第8話 「さぐり合いは、よそうよ」

「映画関係を撮っていたのは、十年前から、その六年前あたりかな」


 ミルクの泡の立つカップを手にしながら、今度は何冊も一度に広げられた雑誌を前に、キディはジュラのする話にいちいちうなづいていた。


「これは?」


 そのうちの一冊をキディは指さす。それは先ほどのものとは違い、ドキュメンタリーに近いものだった。


「ああそうそう、俺、この仕事で、しばらくスポーツ選手を追いかけ回していたんだよなあ」

「スポーツ選手?」

「うん。まあ盛んな星系と、そうでない星系があるんだけどさ、ここはまあ普通?」

「なのかなあ。俺あまりスポーツって観ないし」

「たまには観てみるといいんじゃないか? あれは面白いぜ」

「そうかなあ…… 時々、中央放送局がスタジアムでのサッカーの試合とか流すの、相棒が良く観てるんだけど、俺どーしても、その面白さって奴が良く判らなくて」

「そいつは単に、サッカーって競技が判らないだけなんじゃないの」

「かなあ? でも、バスケットボールでもハンドボールでも駄目だし」

「ふうん? もしかしてキディ、キミ、プレイヤーをばらばらに人間として観てないのと違う?」

「え?」


 ぽん、と頭の中で何かが弾けた。言われてみればそうかもしれない、と彼は思う。


「図星?」

「んー………… でも、だって、皆あんな、TVの画面の中で、ばらばらになってしまうじゃない」

「何のために背番号があるんだよ」

「俺、注意力散漫だって、相棒によく言われるもん」

「相棒、ねえ」


 ジュラは肩をすくめた。そして手にしていたカップを床のソーサーに置くと、よっ、と声と手を立てて少しだけ場所を移動した。

 どうしてそこまで気を許したのだろう、というのは、後で思うことだ。耳元でこう言われるまで、それが危険距離だということは。


「どういう相棒?」


 耳元で、低い声が囁く。

 キディは反射的にぱっと身体を離した。そしてすぐに、その行動が不自然であったことに気付く。

 だけど顔は、懸命に反撃の色を示そうとする。


「どういう意味だよ?」

「別に。相棒、ったって、色々居るだろう?」

「相棒は、相棒だよ。別にそれ以上でもそれ以下でもないさ」

「ふうん。この星系にしちゃ珍しいタイプかなあ、と俺は期待したんだけど」

「期待?」


 思わずキディは背を引く。


「色々、あるだろう? 我らが帝都のやんごとなき方々、なんて、噂では性別を超越した方々らしいし」

「その話かよ」


 ち、と彼は舌打ちをする。自分の考えたくない部分にどうしてこうも他人は触れてくるのだろう。


「残念ながら、そいつの間には何も無いよ。あんたの期待するようなものは」

「俺の期待するものね」


 くす、とジュラは笑う。その笑みに、キディは苛立つ自分を感じる。

 からかわれていることに、ではない。見通されていることが事実だから。その事実に満足していないから。

 だけど、からかわれているだけでは、つまらない。


「あんたこそ、俺に何をしたいんだよ」

「ふふん? それが判る程度には子供ではない、という訳かなあ?」

「あいにく、年齢はもうずっと『大人』だけどね」

「だけど参政権は?」


 う、と彼は詰まる。

 参政権は、ずっと彼の手には無かった。つい最近のことだ。彼がキディと付けられた、その呼び名を、彼は正式に登録したのは。

 参政権は、それまで無かった。参政権を手にする直前に投獄され、クーデターが成功するまでは。


「ジュラは、どうしてあの店に居る訳? 誰かの紹介?」


 キディは訊ねる。「マヌカン」に勤める人間の大半は組織絡みの人間だ。そして皆それを仕事中は口にしない。用が無い限り、口にしない。だから、相手が組織の人間であるか、ということを決定づける何かが普段はある訳ではない。

 だが支配人ウトホフトがそこで働かせている、というそれだけで、その可能性はあったのだ。彼自身がそうであるように。

 だから大半の店員は、自分の経歴を口にすることはない。ジュラは例外の方だった。

 子供だ子猫だとからかわれてきても、それなりに猛者達の中に居れば、自分で考えるだけの頭は培われてくる。ジュラはわざとそんな経歴を周囲に流している。

 だとしたら、流すだけの理由があるのではないか。キディがそう考えても不思議ではない。いやおそらく店の誰もが感じていることだろう。


「店長と知り合いなんだ」


 あっさりと答える。そしてこう付け加える。


「昔からのね」

「昔から?」

「そう。ここに来るずいぶんと前からの」

「じゃあ、もしかして、マスターを訪ねてきた?」

「とも言えるな」


 ジュラは広げられた雑誌の中から一冊を引き抜くと、それをぱらぱらと繰る。そしてそのまま、誌面から目を離さずにつぶやいた。


「俺がこの取材をしている時には、ちょうど、帝都版図全体が、いにしえのスポーツ熱に浮かされている様な時期でね。まあこのレーゲンボーゲンは、政情不安だったし、帝都本星からはずいぶん離れていたから、その熱にはそう浮かされなかったんだろうな。キミもあまりそう記憶はないだろう?」

「あまり……」


 曖昧に答える。記憶には無い。すっぱりと無い。だけど周囲がどうだったから知らない。だからそう答えるしかない。


「だからなのか、どうなのか知らないけれど、帝都にある全星域統合スポーツ連盟は、そういう政情不安にある惑星でわざわざスポーツの試合を行ったりしたんだよ。当時」

「へえ。何で?」

「そらまあ、わざわざ連盟から派遣した連中が居る時には、その星系も内紛を起こしてるヒマはないだろ」

「ヒマって問題かなあ」

「ま、とにかく、中央から派遣した連中が居るうちは、そうそうどんぱちも起こせない。そう踏んだんだよな。派遣した側は。何だかんだ言って、実状ってのはその土地に来ないと判らないものだからね」


 黙ってキディはうなづいた。初耳だけに、興味深いことだった。


「でも、そのスポーツの試合、を見に来る人が居る程度には、このアルクでもスポーツはそれなりに人気あったってことだよね」

「まあね。俺はその時はここに居た訳じゃないから、そうそう言えたものじゃないけど。キミはどうなのよ。結構おとーさんおかーさんに、ベースボールのグラブ買ってもらったり、サッカーボールを蹴ってたり、ウチにバスケのゴール作ったりしていたんじゃないの?」

「どうかな」


 その可能性は、ある。実際、時々TVで放映されるスポーツも、面白くは感じられなくても、ルールの様なものは何となくこんなものだ、と判っている自分に気付く。


「まあ、ベースボールとか、サッカーくらいはやっていたと思うけど」

「そうだよな。だいたいキミくらいの年代ってそうだものな。だから、たぶん、ちょうど彼らが来たのも、キミがまだ中等か専門の生徒だったくらいじゃない?」


 あれは、学校の最後の年だったと思う。自分があの惑星の冷たい床に悲鳴を上げたのは。だからおそらく、卒業はしていないのだろう。


「たぶんね」

「たぶんってキミ、自分のことだろうに」

「あのねジュラ、俺には、その記憶が無いの」


 ジュラは顔を上げた。そしてその顔に、追い打ちをかけるようにキディは言葉を投げた。


「さぐり合いは、よそうよ」

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