7 ウィリアム・マクガフィンは侮れない1

 え? え? どうして彼がここに?

 また来るとは言ってたけど、てっきり明日以降だと思ってた。

 日記の方は人の気配に敏感なのかとっくにバルコニーに横たわって沈黙している。

 あーらら、これが浴室とか水気の多い場所だったらどうするのかしら。

 くくく、是非とも一度試してみたいわね。

 なんて悪企みをしていたせいか、私は彼の話を二、三聞いてなかった。


「おい、聞いているのか」

「あーごめんなさい。で、何?」


 一瞬黙ったウィリアムは明らかにムッとしていた。それでも忍耐力なのか怒り出したりはしなかった。


「俺は君と婚約すると言っただろう。だから悲観して死のうとする必要はないはずだ」

「死ぬって誰が?」

「君が」

「今の所そんな予定は微塵もないけど」

「何? 現に今手摺を乗り越えて飛び下りようとしていたじゃないか」

「あれは急に声掛けられてびっくりして手が滑っただけよ……っていうかさっきのメイドたちといい、人の部屋に勝手に入って来ないでよね」


 自分の早とちりとわかってばつが悪くなったのか、ウィリアムはややぞんざいに髪を掻き上げた。色気が駄々漏れる。ああ眼福眼福~って違う違う。


「何度ノックしても応答がなかったから何かあったかと思ったんだよ」

「ああそうなの。きっとバルコニーに出てたから聞こえなかったのね」


 ウィリアムは目覚めて初めて喋った時のように不機嫌そうな顔をしながらも、その青灰の瞳にはどこか案じる色がある。


「本当に死のうとしたわけじゃないんだな?」

「だから違うって言ってるでしょ」

「そうか。ならいい」


 これ以上ここにいても仕方がないし、日記を拾うとウィリアムを促して室内に戻る。

 彼は何か話があるのか、勝手に部屋の長椅子に腰を下ろした。客人と談笑するのにピッタリな皮張りの黒いソファに。

 でもどうしてこの人アイリスを心配してるのかしら。日記を見た限り全然脈なしだったけど。

 良くも悪くもアイリスは率直な少女だったようで、自分に良いような解釈や嘘は書かなかったんだって。そこは自称NPCに確認したから間違いない。

 だからこっちも客観的に出来事を判じられたわ。


 その結果、本当に全く望みはなかったって断言できる。


 だってこの男、アイリスを日常的に冷たくあしらうのは勿論、抱き付こうとわざとよろけたアイリスを避けて彼女を噴水に突っ込ませたり、夜会でのダンスにしても必要性を感じないとか言って衆目の前でバッサリ断って婚約者のニコルとだけ踊って恥をかかせたり、挙句の果てには虫の居所が悪かったのか晩餐会の席で指先を洗うためのフィンガーボウルの水をぶっ掛けたのよね。


 まあでも、彼はアイリス以外の女性にも素っ気なかったみたい。


 更には、状況説明まで詳しく記されてるアイリス日記をよくよく読み込めばわかるけど、こいつってば実際は噴水前でふらついたアイリスのことなんて初めから終わりまで一顧だにせず、気分が優れずうずくまった老婦人の元へと駆け寄ってたみたい。

 ……あれ?


 それってそもそもアイリスに気付いてなかっただけじゃない?


 夜会での無情については、妹のニコルは婚約者だからローゼンバーグ家の顔を立てて踊っただけであって、他の令嬢とも一切踊らなかったみたいだし、断り方もアイリスへの対処に負けず劣らず辛辣だったとか。

 ……ん?


 ある意味平等じゃないのそれ?


 フィンガーボウル水ぶっかけ事件の方も、その時キャンドルの火がアイリスのドレスの袖を焦がしていたから大事に至る前に消えて良かったみたいだし……ってちょっと待って、全部について彼が敢えて何かしたってわけじゃないわよね?

 ああ、だからアイリスは散々冷たくされても諦め切れなかったのね。


 彼には気もなかったけど悪意もなかったから。


 でもそれが今はどうしたのか、助けてくれたのはまあ命が危険だと思ったからかも知れないけど、死ぬなと念押しするみたいに案じてきたのは解せないわ。

 どう言う風の吹き回し?

 私的には知り合ったばかりだけど、一度寝たくらいで心を変えるような男には決して見えないのに。

 まさか歯型の件の仕返しでもしようと何か企んでるとか?


 こっちが密かに心構えをしてローテーブルを挟んだ向かいの長椅子に腰を下ろせば、彼は優雅に足を組んだ姿勢で話を切り出した。


「アイリス、婚約の件で伯爵に話をしてきた」

「早いわね。でもだから何? さっきも言ったけど、私は気にしないから婚約相手はそのまま妹ちゃんでいいわよ」

「そうはいかない。体の関係を持った以上、その事実が他者に知られた以上、俺は君を放置すべきじゃない」

「へぇええ~。あなたの保身のために結婚しろって言うのね」

「それもあるな。君の方も不名誉なレッテルを貼られたままじゃ、この先嫁の貰い手がないだろう?」

「ああそれ? 別に生涯独身のままでいいわよ。それにほら私って悪女だし? あと一つ二つ醜聞が増えたって平気でしょ」

「……やはり今日はおかしいな。普段なら醜聞一つ増えるのも許さないだろうに」

「あはは人間時には心を入れ替えるとでも思って気にしないで」

「……自分の話なのに他人事に過ぎないか?」

「え、そう?」


 まあね、その通りだしね。今だって半分他人事だもの。

 目の前にある現実をああそうかってただ認識するのと、心からそれを受け入れるのって別物じゃない。

 心のどこかで自分は元の生活に戻れるかもしれないって思ってるのは否定しない。

 ウィリアムは眉間を寄せ、何やら難しそうな顔をして黙り込んだ。


「ねえ、他者からそうしろって言われて好きでもない娘と結婚して、あなたにどんな利益があるの?」


 日記には、王国の精神的シンボルたる神殿から下された託宣で彼はうちの妹ちゃんと婚約したって書いてあった。

 神殿の顔を立てて託宣に従う、それもまた政略結婚の一つの形って言っても間違いじゃないけど、普通の政略結婚みたいな合理的な利益があるのかは疑問だわ。

 大体、託宣を真に受けて実行させちゃう所が、迷信が跋扈していた中世世界染みてるわ。

 生まれも育ちも現代日本の私からすると、そんなで結婚を命じられたら即刻ブチ切れてるわよ。選択の自由はないのってね。あと恋愛の自由も。


「ねえどうなのよ?」


 挑発的とも言える私の態度に、彼は一つ息を吐き出すと背凭れに体重を預けた。


「俺に利はないな」

「えっ、それって酷くない? 普通金銭面で潤うとか何かあるでしょ? 何もないのにどうして結婚しようとするの?」

「王族の義務」

「義務って……」


 ああそう言えばこの人公爵家の息子さんなのよね。日記にそう書いてあった。ふうん血筋的に王族括りなんだ。

 話はちょっと逸れるけどだからこそ、彼女の姉であるアイリスが悪事を働いても周囲は中々に処罰に踏み切れなかったんじゃないのかしらね。将来的には公爵家の親類になる女なんだもの。

 話を戻すと、託宣ってざっくり括れば占いみたいなものよね。王子様相手にそこまで強制力があるの?


「たかが占いと思っているな?」

「えっ……まあ……」

「王家の権力基盤の半分は神殿にある。だから王家にとって神殿からの託宣は絶対だ。従わなければ……」

「従わなければ?」


 急激に深刻になった雰囲気に、私はごくりと咽を鳴らした。


「まさか火あぶり? 八つ裂き? 極刑なの? そこまで酷くなくても勘当とか追放とか? だからあなたそんなにしつこいの?」

「……しつこいだって?」

「あっ、ええと言い方が悪かったわ。とにかく、王子の地位を剥奪されちゃったりするかもだから、そんなに熱心なの?」

「従わなければ災いが降りかかるからだ」

「災いって、どんな?」

「わからない。今まで婚姻の託宣を受けて従わなかった者はいないらしいからな」

「へえ……」


 そんなの気の毒過ぎる~っ。もしも相手が百歳くらい上でも結婚しちゃってたってわけよね。


「でもそっか、災いが大きな無数の火球が降るとか凶悪ドラゴンに大地を焼かれるとか、そんなような世界規模のとんでもないものだったとして、あなたの結婚一つで防げるなら国としては安いものよね。人身御供も然りだけど」

「君の結婚でもあるんだがな」

「ええーと……言わせてもらいますけど、そんな急に答えなんて出せないわよ」

「託宣を実行しなければ追放や処刑の可能性もないとは言えないし、君の家にも君自身にも類が及ぶ可能性も否定できない。そういうわけだから観念するんだな」


 はあもう脅しなのか求婚なのかどっちよ。

 この男と結婚なんてしたら苦労しそう……ってああそんな悠長に未来を想像なんてしてる暇ないでしょ私!

 結婚なんて先のあれこれよりも明日さえ危ないんだった。

 魔法関連なんてド素人の私だもの、誰かに専門家を紹介してもらった方が手っ取り早いわ。


「あっねえ、魔法に詳しい人とか魔法使いにはどうやったら会えるかしら?」

「……いきなりだな。魔法使いに用があるのか?」

「猛烈にあるわ」


 命が懸かってるんだもの。

 きっぱり答えれば、彼は呆れたような目をした。


「君はこれまで色々やらかして魔法に接近するのを禁じられているだろうに、その監視の目を掻い潜って何をしようと?」

「え……」


 禁止されてる?

 なのにアイリスってばこっそり破滅魔法を仕掛けたの?

 悪役どころか、とんだ迷惑令嬢ね!


「じ、じゃあもしも禁止されてるのに私が魔法具を使ってるのを見つかったら……?」

「今度こそ投獄されるだろうな。まさか使っているのか?」

「そんなわけないじゃないオホホホホホ!」


 ああ、わくわく魔法ライフの夢が消えた……。

 じゃあ誰にも知られず魔法具を探さないといけないのね。

 何よこの悪役令嬢人生ってば、ハードモードよりもっと上のカオスとかアンノウンとかヘルとかのモードなんじゃないの?


「ご、ごめんなさいウィリアム、今日はこの辺にしない? 私実は忙しいの! だから納得できなくても矜持が邪魔をして引き下がれなくても、お願いだから今日は勘弁して帰って。後生だから!」


 本当はすぐにでも家宅捜索をしないといけないのに、すっかり日記読書で時間を費やしちゃったから夜十二時までの猶予も短い。必要な情報を得るためだったから後悔はないけどね。


 そして、魔法の件を彼に知られてはいけない。


 結婚を望んでたって必ずしも味方とは限らないもの。


「本っ当にのんびり話し合っている暇はないの。ええと例えばその~……押し入りメイド対策を講じるのに一秒だって惜しいんだから」


 それっぽい言い訳を盾に早く出てけとの念を込め、顔の前でパンと両手を合わせる。貴族令嬢っぽさを毛ほども感じさせないで頼み込めば、どこか呆気としていても絵になる超絶美形は、長椅子の背凭れから身を離しやや前に乗り出してきた。


「そうか、わかった」

「ホント? 良かった、じゃあ今日はこれまでってことで」


 予想外の潔さにホッとして、さあいざ家探しするかと意気込んでいると、


「是非とも聞かせてもらおうか。君の事情を」


 全然居座る気満々でにっこりとイケメンスマイルされた。

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