第10話 あの日を綴る夜想曲
優しい風が僕の体のそばをふわりと舞った。
――これからは、私が守ってあげるから
ユキに呼ばれた気がしてハッとする。顔を上げても、もちろんユキはいない。でも確かにこの前までと同じ、懐かしい感覚がしたのだ。まだどこかにいるんだ、必ず。
「探すべ、ユキを」
シロとマイは何も言い返してこなかった。葬式の列にも参加せず、突っ立っていたかと思えば、ついに奇妙なことを言い出した僕に対してさすがに言葉を失ってしまったのかもしれない。無言でこちらを見つめる二人の視線が痛い。
「俊平君たち、来てくれてありがとうね」
僕も次の言葉を見つけられず困り果てていた時、ユキの母親がわざわざこちらまできて声をかけてくれた。
「みんなが来てくれてユキも喜んでるわ」
ユキといつも一緒にいた三人組がなぜか不穏な雰囲気になっていることを、遠目に気になっていたのかもしれない。近くで見るユキの母親、気丈にふるまってはいるがやはり押し殺せない苦悶の痕がにじみ出ている。
「この度はご愁傷様です。お悔やみ申し上げます」
「おばさんげっそりさらんね、無理しちゃだめだべ」
マイとシロがそれぞれ二人らしい励ましを伝える。ユキの母親はうんうんと頷きながら、二人に笑顔を向ける。
「ユキは・・・どうなって死んだべや」
一方の僕は、唐突に不躾な質問をするのだった。なんて失礼な奴だろうか。しかし僕はその時、慰めが欲しかったのかもしれない。受け入れられないユキの死を現実として捉えるためのきっかけを求めていた。
「それは・・・」
ユキの母親は当然困惑した反応を見せた。それでも、まったく理由も知らないまま、ユキを亡き存在になんてできない僕は聞くしかなかった。隣にいるシロがこの発言も諫めてくるかもしれないと思ったが、その気配はない。
シロも、マイでさえもユキの母親が口を開くのを待っている様子だった。二人にしても根本のところでは僕と同じやりきれない気持ちを抱えているに違いなかった。
「・・・そうね。ユキと一番仲良しだったみんなには、知ってもらうべきね」
決心したユキの母親は僕ら三人を外に連れ出した。さすがに同じ空間で本人の死因を話すのがはばかられたのか、他の同級生にショックを与えないための配慮か分からないが、サササと早足で歩くユキの母親についていく。公民館の外はすっかり夜が深まって空気もひんやりと肌寒かった。それを不思議には思わなかった。
公民館のすぐ横にある自動販売機でユキの母親は三人分のジュースを買ってくれた。礼を言って受け取ったものの、三人ともジュースどころではなく誰も飲まなかった。
「ユキは日曜の夜に山の中で発見されたの。フルートを持った状態で」
ユキの母親がポツリポツリと話す内容を一言も聞き漏らすまいと静かに聞く三人。
勝手に交通事故だと考えていた僕は、予想を裏切られて驚いていた。何だってユキは山の中にいたんだろう。疑問が勝手に口から漏れ出していた。
「何で、山におったべや」
「私も理由は分からなくてね。でも昔からなのよ、ユキがあの日みたいにフルートを持って出かけるのは。だから私も山になんて行くと思わずにすんなり送り出して」
そういえばさっき祭壇に飾られていたフルートは土の汚れが付着していた。その山の中で着いた土だろうか。
「ユキが、その、見つかったのは日曜で、出かけたのは・・・土曜日ですよね」
マイがおずおずと質問した。少し寒いのか腕を組む体制で上着の袖をギュッと引っ張っている。
「そう、土曜日の昼過ぎぐらいに出かけていったの」
心臓がズキリと痛んだ。土曜日、あの日はとてもいい天気で、僕はそんな青い空にかかる飛行機雲を見ながらブランコを漕いでいて。そして、マイと話していたら、あの後。
「みんな覚えてるかな。土曜の午後、急に激しい雨が降ったのよ」
知らず知らずのうちに手を握り締める。手のひらにじわりと汗がにじんだ。土曜の雨はよく覚えている。僕自身土砂降りの中走って家まで帰るハメになったのだから。ユキと僕のあの日の行動が、パズルのように不穏な音で組みあがっていく。
「お、覚えてます。でもあの雨とユキが・・・あ!」
マイが何かに気付いたように、言葉を切って口を押える。
土曜日の土砂降り、ユキの死、そして土のついたフルート。事実と事実が真っ暗な現実を示すために僕の頭の中で繋がって形を成してきた。
「山の中でユキが歩いてた道がね、たまたま、あの雨で地盤が緩んで、ユキは、」
繕いながらもここまで笑顔を見せていたユキの母親が、顔をゆがめる。僕ら三人も、聞きたくない言葉から逃げたいのに一歩も動けない。
「山の、斜面、から、流れてきた、土砂崩れの、下敷きに、なったの」
言葉を詰まらせ、赤い目の奥に隠し切れない涙をこぼす。僕も、みんなも。
もはやユキの母親は大人から戻っていくかのように、ただひたすらに声を上げて泣いていた。僕はこれから先もずっと、人が本物の悲しみに閉ざされた時にかける言葉などないことを思い知るだろう。それは僕よりも遥かに頭のいいマイも、学校の中で誰よりも友達が多いシロでさえもそうであった。軽々しく慰めを求めた僕に応えてくれたユキの母親は、僕なんかよりも救いを求めていた。
「私がッ、代わりに死にたいッ!ぐぅ、ぐぅ・・・何でッ、私はッ!あの日ッ、ユキを1人で行かせたのッ!この親失格のバカヤロオォ―!!あああああああああああああ!!」
こうやって何度も何度も自分を責めたのだろう。そしてその地獄のさなかで今も苦しんでいるのだ。いつも穏やかで優しいユキの母親が、吠えるように自分を罵倒しながら壊れていく、非現実的な光景だった。ユキはあの日、1人で死んでいったのだ。山の中で人知れず1人で。――――1人で
「ユキのお母さん、ごめんな、さ、い。うゔぅ、うゔぅ」
マイまでもが崩れ落ちてしまった。マイも仲の良かった友人として、その死の状況を想像するだに耐えがたい心情なのだろう。
「お前ぇら何やってるッ!こげな日にまぁた・・・木田さん?木田さん!!?」
非現実的な混沌の中に、嫌というほど現実的な、本当に嫌な、でかい声とズルズル靴を引きずる音が近づいてきた。反射的にシロと僕は身構え、声の主を振り返る。大嫌いなはずの担任、弱村先生だった。しかしこの状況においては、大人の男性が登場してくれたことは安心感をもたらす要素であった。
「ジャクソン!はよう!おばさんどご!」
テンパって先生をあだ名で呼ぶシロ。そのことに気付いてすらいない。
先生も、僕たちと一緒にいるユキの母親の異変を見つけて目の色を変えた。駆け寄ってきてユキの母親のもとに膝をついてしゃがみ込んだ。
「木田さぁん!!深呼吸してください!ゆっくりでいいですから、深呼吸を!」
筋肉隆々の先生が力強く背中をさすり続けたことで、少しずつユキの母親は落ち着きを取り戻し、荒い息が治まってきた。しかし、その目に光が戻ることはなく、真っ暗な空を見ながら自責の念がぽろぽろと口からこぼれる。
「だって、ユキ電話してたもの。出かける前。だから誰かが一緒だと思ったの。でも・・・一人だったのユキは。大森山で1人で死んでいったのよ」
頭のてっぺんを金槌で打ち抜かれたような衝撃を覚えた。
――間違いない。決定的な一言だった。
大森山とは、僕とユキが通っていた、あの潟分校のある山だ。金曜日にユキは僕を誘っていたのだ。閉校になって久しい潟分校が取り壊されるから、一緒に行こうと。あの時僕は、また今度と言葉を濁した。ユキは、また僕を誘いたかったのではないか。
ユキがあの日に電話したのは僕だ。
ユキを一人にしたのは僕だ。
『ユキを殺したのは、おまえだ』
限界だった。体の全細胞が僕という魂を拒絶するかのように、強烈な吐き気に襲われる。喉の奥に酸の味が突き上げてきて、自分自身の中から汚いものが逆流してくる。窒息しそうなぐらい大量の吐瀉物を地べたに吐き出した。
それでも、眩暈のする気持ち悪さがずっしりと全身に残っていた。
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