第9話 危険な気配

 山越えをする馬車は多いようで、村には宿泊施設がそれなりの数がある。ケステンブールのホテルよりも豪華さでは劣るが食事のレベルは高い。従業員が接客で忙しなく動き回っている。


「近くに酒場があるんだ。城主様もご一緒に飲みませんか?」

「いや、俺は酒が飲めないしこれからお嬢様のお相手をしなきゃならないんだ。だから遠慮しておく。他の皆で楽しんで来なよ。今日もお疲れ様」


 護衛仲間の誘いを断った。お嬢様に将棋の相手をせがまれているのだ。彼等は嫌な顔をせずに軽い足取りで去って行った。


 夕食後の自由時間。施設内のフリースペース、その一角にソロモンとヴィクトルが居座って将棋を指していた。ヴィクトルが指した一手にソロモンが投了した所でベルティーナがやってきた。普段着に厚手の上着を一枚羽織っている。


「お待たせしました今日もお願いしますね」

 あいよ、と返して駒を並べ直す。メイドのお二人さんも遊んでいるようで、移動中は何度もベルティーナの相手をしてもらっていた。


 いつものように駒を進めていく。ベルティーナが柔らかそうな唇に指を当てて長考に入ったところで目を離し、ソロモンは周りの様子を探る。


 割と客が入っているな。彼等の収入源になっているらしい。


 フリースペースは八割程利用客で埋まっていた。食堂も常識の範囲なら自由に過ごして構わないので、そちらの席も殆ど埋まっている。宿泊客の過ごし方は千差万別だ。

 長考の末に繰り出した彼女の一手に対して十秒で次の一手を指す。攻めの一手だ。お嬢様は小さく声を漏らしてまた長考に入ってしまった。


 遊戯札で遊んでる連中、真ん中に銀貨を積んでるから賭けているな。その隣のテーブルの年配客はお菓子片手に読書タイムか。向こうのテーブル席の若い奴……さっきからマグカップ片手にこっちをチラチラ見てるんだよな。お目当てはベルティーナさんか。


「指しましたよ。そんなに周りが気になりますか?」

「ああ……うん。俺は今回の旅で色々学ぼうと思っているんでね。人の観察もその一環だよ。国が変われば人や文化も変わるからさ、俺の領地経営に役立つ事が何か無いかなって思って」


 意識が盤面から逸れていても攻撃の手が緩むことはない。ベルティーナは防戦一方だ。


「まだ開拓を始めたばかりの何も無い領地だけど、領民が居ないからそんなに急いで何かやらなきゃって事はないんだけどね。今の内にやれることはやっておきたいんだ」


 今までは勉強はそんなに好きじゃなかったんだけどね。でも命と生活がかかってるって状況になると、怠けてはいられないって気持ちが湧いてくる。


「勤勉ですね。それにいつも鍛錬をされているようですし。今日も魔物相手に自ら先頭に立って戦っていましたよね」

「まぁね。護衛役を信用していない訳じゃないんだけども。これも鍛錬の一つかな」

 褒められて内心ちょっと嬉しい。が、将棋に手は抜かない。連続王手で相手を詰ませる。


「また負けてしまいました……」

 残念そうに盤面へ視線を落とす。その後も何局か指したがベルティーナはまだソロモンに追い付いてはいないようだ。


 次の日も山脈越えが続く。幸運にも天候に恵まれていた。時々山風に煽られる事があったが、馬車に問題が出るほどの強さでは無い。


 ソロモンは右手の双眼鏡で山の様子を窺っていた。左手には起動状態の魔装弓が握られている。


「気持ち悪いなぁアイツ等」


 先程から山を生息域としている魔物の姿が散見されているのだ。頭上七メートル程の所を鳥型の魔物が通り過ぎてから、護衛陣は警戒態勢を取っている。事前情報だと鳥型の魔物の危険度は低いとの事だが、すぐ真上を飛ばれてからソロモンが少々神経質になっていた。


 巣を作る標高まで昇ることがないので、彼等が目を光らせる縄張りに近づくことは通常無い、という理由で襲われる事は殆ど無いという。肉食だが比較的小さい獲物を狙う習性があるのも理由の一つ。


 山越えルートは地形だけで無く魔物の生息域や習性なども考慮して作られているそうで、意外と魔物に襲われる事は少ないらしい。その事に対して、ソロモンは最初から半信半疑だった。普段以上に魔物を警戒している。


 今までの平地で戦っていたのとは違う。動きに制限があって、下手すれば崖下に真っ逆さまだ。


「本当に気持ち悪いなあのエテ公共。やっぱり俺達を追いかけてるよなぁ」


 レンズの向こうに見える猿のような魔物の群れ。連中は慣れた動きで岩肌を走り回っていた。

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