8 ウィリアム・マクガフィンは侮れない2
私に向けて綺麗な笑みを浮かべるウィリアム・マクガフィン。
心の籠らない笑みがどこか胡散臭い。
「こっちは暇じゃないって言ってるのに、人の話聞いてた?」
「相談に乗ってやると言っているんだ。何か重要な問題を抱えているなら知恵は多い方がいいだろう?」
鋭いわね。
バレても罰せられたりしないなら、あなたの手だって猫の手だってきっと借りてた。
でもこれは自分だけで解決すべき極秘案件、このどこか心が冷めてそうな男に知れたら最後って感じだわ。
「どうぞお引き取り下さい」
イケメンスマイルに対抗する形で営業スマイル全開で部屋の入口を掌で示せば、ウィリアムはふんと余裕そうに鼻を鳴らした。
「一つ訊く。君はアイリスではないんだろう?」
「――ッ!?」
突如として言い当てられ、思わず息を呑む。
「ど、どうしてそう思うの? どう見ても私はアイリスでしょうに」
「人格が違い過ぎる。心を入れ替えたとか言う次元じゃない」
「……」
アイリスを演じる義理はないなんて思わなければ良かった。日記に事細かに聞いてそれっぽく振る舞ってれば良かった。
彼の言う通り私はアイリスじゃない。
南川美琴よ。
でも、彼は間違ってる。
「あなたがどう思おうと、私はアイリスよ」
最早アイリス・ローゼンバーグでしかない。
これだけは私自身でも覆せない事実。
ただそうは言っても、こうして指摘された以上下手に隠さない方が身のためかもしれない。
そもそも無理して隠してもどうせ貴族令嬢の嗜みなんてゼロだし、根本の振る舞いからして元のアイリスじゃないって違和感を持たれるのは時間の問題だわ。
正体の露見に恐恐として張り詰めた日常を送るなんて真っ平よ。
第二の人生は余計な気苦労をしょい込まず気楽に生きたい。
……まあ既に手遅れ感は半端ないけども。
「だけど、以前のアイリスじゃないアイリスだって思ってくれていいわよ」
この言葉をどう受け取るかは彼次第。
でもまさか私が素直に認めるなんて思わなかったのか、ウィリアムは暫し無言でこっちを見つめた。
今の台詞を彼なりに吟味しているのかもしれない。
まあねー、常識的な会話内容からは些か逸脱してるから、家柄や容姿だけじゃなく頭もきっと良いんだろう彼が真偽を悩むのも頷ける。
「別に誰にどう吹聴しても構わないわよ。まあそういうわけだから出てってくれない? ちゃんと、明日の午前中にでも婚約の件を話し合うって約束するから。受けるかは別としてね」
今夜を乗り切って生きてたらだけど。
ウィリアムはまだ探るように見つめてくる。
「ところで、――アオイというのは誰だ?」
「へ……?」
納得したのか何なのかは知らないけど、いきなり不意打ちきたーッ。
まさか彼の口からその名が出てくるとは思わなくて、ビックリした。
私の個人的な呟きなんて完全スルーだと思ってたのに。
「だ、誰でもいいじゃない。あなたには関係ないわよ。言った所でわからないだろうし」
「わからないかどうかは聞いてみなければ言及できないだろう」
「それはそうかもしれないけど……」
「だから話してくれ。仮にこのままニコルと結婚したとしても、君に不適切な男がいれば親類であるこちらにまで害が及ぶかもしれないだろう。だからきちんと把握しておきたい」
「はああ!? 不適切だなんて失礼ね。断言するけど醜聞にはならないわ」
「信用できない。何しろ君は色々と酷い事をやらかしたアイリス・ローゼンバーグだからな。話すまで居座るぞ」
ウィリアムはしれっと言って窓の外に視線を投げる。
むう~~~~っ!
何なのもうとことん面倒な男ね! ホント何を食べてどう育ったらこんな腹黒イケメンが出来上がるんだか。是非ともレシピを教えてほしいわよ。
現代のゲームやラノベの概念に触れてもいない人間相手に「異世界の前世の元彼です」って言ったって、どうせ通じやしないのに。
怒るか失笑を誘うかって気がするわ。
まあだけど逆に考えれば、言ってもどうせわからないんならこのまま黙っている必要もないんじゃない?
こっちは正直に話すんだから、咎められる筋合いもなくなるし。
「そうまで言うならわかったわよ。でも意味がわからなくてもそれは私の責任じゃないんだからね。わかった?」
「ああ」
「ならいいわ。葵って言うのは、私の恋人だった男の名前よ」
告げてやれば、彼は明らかな嘲笑を口元に浮かべた。
「なるほど。俺に散々言い寄ってきていた割にちゃっかり恋人がいたのか。……二股かけていたとは、浅ましい女だな」
「――違うっ!」
思わず噛み付くように
彼はアイリスに対して言ったのであって美琴に言ったわけじゃないのに、何をムキになってるんだか。
でも、痛かった。
葵と別れた原因は、私が二股かけてるって思われたせいだったから。
そんなんじゃないのに、信じてもらえなかったってショックで強く否定する気も起きなくて、二人でいても次第に空気がぎこちなくなっていって……。
葵にもこんな必死さで違うって言えなかったのに、今更自分と重なって反論するなんて馬鹿よね。
アイリスだってこんな言われようは不憫だわ。
一瞬の私の剣幕には、さすがの彼もちょっと驚いたようで黙りこんでいた。
「ホント、そんなわけないじゃない。アイリスは……あなたの知るアイリスは、少なくともあなた以外の男なんてどれも道端の石ころでじゃがいもで、眼中になかったんだから。そういう邪推はやめて」
この点だけはアイリスの肩を持つ私は、随分と真面目な面持ちになっていたのかもしれない。
どこか皮肉るようだったウィリアムも神妙そうにした。
ただその目には謎を解こうと核心に迫る探偵のような、そんな慎重さが見え隠れしている。
「だとすると、君の話には矛盾が生じる」
「それはそうよ。葵は私の前世の恋人なんだもの」
「前世……だって?」
ああほら案の定わけわからないって感じになってるわ。
この世界に異世界転生の概念があるのかは不明だけど、予期せずそんな発言をされれば最初は誰だって不審に思うわよね。
それはまあ仕方ない。
「ええとそうね、元のアイリスはあなた一筋だけど、今のアイリス、つまり私はそうじゃない。葵は異世界人で……って異世界って言い方が意味不明なら、私の夢の中の恋人だったって思ってくれてもいいわ。その方がわかり易いかも。どうせ葵はこの世界には存在しないから」
「異世界……夢の中……」
ウィリアムは思いもかけなさ過ぎて呆気に取られたような微妙な顔付きになっている。
ええ、ええ当然の反応よね。
自分でも言っててイタいって言うか、中二なのって突っ込みたくなってるわよ。ええ、ええ。
そんなささくれた乾いた半笑いでふと窓外を見ればだいぶ夕暮れが深まっている。
うっそ何てこと……! 余計な話をしてたせいだわ。
「……それで? アオイというのはファーストネームなのか? それともファミリーネーム?」
「ちょっとー! もう夜になっちゃうじゃない! ああああもう本気で帰ってお願いだから!」
サッと顔色を変え大きく慌てた私は、まだ居座ろうとするウィリアムの腕を引っ張って立たせるや、問答無用で部屋の外まで背中をぐいぐい押しやった。
「おいアイリス」
「怒っても凄んでも蔑まれてももう今夜は時間がないの! それじゃあね!」
「夕食はどうするんだ?」
「少なくともあなたとは食べないから安心して! じゃあね!!」
「お…」
更に言い募ろうとしたウィリアムの目の前で、バタンとわざと大きな音を立ててドアを閉めてやった。
勝手に開けて入って来られないよう鍵を掛け、更に取手の上に設置されているチェーンをカチャンと高らかに鳴らして掛けた。
一応は少しの間ドアの前で耳を
施錠音が高らかに響いたのもあってか向こうも諦めたようで、一つ不愉快そうな溜息をつくと廊下を遠ざかっていく足音がした。
気配が確実に遠ざかるのを待ってから、入口のドアに背を預けて心なしホッとした息を吐き出した。
「これでやっと探せるわ~……」
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