『晩年の絵描』

 男は画家を目指していた。彼の目指すところは人物画であった。何故それを目指したのかといえば、若き頃に見たルブランの絵を見たからである。男は極めて男尊女卑な考えを持っており、才能のあるものは皆男、女というものは下位の者だとずっと信じていた。何故なら男の父親もその気質のある亭主関白だったからで、悪い方向に影響を受けてしまったのである。

 そんな男が見たルブランの絵というものは男にとって衝撃的なものだった。十八世紀を代表するルブランは貴族の肖像画を描いた。その美しく高貴な貴婦人たちの絵は、男のそれまでの考えを打ち砕いたのだった。なんといってもルブラン自身も女性だったことが決定打となったと言っても過言ではないだろう。

 そういうわけで、男の当分の目標は美しい女性の人物画を描くことだった。決した下心があったわけではない。ただただ、美しいものを描きたかったのだ。男にとってのその美しいの定義とは、高貴な女性だった。


 男は素晴らしい人物画を描くために、まず人体の構造をよく知ることから始めた。男はまだ若かったため様々な知識を吸収することができたが、より深く知るために医学を学んだ。筋肉の構造から骨の長さ、男女による成長差から身長の違いによる身体的変化までより詳しく知りたかったからである。男はそれはそれは著名な医科大学に通い、六年の養成課程を経てストレートで卒業をした。男は極めて頭脳も明晰であった。医師の資格を持ち、二年の初期臨床研修、四年の後期臨床研修を経て、男が三十を過ぎた頃には外科医となり、そこから数十年という長い期間、男は数多の人々の命を救ってきた。男が医者として引退したのは、七十を過ぎてからのことであった。


 男にも孫ができた。孫は可愛らしく絵に興味を持った少女だった。孫の話を聞いて、男は自身もかつて画家を目指していたことを打ち明ける。爺さんとなった男の話に孫が興味を持たないわけがなく、是非一枚書いてほしいとせがんできた。

 男は久しぶりに絵筆を執った。もう何十年も前に買ったかも覚えていないキャンバスを目の前に、孫娘の肖像画を描こうとした。


 一向に筆が進まぬ。形ははっきりわかる。どこにどんな筋肉があり、どう成長し、皮膚の張や若々しい艶のある髪も分かる。長年見てきた人体構造は男にとっては熟知していることだった。

 男はそのときはっきりした。男は美しい女性を描けるだけの力を、その技術を持っていなかった。男はひどく自分を卑下た。

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