マジックジュエル・ワンダーパラダイス
葵依
#1 旅人はピエロ
大きく膨らんだカラフルなテントからは大小さまざまな風船が伸び、宙を泳いでいる。
テントの天辺にそよぐ旗には、『ウィザームーン・サーカス』の文字。
今日は、国一番とも謳われる旅サーカスがこの街にやってくる日なのだ。
公演は夜にも関わらず、太陽が真上にいる今ですらテントの周りにはたくさんの人だかりがある。
ピエロや芸を仕込まれた猿、ジャグリングを担当するものなどサーカスの団員たちが呼び込みを行っている為だ。
「ピエロさん、僕にも風船ちょうだい!」
小さな子供にせがまれ、一人のピエロが手にしていた色とりどりの風船から赤色の風船を子供に渡す。
「ありがとう!夜のサーカスもパパとママと観に来るからねっ」
きゅっと風船の紐を握り、少年は嬉しそうな笑顔を見せる。
ピエロは無言で白塗り化粧の顔を笑顔にして応え、去っていく少年に手を振った。
風船と共に少年の背中を見送ると、ピエロはメインの公演用テントの傍らにある小ぶりなテントに向かう。風船を外に積まれた荷物に固定すると、賑やかな話し声の漏れる休憩用テントに入った。
「おっお疲れーピエロ!誰か分かんねぇけど!」
入り口近くの椅子に腰掛け話し込んでいた男女の団員が手を振る。
ピエロは被っていた赤い癖毛のカツラを取り、汗で僅かに湿りながらも美しい光沢を放つ金髪を見せた。
「シャルですよ、リード先輩。お疲れ様です」
「おーほんとだ、その金髪はシャルだな」
「アンタ、誰か分かんないって本人に直接言うのやめなさいよ…」
けらけらと笑う男性団員、リードに対し、呆れたように隣の女性団員がツッコミを入れる。
「だってよーリズ、コイツらカツラに白塗りで服も体型が分かんねぇようなの着てるから、判断材料が無さすぎて分かんねぇんだもん」
「だーかーら、それを本人に言うのが失礼だって言ってんの!適当に誤魔化しといて、誰か分かってから話せばいいんだから」
「リズ先輩、それもそれで失礼な気がするんですが…」
ウィザームーンの花形ペア、空中ブランコのリズ&リードの微妙にずれた掛け合いは団員内ではすっかり名物だ。
ツッコミを入れるのも面倒だと、シャルはテントの端に置かれていた水を取りリードの隣に腰掛ける。束の間の休憩にほっと息を吐き、未だ賑やかな掛け合いを続ける二人に改めて声をかける。
「そういえば、ウィザームーンってこの街に来るの初めてなんですか?」
「ん?多分そうだぜー。でかい街なのに来たこと無かったんだよな」
「あたし達が来たこと無かったんだから、団長たちも初めてでしょうね」
リズとリードはほぼこのサーカスの立ち上げメンバーだ。最初は団長と副団長の二人だけで、旅をしていく内に団員が増えていったのだと聞いている。
シャルはまだ団員になってから一年程しか経っておらず、しかしこの一年の間に随分と多くの街を旅した。だと言うのに、街の人々が初めてのサーカスに心躍らせる様子を見て意外に思ったのだ。
「ま、初めてサーカスを見るヤツらばっかりなら、尚更気合入れていかねーとな」
リードが楽しげに笑って見せる。この先輩は、いつもふざけてばかりいる癖に、人を楽しませるのが何より好きなことをシャルは知っている。
その笑顔に釣られるように、シャルもわずかに笑って見せる。手にしていた水を飲み干し立ち上がると、再びカツラを被る。
「それじゃ、先輩の為にお客さんの期待値を上げときますよ」
「おっ、言うねぇ!頑張ってこいよー将来有望ピエロ!」
「いってらっしゃーい」
二人の見送りに応えるよう片手を上げ、シャルはまた明るい屋外へと出て行く。ピエロ用の笑顔を装備し、風船を手にして。
****
(って意気込んで出てきたものの…)
シャルが休憩用テントから戻ってすぐ。テントが立ち並ぶ広場に続く大通りの隅に、小さく蹲る姿を見つけたのだ。
それは小さな少女で、微かな泣き声をあげ続けている。
(困ったなあ)
サーカスのピエロは決まり事として、客の前にいる間は一言も言葉を発してはいけない、というものがある。その決まり事のおかげで、あまり明るいとは言えない性格のシャルでもピエロとしてやっていけているのだが。シャルは少女の肩を叩き笑顔で風船を差し出してみたものの、少女は首を振り泣きじゃくるばかりだった。
戯けた仕草で気を引いて笑わせようとしても、少女はこちらには目もくれず大きな目からぽろぽろと涙を零し続ける。彼女から何かを話し出してくれる気配はない。
仮に迷子だとしても、父親と来たのか母親と来たのか、名前が分からなければ保護者を探しようもない。
(…仕方ない、最終手段だ)
シャルは風船を片手に纏めると、少女に手を伸ばす。
「…ふぇ」
さっと少女を抱え上げ、泣き声が驚きに止んだ隙にピエロは走り出す。
(そのまま泣き止んでてくれよ…!)
片手で抱き上げた少女は思いのほか軽く、しかしそれでも、あまり運動神経が良くないシャルの猛ダッシュをより遅くする。
精一杯の全速力で辿り着いたのは、先ほどの休憩用テントだ。ピエロは少女を抱き抱えたまま勢い良くテントの入り口をくぐると、皆の視線に構う間もなく少女を空いていた椅子に降ろしたかと思えば、再び全速力でテントから出て行く。
そうしてほんの数分で戻ってきたシャルは、所々白塗りを顔に残しつつも素顔が分かる程度に化粧を落とし、衣装の下に来ていた簡素なズボンとシャツのみの格好になっていた。髪も汗で湿って乱れていたが、少女の前に膝をついたシャルは笑顔だった。
「いいかいお嬢さん、よーく見ててね」
そう言ったシャルをきょとんと見つめる少女は涙で潤んだ大きな瞳で、己が今置かれている状況をあまり理解出来ていないようだった。
シャルは息を切らしたまま、しかし優しい笑顔のままで大きめのハンカチを取り出した。ひらりと表と裏を少女に見せると、拳を握った右手にそのハンカチを被せる。そうして左手をハンカチの上から重ね、
「ワン、ツー、…スリー!」
カウントと同時、ハンカチが取り払われる。
するとそこには、シャルの手に握られた小さな桃色の花があった。
「わあ…!すごい、お花だ!」
ハンカチを被せる前には何も握っていなかったのに現れた愛らしい花に、少女もぱっと笑顔になる。
「はい、これは君にプレゼント。…やっぱり笑顔の方が可愛いね」
笑み混じりにシャルは言い、花を少女に握らせる。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「うん、どういたしまして」
ようやく笑顔が見られた、とシャルが胸を撫で下ろしたその瞬間、テント内でわっと歓声が起きる。
「やるじゃんシャル!」
「うわっ、ちょっ、重い…」
そう言ってシャルの肩にのしかかったのはリードだ。わしゃわしゃとシャルの金髪をより乱すようにして体重をかける。
「今の凄いわね、アンタ魔術なんて使えたっけ?」
少女を警戒させないように笑顔を向けながら寄って来て言うリズに、シャルは必死にリードを押し返しながら答える。
「魔術でも魔法でもありませんよ、ただの手品です。タネも仕掛けもございます」
「ふーん、手品ねえ。にしても、ピエロって喋っちゃいけねぇんじゃなかったか?」
「だからこうやってピエロじゃなくなりに戻ってきたんですよ。ほら先輩方、俺はこの子の話聞きたいんでどっか行ってください」
ようやく体を離したリードに面倒そうに手を払いシャルが言う。リズとリードはちらりと少女に目をやりお互いにアイコンタクトをすると、シャルに任せようと結論を出す。
「誰か他の手が要るようなら声かけなさいよ、あたし達もまだ時間あるから」
「はい、ありがとうございます」
二人が離れ、テントの中もやがて元の喧騒を取り戻していく。そしてシャルは改めて少女に向き直った。
「…ええと、名前、訊いてもいいかな?」
「うん。コレットだよ」
少女はもうすっかり涙を引っ込ませ、シャルから受け取った花を大事に握っている。
感情の切り替えの速さは幼い子供ならではだろう。
「そっか、コレット。俺はシャルっていうんだ。じゃあコレット、君はどうしてあんな所で泣いてたの?」
そっと花を握るコレットの手にシャルが手を重ねる。優しい声音に、コレットがゆっくりと話し始めた。
「あのね、ほうせきしょうさんを探してたの」
「ほうせきしょう?って、宝石を売ったりする人だよね?」
年端もいかない少女が探すにしては、少し似つかわしくない人物だ。
「うん、でも私が探してるのは普通の宝石商さんじゃなくて、魔宝石を売ってくれる人なの」
「え、でも魔宝石を扱ってる宝石商なんて、世界にも数人しかいないはずじゃ…」
魔宝石とは、魔法の力の宿った宝石だ。魔宝石を始めとした、物や動物が持つ不思議な力を魔法と呼び、魔法を宿した物は魔具、動物は魔法動物と呼ばれる。
魔具や魔法動物らは数も多く人間の生活に馴染んでもいるが、その中でも魔宝石は特別希少であり、一般の人間では滅多にお目にかかることが出来ないものだ。
「でもね、とっても魔宝石に詳しい旅の宝石商さんが、今この街に来てるらしいの。それで私、最近ずっと探してたんだけど…全然見つからなくて。そしたらサーカスがやってきたから、もしかしたらサーカスの人なのかもしれないと思って…」
話している内に心細さが蘇ってきたのだろう、コレットの瞳がまた僅かに潤む。
シャルはきゅっと握る手に力を込め、ゆっくりと言う。
「コレットは一人でその人を探してたの?」
「うん…」
「そっか。大変だったね。…どうして宝石商さんを探してるのか、教えてくれるかな?」
シャルの問いかけに、コレットは小さく頷く。そして、首から下げていたポシェットから、コレットの小さな手に収まるほどの包みを取り出した。
柔らかな布を解くと、そこに現れたのはとろりととろけそうに深いブラウンの宝石だった。
「…すごい、綺麗だね」
「これはね、私のおじいちゃんの宝物なの。…おじいちゃん、最近具合が良くなくて、ママたちは大丈夫よって言うけど、…もうすぐ死んじゃうかもしれないの。それでね、この宝石はおじいちゃんと、もう死んじゃったおばあちゃんの思い出が詰まった魔宝石なんだって、おじいちゃんずっと言ってて」
じっと手元の魔宝石を見つめていたコレットが顔を上げ、大きな瞳がシャルを射抜く。
「どんな魔法の力があるのか分かんないけど、おばあちゃんとの思い出の魔法が見られたらおじいちゃん、少しは元気になってくれるかもしれないって思って!」
コレットの真剣な瞳に、シャルは僅かに気圧される。子供の純粋な願いは、痛々しいほどにまっすぐだ。
「コレットでは、魔法が発動出来なかったの?」
「うん…魔宝石にお願いしてみたりしたんだけど…私、魔術のことも分からないから…」
魔術は魔法とはまた違うものだ。出処の分からない超自然的な力だと考えられている魔法に対し、魔術は人間が研究によって編み出した『魔法に似て非なるもの』だ。魔法とは違い、魔術は発動に言葉、時間、材料が必要とされる。
「うーん…それで魔宝石を取り扱う宝石商か」
「いっぱい、色んな人に聞いてみたりしたんだけど…全然、見つからなくて」
大きな瞳がまた潤んでいく。誰にも相談できずに一人で探し回ったのだろう。そして最後の望みのように、このサーカスの団員に宝石商が紛れているんじゃないかとやってきたのだ。
(…どうしたもんかなぁ)
予想したようなただの迷子ではなかった。
しかし、少女はただの迷子より複雑な迷子だった。迷子ならば保護者を見つけてやればいいが、コレットはそうはいかない。
(でも、そっかじゃあ頑張ってねって放り出せないもんなぁ)
彼女の真剣な瞳が潤むのを見て、そんな非情なことが出来る人間などいるだろうか。
こうなれば、もう選択肢は一つだ。
「よし、じゃあコレット。宝石商さんを探すの、俺も手伝わせてくれるかな?」
サーカス団のピエロは公演が始まるまでの呼び込みが一番の出番だ。それに、ウィザームーンのピエロはシャル以外にも何人かいる。一人が途中で抜けたところで、さして影響はないだろう。バレればシャルが少しどやされるだけだ。
シャルの申し出に、コレットはぱっと表情を明るくする。
「ほんとう!?一緒に探してくれるの?」
「うん。コレットが悲しい顔してるの、俺も見たくないから」
優しく微笑んで告げられた言葉を聞いて、コレットの頬が僅かに赤く染まった。
「えへへ…じゃあ、よろしくおねがいします、シャルさん」
ぺこりと椅子に座ったまま礼をする少女に、白塗りを残したピエロがしっかりと頷いて見せた。
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