4 アイリス日記

「これっていわゆる明晰夢めいせきむってやつよね」


 夢だとわかれば、先の幾分ハチャメチャな登場人物たちにも「夢だから」という理由で納得がいった。得てして夢ってものは意味不明な内容が多いもの。


「でもどうやったら覚めるんだろ。頬をつねるとか引っ張るのは何気にもうやっちゃったから、次は頭をぶつけてみるとか?」

「アイリス」

「いっそのこと高い所から飛び降りる?」

「アイリス、聞いているのか?」

「でも怖いのと痛いのは嫌だなあ」

「アイリス!」


 ぶつぶつと独り言に専念していたせいか、両肩を掴まれ揺さぶられて我に返った。


「ええと、なに?」

「本当に覚えていないのか?」

「記憶にございません」

「俺は真面目に訊いているんだ。どうなんだよ」

「本当に覚えてないってば」


 こいつ妙にしつこいわね。

 ああもしかして、私が覚えてたら覚えてたでこの人も何か面倒を被るのかしら。理性飛んだとか言ってたし、黒歴史な何かをしでかしたの? だからしつこく覚えてるかって訊いてくるの?

 だとすれば対処は決まってるわ。


「まあそういうわけだし、あなたも気にしない方がいいわよ。婚約云々も一回ヤッたくらいでわざわざする程のことじゃないしね。お互い忘れましょ?」


 本音じゃそこまでカラッと割り切れないけどきっとどうせ夢だし、この際細かい部分に拘らないでこの世界を楽しもうじゃない。何なら夢の国のアトラクションの中とでも思おう。

 よーし今から私はアイリスアイリスアイリスー!

 彼は心底驚いたように両目を見開いた。そしてその目に悩んだような気配が過ぎる。


「――そうはいかないだろう」

「え、どうして?」

「これはこの国の規律上無視できない政略的な婚約、そして結婚だ。ニコルと破談になれば必然的に君としなければならない」

「えー何それーいつの時代よー。中世ヨーロッパの姫君とか明治大正のお嬢様じゃあるまいしー」

「……本当に何を言っているんだ?」


 独り言に近い私の文句に、彼はまるで表情を強張らせるようにして深刻さを濃くした。

 もしかしてついに私が支離滅裂なことを言ってると思って本気で怒ったの?


「いやええとね、乙女としてはそんなので選ばれても嬉しくないっていうかー……」


 かと言って跪かれて求婚されても応じられないけど。

 言い訳じみた不満を露わにすれば、じっとこっちを見つめていた彼は何を思ったのか張りつめかけていた空気を解いてしれっとした。


「そっちの念願叶ってこうなったんだし、俺はいわば被害者だ。だからアイリス、君には責任を取って必ず俺と婚約そして結婚してもらう。それが最も俺たちがウィンウィンになれる幕引きだ」

「……マジか。なんて夢なの……」


 令嬢らしからぬ言葉遣いで無意識に呆然と呟く私を、ウィリアムはどこか探るように見据えてくる。その眼差しの真意はわからない。


「はあぁ……どうせ夢なら、葵と上手く行ってた頃の夢見たかった」

「アオイ……?」


 一人ベッドの上で体を丸め両膝に頬杖をつく。

 経緯はどうあれ仮にも婚約するつもりの相手から、自分以外の男の気配を嗅ぎ取ったのか、ウィリアムはどこか警戒するような怖いくらいの眼差しになった。

 考えを改めた方がいいかもとか思ってるのかしらね。

 まあこっちとしてはその方が良いからフォローなんて入れない。

 結局それきり言葉数も少なくなったウィリアムは、きっちり紳士というか見栄えする上着を纏うと部屋から出て行った。

 惚れ惚れするくらい漫画の中の王子様然としていてすっごく様になっていたわね。まあ惚れないけど。


 ――また来る。


 そう言って去り際にこっちを見るその目には、躊躇いとも戸惑いとも何かへの猜疑ともつかない感情が見て取れて、最後にふいと逸らされたその横顔は、何かを酷く考え込んでいる様子だった。

 まあ下手に関わりたくないから、訊ねなかったけど。

 一人になれば、ようやく少しホッとできた。


「こんなリアルな夢は初めてだけど、変なこと尽くしだわ。大体何に着替えればいいわけ? この夢ハードモード過ぎ……」


 覚める気配もないのが焦りを生む。

 とにかくクローゼットやチェストを開けてみないことにはどんな服があるのかもわからない。

 毛布を体に巻き付けたまま引き摺って早速と室内を物色し始める私は、材質はオーク辺りだろう黒塗りの上品なチェストの中に、一冊の大きくて分厚い書物を見つけた。

 表紙は哲学書っぽい装丁になっていたものの、私はピーンときた。


「これってきっと――日記ね!」


 私もニセモノのカバーを重ねて家の本棚にマイ日記を隠しているからわかる。同じ臭いを感じるわ。

 二リットルペットボトルくらいはズシリと重いその本を手に取れば、案の定二重カバーになっていて、その下の本物の表紙が露わになった。


「ふむふむなになに、アイリス日記……ってまんまじゃない!」


 呆れるほどの文字のでかさで主張している。

 一見カリグラフィーみたいな字体だけど明らかにアルファベットじゃない文字だった。


「ん? って、えッ!? 何で私この字読めるの? 見たことないのに。やっぱ夢だから?」


 その時だ。

 両手で持ったその日記が白く輝き出した。

 急激な眩しさから反射的に手を離すと、重たいそれは足元に落ちるでもなくふわりと自ら宙に浮かび上がり、驚きの中両目を細めて見ていると、にょきっと黒い紐のような手足が生えて落書きのような目と口までが浮き出てきた。付け加えると掌部分はマジシャンみたいな白い手袋をしていて、手指はミニキャラ的に短い。


「は……? 何……?」


 そして、


「――NPC参上~っ!!」


 ドラ〇もんみたいな声だった。


「喋った……。それにNPCって、ゲームの?」


 呆けたままに呟くと、二つの目と一つの口のある本のゆるキャラみたいな顔の人面日記はドヤ顔を浮かべた。


「いんやゲームじゃなくて君の夢でもなくて現実だよ。ボクはここでの君の導き手というか説明書みたいなものさ! だからNPCって名乗ったまで。何度でも話しかけてね。色々と必要な知識を伝授してあげられるから。因みに読まなくても質問してくれればこのアイリス日記の内容を事細かに教えてもあげられる。何かある?」

「……」


 依然ポカンとしていると自律飛行も可能な世にも珍しい日記は、油性マジックで描き足した落書きのような手で私の頬をぺちぺち叩いてきた。


「聞いてるか~い? 南川美琴?」

「な、私の名前を知ってるの!?」

「当然~。ボクはこの世界の君のN・P・Cなんだから!」

「この世界?」

「うんそう。君の魂はこの世界のアイリスっていう令嬢の体に入ってるんだよ。だから今は君が正真正銘のアイリスさ」

「……え?」

「アイリス・ローゼンバーグ伯爵令嬢さ」

「いや固有名詞を具体的にしただけじゃない。そういうことじゃなくて……」

「ん~ふ~?」


 すぐには理解できずにいると、日記は出来の悪い教え子を優しく見るような目付きになった。外国アニメのスポン○・ボブっぽかった。

 スポンジ何ちゃらの方は別に何とも思わないけど、こっちは何か妙に腹の立つ顔だわ。

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