第9話 危機一髪
次の日、テストが終わり廊下に出ると、コウは教室の前でレイナに会った。家に遊びに来て、別れ際に抱きしめられた時の感触がよみがえり、どきりとした。シャンプーの良い香りが漂っていたっけ。
「今日も、図書室で英語の勉強していく?」
ぱっちりとした大きい瞳が美しい。その眼でじっと見つめてくる。
「もう英語は十分勉強したから、大丈夫そうだ。ありがと。残って数学の勉強していくから」
「わかった、じゃあ先に帰るね」
手を振って、笑顔を見せて去っていった。後ろを向いた時に揺れた髪の毛が美しい。スカートの下の足もすらりして長い。
図書室に行くと、真由が奥の方の席に座っていた。こちらをちらりと見て目が合った。
「隣に座るね」
コウはリュックの中から数学のノート、教科書、問題集を出し手広げた。真由は問題集を指さしていった。
「説明してほしいところに〇をつけてきた」
〇がついたところを一通り見て、分かりやすい所から順に説明することにした。問題を解いている途中で、何度か真由が質問し、最後の問題までたどり着いた。
「今日はコウに教えてもらってよくわかった。今までわからないところを、そのままにしておいたつけがきちゃったみたい」
「俺もちゃんと説明できて、よかった。またわからない問題があったら聞いて。全部説明できるかどうかはわからないけど」
今日も一つ進展があり、一歩前に進めたような気がした。
顔を上げて窓の外を見ると、いつの間にか、空が茜色に染まっていた。勉強道具をリュックに入れ、図書室を出る頃には、茜色をしていた空が、いつの間にか灰色がかってきた。
「寒くなってきた。急いで帰ろう」
「もうすぐ暗くなりそうね。十分後ぐらいにバスが来るみたい」
真由がスマホをチェックしていった。二人は、バス停へ急ぎ足で歩いた。
交差点を曲がり、あと二十メートルほどでバス停に着くというところで、コウは突然肩に衝撃を受けた。誰かとぶつかり、その反動でよろけて転びそうになった。暗かったのと、急いでいて前をよく見ていなかったせいでぶつかってしまったのかもしれない。
「あっ、すいません!」
なんだか嫌な相手にぶつかってしまったようだ。ガタイのいい三人組が目の前を遮った。そのうちの一人が、前に立ちはだかっていった。
「おい、どこ見て歩いてんだよ! 痛いなあ」
三人の中でも一番肩幅があり、背格好の大きい男が怒鳴った。他の二人も、それに勢いをつけたように後ろで睨みを利かせている。相手は、手にスマホを持っている。相手の方がスマホを操作しながら歩いていて、前を見ていなかったのだ。どう考えても、相手の方が悪い。歩きスマホはだめだ。
「おう、兄ちゃんたちカップルかよ?」
「高校生なのに羨ましいねえ」
意味もなくいちゃもんを付け絡んでくる。こちらに非がないことは明らかだが、とりあえずコウは謝まった。こういう時は関わらないほうが得策だ。
「すいません、よそ見しててぶつかってしまって」
真由が一緒にいるんだ。とにかくこの場をどうにか切り抜けなければならない。不本意ながら真由も一緒に謝った。
「おしゃべりしてて、気が付かなかったんです。すいません。悪気はなかったんで……」
最初に因縁をつけてきた一番体格のいい男が、一瞬真由の方を見た。
「おう、ねえちゃん可愛いねえ。こんな青白いやつ相手にしてないで、俺たちと遊びに行こうよ!」
いい終わらないうちに、男の手が真由の腕に伸びた。いうが早いか、ぎゅッと掴んでいる。
「嫌よ!」
手を掃おうと腕を引っ張ったその時だった。
「おいやめろよ!」
コウは手を振り上げた。男の手を振り払おうとして間に入り、何と悪いことに男の頬に当たってしまった。自分のとった行動に、自分で驚いていた。こんな行動はいまだかつてとったことがない。
「なんだ、こいつ。弱っちいくせにやる気か! 怪我しないうちに帰った方がいいぞ!」
「真由に手を出すな!」
コウは、自分でも思っていないほど大きい声を出し、相手を睨みつけていた。ああ、これでは喧嘩になってしまう、と内心震えていた。
「てめえ、上等だ!」
矢張りこうなってしまった。男は叫びながらコウの顔面目掛けてこぶしを振り下ろした。コウも咄嗟に腕を上げ顔面を守ったのだが、パンチは防御しようとした腕にまともに当たり、その勢いで後ろに跳ね飛ばされ、地面に勢いよくぶつかりドスンと尻餅をついた。
「きゃあ! やめて! お願いだから!」
真由が悲鳴を上げた。隣で見ていた仲間たちが、殴った男に言った。
「あんまり女に騒がれると、人が来るぜ!」
「こんな連中相手にしてないで、早く行こう!」
地面に座り込んでいるコウの傍らに、真由がぴったりとついて成り行きを見守っている。ああ、どうかこれで終わりますように。
「今日はこのくらいで勘弁してやる!」
リーダーらしき男は、二人を一瞥して踵を返した。
「御免、俺のせいで。嫌な思いさせちゃって……」
コウは情けなくて悔しくて、唇をかんだ。しかもまともなパンチを食らった腕は痛くて、痺れている。思わずぎゅっと腕を押さえた。
「腕、どうにかなってない? 見せて!」
コウは、袖をまくってみて、口惜しさがさらに増した。当たったところが内出血していて、真っ赤に腫れ上がっていた。
「まともに顔面に当たらなくてよかった」
「怖かったでしょ? コウが喧嘩するの見たことないもん。御免ね。コウ、ありがとう」
真由はいつの間にか涙ぐんでいた。手を出してしまってから、どうなることかとひやひやしていた。二人は去っていった三人組の男たちから逃げるように、バス停へ急いだ。
突然、職員室の前で真由に好きだと告白したのは一か月ぐらい前のことだ。もうはるか昔の事のような気がする。毎日が緊張の連続だった。その時に、真由に好きな人がいるかどうか聞いて、確か関係ないと答えていた。今聞いたら何か返事が訊きだせるだろうか。いや、質問するのはやめておこう。心配しすぎていい結果になったためしがない。
ようやくバスに乗り、座席に座ると、二人は安堵の溜息をついた。コウは、ほっとしてどっと疲れが出た。このぐらいで済んで良かった。半殺しの目に会って、真由まで連れていかれたら、と思うと恐怖に打ちのめされた。それからあいつら仕返しに来なければいいのだが、と不安が募っていた。
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