第31話 「何処だって、戦場みたいなものじゃないですか? 生きてくためには」
いつの間にか2アウト、走者は一、二塁となっていた。そして迎える打者はテディベァルだった。
「あらお行儀の悪い」
「お、お行儀って」
「だってほら、せっかくのユニフォームをあんなにひらひらに」
「きっときっちりした服が嫌いなんですよ」
「あら、ユニフォームって動きやすいものだと思うけれど?」
「そういう意味ではないと思います……」
そうなの、と彼女はまだ腑に落ちない、と言った調子で首をかしげる。
「私はね、キディ君」
はっ、として彼は彼女の方を向いた。
名前を言っただろうか。
でもいや、自分はイリジャと話していた訳だし、何処かで名前は出たのかもしれない。そう自分を納得させる。どうであったか、すぐ前のことなのに、記憶が混乱している。
「こう言っては何だけど、ああいうユニフォームがとても楽で楽で楽な服にしか思えない様な暮らしをしてきたのよ」
「そうなんですか?」
「そうよ」
しかしそういう彼女は格別動きにくそうな服を着ている訳ではない。ただ、すっきりしたデザインで、上等そうだな、とはキディにも判った。
「だってそうでしょう? 自分のサイズにぴったりさせている訳ではないのに、身体が楽に動く様な服って」
「でも、スポーツですよ?」
「スポーツするにしても、私には私に合ったものを、と作らされたから」
それは、もしかしてかなり上流階級に属するひとではないだろうか。彼は返す言葉が見つからなかった。
「自分の身体に合ったものを、わざわざ作らせるの。だから身体に合っていないものを身につけたことはないわ」
彼女は念を押す様に言う。
「それも、そうなんですか?」
「ええ。野球観戦をしても悪くは無い格好、という奴ね」
それにしては少々上品すぎる、とは思うが。でもまあ、「野球観戦をする貴婦人」だったら納得がいくだろう、と彼はうなづく。
「だから、きっとそれが一番いいことだ、と私はずっと思ってきたのよ。一番いいものを、そのひとの個性に合わせて作らせるってことが」
そうだろうか。彼は軽く目を細める。間違ってはいない、とは思う。だが。
「何か言いたそうな顔ね」
「……ええちょっと」
「たぶん、あなたの方が正しいと思うわ」
「俺が、何を言いたいか判るんですか?」
「正確に、判る訳じゃあないわ」
彼女は少し黙って、フィールドに視線を移した。
「それにしてもねばるわね」
「そうですね……」
そうだった。バッターボックスのテディベァルは、もうずいぶん長い間、その中に居る。
「あ、また……」
かつん、とバットに軽く当てて、テディベァルはボールを背後のネットに当てている。
ファウル! と審判の声が聞こえてた。もう何球、あの打者は当てているのだろう。
オペラグラスを開いて、キディは打者の表情をうかがう。
ヘルメットからも、納まりきれない髪がぴよぴよと跳ねて飛び出している。何やら口が上下しているのは、ガムでも噛んでいるのだろうか。
どう見ても、真面目そうな態度ではない。真面目に投げているだろう投手が苛立っているのも、オペラグラスごしに露骨に判った。
「でもあの子は頭いいのね、きっと」
「頭がいい?」
「サンライズの今の投手のマッシュは、岩石頭なのよ」
「岩石い?」
キディは思わず眉を寄せた。
「そう。すごくいいピッチングをするんだけどね。ただもう、ものすごく真面目すぎるのよ」
「へえ…… じゃあ、あのテディベァルっていう五番は、それを知ってあんなことやってるのかなあ」
「とは限らないけど」
くすくす、と彼女は笑う。
「でも、あの子の態度が、マッシュを苛立たせているのは確かね。いちいちファウルにしているけど、確実に球の乱れは出て来ているわ」
言われてみると、そうだった。主審がまたファウル! と高らかに叫ぶ。
お、とキディはその時声を立てた。捕手が立ち上がったのだ。無駄に体力と時間を掛けるのはやめろ、とでも言うのだろうか。走者が一、二塁に居るというのに、どうやら捕手は敬遠策に出る様だった。
「だったらもっと先にそうしておけばいいのに」
「だから真面目だって言ったでしょう? マッシュはそういうのが嫌いなのよ」
「勝てば、勝ち、だと俺は思うけど」
「あら、そう思うの?」
不思議そうに彼女は問いかけた。まさかそう言うとは思わなかった、と言いたげな口調だった。思いますよ、と彼はつぶやく様に返した。
「どんなことをしてでも――― そりゃあ、程ってものはありますけど……生き残ったら、それで勝ち、だと俺は思うけど…… うん」
彼女はそれに答えない。言葉が足りない、とキディは思う。言いたいことを上手く言い表せない。もどかしい。
「だって、……そりゃあ結果が全て、とは俺も思わないし、卑怯な方法で生き残る、ってのはそりゃ、後味は良くないけど……」
彼女は軽く首をかしげた。
「でも、生き残ることが、一番だと俺は思うし。生き残らなかったら、楽しいことも苦しいことも、やってこないし。やってこないと、楽しいことを、掴むことも、できないし」
「まるで戦場でも走ってきたみたいな言い方をするのね」
「戦場?」
そうかもしれない。
キディは思う。
あの冬の惑星は、生き残るということに関しては、戦場の様なものだった。敵は至る所に居た。初めは看守である軍の人間達だった。次に、「仲間」の顔をした、飢えた奴らだった。
辛くなかったと言ったら、嘘なのだ。何も余計なことを考える余裕も無い程、キディはあの惑星で、気持ちを張りつめていたのだ。おかげで今でも時々、表情の出し方を間違える。
今はその状態から解放されている。友達と一緒に、美味しい食事をし、ベースボールの観戦などしている。楽しいことだ。あの惑星に居た時、こんな時間が持てるなどと、考えもできなかった。自分自身が、もっと子供の時、どんなことをしていたのか判らなかったから、こんな楽しい日々があるということすら、判らなくなっていたのだ。
「何処だって、戦場みたいなものじゃないですか? 生きてくためには」
「そうよね。それは私も判るわ」
彼女は真剣な顔で、グラウンドを見据えた。投手のマッシュは、セットポジションから、サイン通りの敬遠の球を投げた。
その時だった。
球は、テディベァルのアウトコース高めにぐん、と上がった…… はずだった。
捕手が手を伸ばす。
その捕手は、打者の叫び声を聞いた気がした。いや、叫び声というよりは、雄叫びだった。
テディベァルは軽く膝を曲げると、勢いよく飛び上がった。
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