第41話 D・Dは、「出る釘」だった。だが自分はベースボールが好きなのだ。
「あと一人」
その言葉が、マーチ・ラビットの中で大きく響いた。9回表の自分達の攻撃は、結局無得点に終わった。どうしても、この一点を守るしかない。
あの時の様に、自分とも誰ともつかない名前を連呼されることは無くなった。その代わりに彼に集中するのは、この試合の行方だった。
連合に参加できれば、この星系でリーグの公式戦をすることも多くなるだろう。ベースボール・ファンにとって、それはたまらないことに違いない。
今までは、この地のローカル・チーム同士の対戦しかできなかった。たまに来る招待チームは、レベルが違いすぎた。
しかし参加が可能になれば、状況は変わるのだ。
たとえ当初は下のリーグに居たとしても、上がる可能性が約束される。あのコモドドラゴンズが、ナンバー3に落ちるかどうかの瀬戸際から、ナンバー1リーグにのし上がってきた様に。
その時の姿を、観客はD・D=マーチ・ラビットに重ね合わせている。当の本人が、それを一番よく知っていた。
そして彼は、と言えば。
ぱんぱん、と最後の打者を前にして、ロージンパウダーを手にしながら、地面に目をやる。
全てがすべて、戻ってきた訳ではない。
細かい所など、全く判らないし、おそらくは子供の頃の記憶など、ぼんやりとした光の中、という印象でしかない。
光の中で、自分は顔も思い出せない誰かと、ベースボールをしていた。
もう少し鮮明な記憶の中でも、ベースボールをしている自分が居た。
だが何を考えていたのか、まるで判らない。そこには、光が見られなかった。
楽しくは、無かった。
いや、始めは楽しかったのかもしれない。
ナンバー2リーグでどんどん勝ち進み、とうとう優勝した時には。
飛ぶ紙吹雪。歓声。ゆっくりとした、光に包まれた光景。
なのに、その光が、次第に色を無くしていった。
他人事の様に、その光景が、彼の中を通り抜けて行く。彼は投球モーションを取る。振りかぶる。投げる。
「ストラーイク!」
アウトコースぎりぎりの球に、審判はそう判定を下す。
落ち着いて、とばかりにヒュ・ホイはマスクの向こう側でにっこりと笑う。このまま、野球をやらせてやりたい、と彼は思う。こんな連中と、やって行けたらいい、と思う。
他人事の様に過ぎて行く光景の中で、彼は孤立していた。
彗星のような登場と、突然のチームの快進撃。
自分一人に理由があった訳ではない、と当時の彼は思っていたのかもしれない。彼が発端であったかもしれないが、チーム全体も、彼に奮起されて、強くなっていったのだ。
だが、周囲はそう見なかった。彼一人の力で、強くなった様に、報道した。
少しだったら、それはまだ良かったかもしれない。
だが、報道はエスカレートするばかりだった。実際彼は絵になった。映像媒体にはうってつけの素材だった。放送の視聴率は上がり、雑誌の売り上げも違う。利用が利用を生んだ。
当の本人は、そんなことはどうでも良かった。ただベースボールをやっていられればそれだけで良かった。
なのに、周囲がは口を揃えて言う。「そんな訳がないだろう」
本人は、どうでもよかったから、沢山の報道に、いちいち適当に答えていた。
何も考えていなかったのかもしれない。ただ目の前に飛ぶ蠅がうるさいから振り払っていただけ、という意識だったのかもしれない。
それが、当のチームメイトから反感を買う羽目になるとは、彼自身気付いていなかったに違いない。
今になれば判る、と彼は思う。誰でもない、ただの「でかウサギ」である今であれば。
当時の周囲は「違う者」に敏感だった。
それが同じ仕事をしているのに、自分より優秀で待遇も良い者だったら。自分が欲しいものをどうでもいい様に扱われたら。
誰もがそう考えていたとは限らないが、そう考える者は居ただろう。そのくらい、当時のベースボール・ヒーローは、世間に疎かった。
だから、気付いた時には、自分の首が絞められて呼吸困難になる寸前だった。
俺は違う、と叫んでも、誰も聞く耳を持たなかった。
自分はただ、ベースボールが好きでやっているだけなのに。
連盟が、内乱続きで悪名高い星系への派遣を、新参者のチームに命じた時、真っ先にその理由に連盟に対するD・Dの態度を持ち出したのは、他ならぬチームメイトだった。
何故そんなことを言われなくてはならない、とD・Dは思った。
そんな場所に行って、もし何かがあったらどうする、と責められても、どう答えたものなのか判らなかった。そもそも何故それが自分のせいにされるのかが、彼にはさっぱり判らなかった。
出る釘だ、とマーチ・ラビットは考える。D・Dは、「出る釘」だった。
第二球。
ど真ん中へ、力を込めて投げる。打者は少しだけ振り遅れて、ライト方向へファウル。ふう、と彼は息をつく。
もう若くはない。昔の様に飛ばして行くことはできない。必要も無い。
時間は、紛れもなく、彼の身体にも内側にも流れていた。
今なら、その時のチームの事情も、理解できる。
何故自分が初めは歓迎されたのに、次第にそうでなくなっていったのか。自分のどんな発言が、連盟に反感を買わせたのか。そしてその「発言」の大半は自分自身の言葉ではなく、報道が言わせた言葉だったのか。
だから彼は逃げた。
D・Dという名を、どうしても告げる訳にはいかなかった。
たとえそこで、テロ行為の犯人の一味と目されたとしても、その時の彼にはどうしても。息ができなくなる前に、逃げなくてはならなかったのだ。
無責任にも程がある、と今の彼なら思う。
だが今判ったところで、過去を変えることはできない。もしそれが可能だったとしても、彼は変える気もなかった。
自分はなるべくして、ここにこういう形で居るのだ、と彼は思う。
その上で、思う。
自分はベースボールが好きなのだ。こうして、試合をすることが、楽しいのだ。勝ちたいのだ。
ぐっ、とボールを掴む。最後の一球となるだろうか。
ヒュ・ホイのサインにうなづき、彼は大きく振りかぶった。
歓声が、球場全体にわき上がった。
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