめた。

 見れば、彼の指先は真っ赤になっていて、火傷を負ったんだってわかった。

 いつしたのかなんて愚問はいくら私でも出て来なかった。

 私は身を以てその熱さを知っていたから。痛覚に流れた焼き切れんばかりの痛みを思い出しかけて我知らず体を強張らせたのは内緒。


 私に証明してくれようとしたからウィリアムは火傷を負った。


 彼は自己治癒魔法でさっさと手を治したから良かったけど……全然良くない。

 その後は、助かった経緯もわかったし周囲の経過も聞かせてもらったものの、私の口数はめっきり少なくなって沈黙が続く時間が多くなった。

 お行儀よく膝の上に収まったままのチビ不死鳥も心配そうに私を見上げてくる。


「アイリス、俺の手はもう治っただろう? 心配は要らないんだからいつまでもそんな辛気臭い顔をしないでくれ。鬱陶しくてこっちの方が気が滅入る」

「ちょっとそんな言い方って……」


 少しムッとしちゃったけど、彼は故意に私を怒らせようとしたんだってわかった。

 まんまと彼の意図にはまったけど本気で腹は立たない。だってあなたは私の気持ちを軽くしてくれようとしたんでしょ?

 だったらその厚意を無にはしないわ。

 私は背筋を伸ばし、一つ息を吐き出した。


「ウィリアム、それと鳥さん」


 一人と一羽を交互に見据えて、私はありったけの感謝を込めた。


「丸々全部、どうもありがとう。生きてるのはあなた達のおかげよ」


 無事に最後の死亡フラグも叩き折った。


 これで当分は安泰よ。それだけでも晴れ晴れとした気分になれる。

 二者がそれぞれ安堵したように雰囲気を和らげたところで、ふと私は視界に入ったとある物に意識を持っていかれた。

 今更気付いたのって感じだったけど、ウィリアムのすぐ背後にあるテーブルに一冊の書物が置かれている。


「あ、日記……」


 それは書物じゃなく日記だった。


 私の相棒の大事な大事なアイリス日記だった。


 それがどうしてか、まるでどこか別世界の静謐せいひつの中にでもあるように、或いはどこにでもある単なる一書物のように、ただ横たわっていた。

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