第10話 総合食品産業クロシャール社代表のヒノデ夫人
「まあ」
ヒノデ夫人はぱっと花が咲くような笑みを浮かべ、頬に両手を当てた。
「さぞグラウンドでこの姿は映えることでしょうね」
「全くです」
話を合わせている相方に、マーチ・ラビットは思わず殴りたくなるような衝動を覚えた。
やがて食事が運ばれてきて、彼はあれ、と目をむいた。
こんな席だというのに、その料理はきちんとした「目から楽しむ」ものではなかった。むしろ、大皿料理に近い煮込みである。
そして揚げた肉饅頭に、串に刺した肉。甘い香りの紅茶。
「お持ち致しました。本日のコースはサイトマリン風でございます」
ボーイは説明する。
「お茶とお酒のお代わりが必要な時に呼びます」
ヒノデ夫人は下がる様にボーイに指示した。
かしこまりました、と一礼するとボーイは下がる。
「どうぞ自由に取り分けて」
夫人はマーチ・ラビットに向かって言った。は、と彼はやや恐縮しながらも、皿にまず煮込みと揚げ饅頭を取り分けた。赤い色の煮込み料理は、何処か懐かしい味がした。
「豆、ですね」
「ええ。大豆を柔らかくなるまで煮たものよ」
トマトに人参、じゃがいもに大豆。塊の肉がごろごろとしている。およそ洗練とは無縁の煮込みだった。
「う…… わ」
半分に割った揚げ饅頭は、まだ中身が非常に熱かった。挽肉と玉葱をよく炒めて、パン生地にくるんで揚げてある。軽い塩味しかついてはいなかったが、舌の上でとろりととろけた。
そして串に刺した肉。玉葱を半月にしたもの、ピーマンを半分に切ったものが一緒に刺してある。何のへんてつもない、ただ直火で焼いただけのもののようだった。
「この店は、お客の注文に応じて、地方料理のコースを作ってくれるの」
夫人はにこにこと笑みを浮かべながらそう付け加える。はっとして、マーチ・ラビットは顔を上げた。
「いい食べっぷりだこと」
「すみません」
「謝らなくてもいいのよ」
そしてその斜め前で、ビーダーがどうだ、という顔で彼を見ていた。マーチ・ラビットは肩をすくめる。
「では試合の日を本決まりにしていいのね」
「はい。お約束通り、一週間後でいかがでしょう」
「私の方は構わないわ。彼らは皆、毎日そのために練習をしているのだから」
「……あの、少し話が見えないのですが」
話していた二人の視線がマーチ・ラビットに集中した。
「確かにベースボールをするということで、俺はかり出されたのですが、一体、何処と対戦するというのですか?」
あら、と言う顔でヒノデ夫人は首を傾げる。結い上げた頭から、ぽろん、と一房栗色の巻き毛が落ちた。
「あなたまだ、この方に話していなかったの? ストンウェルさん」
「ええ」
ストンウェル、とエッグ・ビーダーが名乗っていることを彼は初めて知った。それはずいぶんとまともな名前に聞こえた。少なくとも、自分の名よりは。
「マーティ・ラビイは何せ小心者ですから」
「そうはお見えにならないけれど?」
「いえいえ、オープン・ドムで、サンライズと戦う、となったら」
「何?」
彼は思わず立ち上がっていた。
「サンライズ?」
その名は、横流しをする当のビールの名前であり、クロシャール社の持つベースボールのチームの名前だった。その位は彼も知っていた。時々TVで、星域内リーグの対戦を見たことがある。そこは決して弱くはなかった。
「紹介するよ、マーティ。この方は、クロシャール社の現在の代表、ブランカ・ヒノデ・クロシャール夫人だ」
「だ」
いひょう? と思わず口が叫びかけたのをかろうじて止めたのはそれでも彼の「仕事だ仕事だ」という自制心のおかげだったと言えよう。
えーと、と座り直しながら、彼は自分の「知識」の中のクロシャール社に関する件をピックアップしてみる。
クロシャール社は、ビールを中心とした、総合食品産業である。他の大陸において、自社所有の農園において、麦やぶどうを生産し、酒を生産する。居住する大陸以外の中で、それに適した場所を発見し、最初に占有したことが、この会社の勝利を決定づけた。
麦やぶどうは、古典的な酒の材料であるが、他にも、この惑星でしか穫れない、美しい淡い黄緑の果実のサンフォウ、赤い宝石とうたわれるロザで作られるものもある。それらは他星系へ輸出され、この惑星の外貨獲得に一役買っている。
創業はこの惑星への植民と同時期ということだから、かなり古い。首府の首相官邸と同じくらい古い。従って、その官邸との付き合いも、それと同じくらいに古かった。
当初は、本当にできたばかりの首府で、輸入される酒を扱うだけの店だったらしい。それがたまたま官邸に近く位置し、御用を仰せつかったことから、運命は変わったのだという。当時の代表には、輸入する酒を選ぶ目というものがあった。そして二代目には、行動力と、良い相方が居た。
そして数代が過ぎた時、クロシャール社は、このレーゲンボーゲン星系で最も有名な酒造業者となり、更に数代過ぎた時には、最大の食品産業となっていたのである。
ざっとそれだけの「クロシャール社の歴史」がマーチ・ラビットの頭の中で回る。
回りはしたが、だからどうだ、というところまでこの男はすぐには考えつかなかった。
「……だ…… がしかし、代表は確か男性の……」
ブランカ・ヒノデ夫人の夫である、トゥボエ・クロシャール氏が代表ではなかったのだろうか、とマーチ・ラビットは問いかける。
「ええ、半年前まではね」
「半年?」
「ええ。私離婚致しましたの」
「はあ……」
「元々私が先代の娘ですからね。私に味方する者が社内にも多かった。それだけのことだわ」
あっさりと言いながら、彼女は自分の皿にも揚げ饅頭を取った。さく、という音が聞こえそうなほど、見事に彼女はナイフと、押さえつけるためのフォークだけで崩れやすいそれを二つに割る。さらに二つに割り、それを口に入れる。かみ砕き、飲み込んでから、言葉を再び発した。
「そして私、夫はあまり好きではなかったから放ったらかしにされていたベースボール団の方に、力を入れることにしましたの」
「……はあ……」
その割には、強いチームだった様な気がするのだが。
「もっとも夫も、昔はかなり好きでしたのよ。だけど駄目ですわね。息子が亡くなってから、嫌いになってしまい」
「あ……」
悪いことを言わせてしまったかな、と彼はふと表情を曇らせる。それに気付いたのか、彼女は顔を上げる。
「お気になさらないで。私が勝手に話しているだけなのですから。息子が、それはそれはベースボールが好きだったのですわ。中等の頃には、よくあの子も、ドムへ通ったし…… そもそもあの子をうちの社のチームの試合に連れていったのは、夫なのですから」
そしてお茶は如何かしら、と夫人は二人に訊ねる。ありがとうございます、とにこやかにビーダーはカップを彼女の手の届く方へと回した。
「俺は……」
「マーティ・ラビイさん、そう言えばあなたは、コーヒーの方がお好きだったかしら?」
「え?」
「でも今は私につきあってくださらないかしら?」
ふふふ、と夫人は笑う。
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