第59話 クリスマスの夜に 前編

 ステアリングを握る優希の口から、鼻歌が漏れる。

 ご機嫌といった感じなんだろうか、以前ナビシートに座った時より巧みに車を操り、軽快に高速道路を走らせている。


 どうでもいい事だけど、超一流シンガーは鼻歌まで滅茶苦茶上手い。ていうか、その歌って確か……。


「Generationだったか」

「おぉ、正解!」


 神楽優希のライブに行く事になって、大ファンである神山からライブに行くなら曲は全部覚えないと楽しさ半減だからと、CDやら音楽データやらを強引に渡された。

 それを前日までに時間がある時に聞くようにして、言われた通りに覚えたんだ。


(結局、無駄になってしまったんだけどな……)


「楽屋で一番テンション高い女の子がいただろ? その子にライブに行くなら全部覚えろって言われてさ」

「あぁ、いたねぇ。それで、この曲は良ちゃん的にどう?」

「覚えた中では、一番好きだよ」

「ホント!? 私もこの曲が今年で一番だと思ってたから、嬉しいなぁ」


 その後も、俺が行けなかったライブの話や、ステージ裏での絶対本人からしか聞けない裏話なんかで、車内が明るい声に包まれた。

 すれ違う車に目をやると、7割がカップルだったように思う。さすがはクリスマスといったところだろう。


「で? どこに向かってるんだ? 高速を降りてから山を登ってるように思うんだけど」

「うん、登ってるねぇ。もうすぐだから、着いてからのお楽しみってやつだよ」


 優希がそう告げると、車はどんどんと街灯が少なくなって、やがて夜空の明かりと、車のヘッドライトだけを頼りに走らないといけない道に入っていく。


「……なぁ、道間違ってないか?」

「ふふ、大丈夫! ほら、見えてきた」


 俺の不安を余所に、優希が指さした暗闇の先に柔らかい明かりが見えてきた。

 明かりの正体は優希が車のアクセルを抜いた時、それが建物だと分かった。

 優希は整備されていない砂利道になっている建物の前に停めて、車のエンジンを切る。


「着いたよ、良ちゃん」

「ここって……カフェか?」


 車から降りた俺が見た建物は、カフェを思われる佇まいをしていたのだが、やけに照明の灯りが少なくて薄暗い店だった。


「なぁ、ここって今日は休みなんじゃないか?」

「あはは、営業してるよ。寒いし早く入ろうよ」


 カフェとしては、やけに薄暗い店に戸惑っていると、優希は白い息を吐きながら、俺の手をとって店に引っ張っていく。


 店に入ると本当に営業していたけど、店内は外に負けないくらい薄暗く照明が落とされていた。

 店内を見渡してみると、俺達以外に二組の客がいて薄暗い店内の先にある大きなガラスの壁を眺めながら、お喋りを楽しんでいる。

 優希はカフェのマスタ―と思われる人に挨拶を済ませると、俺をガラスの壁のど真ん中に設置されている席に案内した。

 案内されたテーブルには【Reserve】と書かれている札が立っていて、どうやら優希はこの席を予約していたようだ。

 そこまでする程、この店に何があるのかと首を傾げてガラスの壁の向こう側を見た瞬間、その疑問は一瞬で吹き飛んだ。


「うわっ! なんだよ、これ!」


 思わず静かな店内で、俺は思わず大きな声を漏らしてしまった。

 だけど、これは勘弁して欲しい。

 誰だって初見でいきなりこれを見せられたら、我慢出来ずに声が漏れるはずだから。


 俺が見たもの。それは大きなガラスの壁一面に、東京の夜景が広がっていたからだ。その夜景は少なくとも今まで見た中で一番綺麗で、俺は席に座る事を忘れて目を奪われた。


「驚いてくれてるのは嬉しいんだけど、とりあえず座ったら?」

「……あ、ああ。そうだな」


 ようやく席に座った俺に、優希が店全体が薄暗いのは極力余計な光を消して、この夜景を楽しんでもらう為なんだと話してくれた。

 理由が解ると、薄暗いと感じていた店の雰囲気が温かく感じるから不思議だ。


「綺麗でしょ」


 優希がテーブルに頬杖をついて、夜景に釘付けになっている俺にそう話しかける。

 その声がとても柔らかく、まるで包み込まれるように耳に届いた。


「あ、あぁ」


 確かに綺麗だ。数名しかいない客の方を見ると、店内の薄暗さでハッキリとは見えなかったが、女性客が俺と同じリアクションをしているように見える。きっと彼女のその顔が見たくて、彼氏はここへ連れてきたのだろう。

 まぁ俺達の場合、男女逆になってしまっているのが情けないところなのだけど。


 ここで気になった事がある。

 こんなに綺麗な夜景が見れるカフェにクリスマスだというのに、何故こんなに客が少ないのかという事である。


 優希はそれを察したのかは定かではないが、この店について話を始めた。


 ここのマスターは珈琲に相当な拘りをもっているらしく、優希も今の所このカフェ以上の珈琲を飲んだ事がないそうだ。

 だが、ただ珈琲を飲みに行くにはかなり辺鄙な場所に店がある為、本当に好きな人間でないと中々足が向かないのだと言う。

 確かに、俺も道に迷ったのかと思ってしまったのだから、それは大いに納得出来た。

 それとここに訪れた客がSNSに投稿したのをきっかけに、雑誌の取材依頼がきたらしいのだが、メディアに踊らされた客には来て欲しくないからと、キッパリと取材を拒否したのも原因の1つなんだと聞かされた。


 今時、そんな頑固一徹職人なんて流行らない人種なんて、映画やドラマの中だけだと思っていたんだけど、本当にいるんだなと驚いたのと同時に、嬉しさが込み上げてきた。


 夜景を眺めながら優希の説明を聞いていると、店に入った時に優希が事前に注文していたものがテーブルに運ばれてきた。


「一応クリスマスって事で、ローストビーフのサンドにしてみたよ」


 とテーブルに置かれたのは、ローストビーフをふんだんにサンドしたクラブサンドと優希一押しのブレンド珈琲のセットだった。


 早速、優希が絶賛する珈琲カップを手に取り、香り立つ湯気を吸い込んで香りを楽しむ。

 その香りは俺の想像を超えるもので、深い香りに思わず目を閉じて何も発する事なく、カップに口を付けた。

 深い香りと共に口に広がるコクと苦み、喉に滑り落ちた後に広がる鼻から通り抜けていく後味と香り。全ての動作にいちいち華を感じる。


 気が付くと、俺はカップを戻すのを忘れて至高の一杯に出会った喜びをかみしめながら、温かい湯気がたつ珈琲を無言で眺めていた。


「ふふ、気に入ってくれたみたいで良かった」

「気に入る? そんな言葉じゃ失礼だろ。本当に美味い。大袈裟じゃなくて感動してる」

「良ちゃんも相当な珈琲好きなのは、お父さんに訊いて知ってたからね。だからここに連れてきたかったんだ」

「うん。おかげで病み上がりの風邪も完治した気がする。ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」

「就職してから車を実家に預けっぱなしにしてたんだけど、初めて手元に車がない事を悔やんだよ」


 通い詰めたい程に美味い店だったが、こんな山奥の辺鄙な場所にある為、どうしても車かバイクでないと通えない事を心底悔やんだ。それだけ、ここの珈琲は絶品だったのだ。


「実家、大阪だもんね。私でよければいつでも付き合うよ」

「はは、その時は頼もうかな」


 何時の間にか、確かにあったはずの優希への警戒心が解けてしまっていた。というか、彼女が何かしたわけではないのだから、警戒する方がおかしいんだけど。

 それから夜景を眺めながら優希と色々な話をしたんだけど、不思議と優香の話は1度もしなかった。

 それが良かったのだろう。優希と出会って初めて楽しいと感じる時間が過ごせて、俺達の話題が尽きる事はなかった。


 俺達は珈琲をおかわりして、クリスマスなんだからとデザートに可愛らしいショートケーキを追加注文した。

 美味い珈琲と合わさって、さらに話が弾む俺達。

 周りからみれば、どこから見ても立派なカップルに見えているだろう。

 だけど現実は婚約者を失った男と、元婚約者の妹という微妙な関係なんだ。

 少なくとも、俺にとってはこの女性ひととは分かり合ってはいけない、馴れ合ってはいけない……そんな存在なんだ。


 前に進める可能性を知りたくて優希の誘いにのったけど――こういう気持ちになりたかったわけじゃない。


 ――なのに……俺は。


 神楽優希。いや、香坂優希だったな。

 彼女はどういうつもりで、俺とこの場にいるんだろう。

 何を考えていて、何が見えているんだろう。

 そんな事を考え出すと、何時しか珈琲の味があまり分からなくなってしまっていた。


 十分に夜景と珈琲を堪能した俺達は、いい時間だからとマスターに挨拶をして店を出た。

 外に出ると、来た時より更に気温が下がっていて、俺達は足早に店の前に停めてある車に向かう。


「あ、そうだ。ちょっと待って良ちゃん」


 車のドアを開けようとした時、急に運転席に乗り込むはずの優希が、助手席に前かがみに上半身だけ潜り込み、グローブボックスを開けて中からゴソゴソと何かを取り出した。


 何事かとそんな優希を見ていると、取り出した物を俺の目の前に差し出した優希が、満面の笑みでこう告げるのだ。


「メリークリスマス! 良ちゃん!」


 綺麗にラッピングされた物が何なのかすぐに分かった俺は、すぐさま差し出された物を優希に軽く押し戻した。


「いや、俺はプレゼントなんて用意してないから、受け取れないよ」

「当日アポなしで強引に付き合わせたんだよ? そんなの当たり前じゃん」

「いや……でもな」

「別に見返りが欲しくて用意したんじゃないよ。それに、これは叩いちゃったお詫びも兼ねてるから、受け取って貰わないと困るんだけどな」

「それこそ気にする事じゃない。あれは言い過ぎた俺にも非がある事なんだから」

「本当はお父さんの事を馬鹿にしたわけじゃないんでしょ? それなのに、頭に血が上って取り乱したりして……。本当にごめんなさい」


 俺の言い分を訊くことなく、優希は深く頭を下げた。


「だから――」

「それとね!」


 頭を下げる優希を止めさせようとしたが、彼女に言おうとした事を遮られた。


「……なに?」

「あの時、あんな事したのに怒るどころか、誤解を解こうとしなかったのはどうして? ずっと気になってたんだ」

「……この際だから言うけど、優希の顔を見るのが辛いんだよ。だから誤解されたのなら、それならそれでいいと思った。正直もう会いたくなかったからさ」


 本音を伝えた。

 優希がどういうつもりで俺に関わるのか分からない。

 だけど、義務や義理ではない事だけは分かるんだ。

 そんな彼女に、こんな事を言ったら怒らせてしまうかもしれない。いや、傷付けてしまっただろう。


 俺の本音を聞かされた優希は、想像通り沈んだ顔を見せた。

 当然の事ではあるけれど、俺は彼女に次に何を言えばいいのか分からなくなった。


「……会いたくない理由……訊いていい?」

「優希を見ていると、どうしても優香とダブって見えてしまって……正直、辛いんだ」


 言うと、優希は「そっか」と呟いて、夜空を見上げてふぅと白い息を吐く。


「うん! 分かってた。でも……でもね、そんな良ちゃんだから会いに来たんだよ」

「え?」


 優希の訴えの真意が見えない。

 こんな俺がなんなんだ?こんないつまでも前に踏み出せない俺に、会いに来る理由なんてあるとは思えない。


 ◇◆


 昔から姉である優香は優希の憧れであり、妬みの対象だった。

 どんな些細な事でも一緒に悩んでくれて、どんな協力も惜しまない人。

 そんな底なしの優しさと強さを兼ね備える内面と、妹の優希から見ても凄く整った顔立ちに、手足が長くてスレンダーな体型が高いレベルでバランスがとれている。

 明るい性格で人を引き付ける魅力をもち、頭も良くてテストの順位も常にトップクラス。

 でも、その反面運動は苦手だったが、そんな一面が余計に周囲の男から見れば可愛く見えるのだろう。


 小学校からアイドル的な存在で、いつもクラスの中心にいて中学に進学すると、当然のようにモテて告白ラッシュの日々。

 だけど、まだ恋愛をする気がなかった優香は、どんな人気者でも告白してきた相手にしっかりと誠意をもって断り続けた。

 高校に進学しても相変わらずで、大半の告白を断ってきた優香だったが、決して間宮と出会うまで1人だったわけではなく、それなりの恋愛はしてきたのだ。

 ただ、優香は何でも話す妹の優希であっても、彼氏が出来た報告と名前を報告するだけで、一度も優香が惚気話をする事などなかった。それどころか恋人が出来たというのに、いつも悩んでいた印象しか優希にはなかったのだ。


 だからこそ、優希は驚いた。

 間宮と出会ってからの優香が、完全に別人になった事に。


 始めて出会った時から、付き合いだすまでの詳細を細かく聞かされて、付き合いだしてからは惚気話のオンパレード。

 正直、鬱陶しいと思う時にもあったが、それ以上に優希は優香をここまで変えた男の存在が、気になって仕方がなかった。











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