第120話 誓い

「おええええっ……」


 勝子と別れた環は暫くバルカンで走らせた後、人通りの少ない裏道で単車を止め、人知れず戻していた。


 勝子に悟られかねないので立国川公園から離れたのは環なりの意地であった。


「ハァッ! ハアッ! クソっ! あの……化け物め……おえええっ」


 先程の喧嘩で身長190センチのラガーマンを倒し、試合では女子の全米フルコン王者をKOした環をして身長155センチ程度の勝子を化け物呼ばわりしていた。


「ハァッ……ハアッ……相変わらず……ヤバいなアイツは……ピン級の体格であのパンチ力……女子ウェルター級のキックボクサーより……全然パンチ力が上じゃないか? もう一発いっとく……何て強がったけど……喰らってたら……マジで死んでいた」


 環は胃液で汚れた顎を拭い、側にある電柱を拳で叩いた。


「でも、選手を辞めたからって全然腕は鈍ってない……むしろ昔より強くなっているかも知れない。あんな奴を……あんな凄い奴を……路上ストリートなんかで埋もれさせちゃいけない」


 電柱に寄りかかり、額を当てながら環は独り言を続けた。


「あと、……あの小碓ってガキもそうだ! あれで……格闘技歴二ヶ月? 私が……アマチュアでは……女子格闘技ジョシカク最強と言われている……この……私が……そんな奴に……パンチ喰らうなんて! あのワンツーみえなかった! あの後の……カウンターのアッパー決まらなきゃ……地面に倒れていたのは……私だった!」


 ガンガンと拳で柱を殴り続ける。

 だが、悔しそうな言葉を続けながらも、その言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに微笑みを浮かべていた。


「アイツも……いずれ……周佐みたいな化け物になるかも知れない。その時……、不良同士の喧嘩なんかで満足できるか? ……周佐や美夜受の下に何時までも付いているか? ……美夜受より良い女が他に出来たらチームを続けるか? ……いずれにしても、何時までもあんな事は続けられない事に気付くだろうな」


 環は気分が落ち着いた事を確認するとバルカンに跨った。


「これじゃあ、暫くご飯は食べられないかな? あと今回の事、どうせ周佐から報告受けているだろうし、姫野君に説教されないかな……」


 環にとって良かれと思ってやった事ではあるが、その結果が周囲の想いとズレがあり、環は憂鬱な気分にならざるを得なかった。




 ◇



「ねぇ……勝子?」


「ん? どうしたの武?」


「その……30分経ったけれど、そろそろ帰らない?」


「ああ。もうそんなに経ったんだ。でも、もう少し寝た方が良いんじゃない?」


「いや……その……落ち着いて眠れないというか……」


 俺は勝子の膝枕をして貰い、ベンチで横たわっていた。


 彼女でもない勝子にこんな事をして貰っている事に関する申し訳なさと情けなさがあるし、そもそも勝子は嫌じゃないだろうか?


 俺は目を開き、上から俺を見つめている勝子の顔を見つめた。


 街灯の光に照らし出された青白い頬と、しっとりとした赤い唇が光を受け照り輝いているように見える。


 普段はちょっと可愛いぐらいにしか思っていない勝子がこんなに可愛く見える夜の魔術なのか?


「ナニ人の顔じろじろ見てんのよ?」


 さっきからそっちも俺の事ずっと見下ろしていたんだけどね。


「いや? 勝子って結構可愛いんだなと思って」


 すると夜目にも鮮やかに真っ赤になりながら怒り出した。


「はあっ! なっ! ……何言っているの? アンタそうやって澪や香織、あと香月をたぶらかしているの?」


「いやいや誑かしてないし」


 というかさりげなく吾妻君の名前出していたけれど、ああ見えて彼は男の娘だから誑かす訳無いんだけど。


「そもそもアンタなんかがモテるのはおかしいのよ。たまに居るじゃない。顔が良くないのに口だけ上手くてモテる男。アンタもそういう軽薄な輩なの?」


「俺のどこが口上手いんだよ? だったら麗衣ととっくに付き合っているだろ?」


「本当に付き合っていないの? まぁ……それなら良いけど。あとアンタは顔はまぁまぁ悪くないから」


 何ソレ微妙な評価だな。


「うん。むしろアンタの寝顔可愛かったよ♪」


 お返しとばかりに勝子は悪戯っぽく言った。

 男は可愛いなんて言われても嬉しくない事ぐらい知っていてワザと言っているんだろうな。


「それはどーも……。それよりか膝枕ずっと続けていて痛くない?」


「そんな事無いかな? アンタの頭って軽いから」


 それって俺の頭が悪いって暗に言っているのか?


「スイマセンねぇ、学年4位様に比べりゃ中身が無いですからね」


「私の言う事が理解できるぐらいは入っているみたいね」


 勝子は口元に軽く手を当てて、クスクスと笑い出した。

 勝子としては気を遣ってくれたつもりの冗談なのかな?

 まぁ、そんな勝子に甘え続けるのも情けないよな。

 俺は身を起こすと勝子に言った。


「俺はもう大丈夫だよ。勝子だって家に帰らないとご両親が心配するでしょ? だから帰ろう」


 俺は横たわっていたベンチから脚を降ろし、立ち上がった。

 勝子が準備していてくれた鎮痛剤を飲ませて貰ったおかげで、俺は大分痛みが引いていた。


「そう……まだ膝貸してあげても良かったんだけどね」


 勝子の声に少し寂しそうな響きを感じたのは気のせいだろうか?


 勝子も立ち上がると、少し脚をさする様な仕草を見せた。


「どうしたの勝子? まさか勝子も怪我をしていたの?」


「そんな訳ないでしょ? 私を誰だと思っているのかなぁ?」


 全日本アンダージュニア女子ボクシング・45キロ級優勝者で、かつては将来の五輪代表候補と呼ばれたボクシングスキルだけじゃなく、テコンドー使いを殆ど蹴りだけでぶちのめしたり、武器相手でも素手でぶっ倒せる程の空手の使い手で、不良どもに畏怖を以って魔王サタンズ・鉄槌ハンマーと呼ばれ、暴走族を震え上がらせている最強の女・周佐勝子様です。


 ……長くて言うのがメンドイので止めた。


「まぁ……怪我なんかする訳無いか」


「ちょっと足が痺れただけ。こんなのすぐ治るから」


 それって、もしかして膝枕で俺の頭を乗せていたからなのか?


「あっ……ゴメン。俺のせいか」


「ううん。気にしないで」


 勝子は数歩歩くと、痺れた足と思われる右足に重心をかけたり、タンタンと地面を踏んだ。


「もう大丈夫。じゃあ帰ろうか」


 勝子はそう言うと、駐輪所がある出入り口に向かって歩き出した。


「ああ」


 俺は勝子の後を着いて行き、彼女の小さな背を見ながら考えた。


 何時の日か、俺は勝子みたいに強くなれる日が来るのだろうか?


 俺は環先輩に言われた言葉が脳裏に飛来した。


 ―惚れた女を守る為にか……あははっ格好良いねぇ~―


 ―そんな格好良い自分に酔っているのか? 昭和の漫画でもそんな青臭いストーリーなんか受けやしないよ―


 ―……そうかい。聞く耳は持たないって事か……ならば、お前の惚れた女を守る為の格闘技とやらが本物に通用するか、身体に教えてやろう―


 ―私が美夜受シメて、二度と喧嘩も格闘技も出来ないような体にしてやるの。そうすれば、お前等もアイツに巻き込まれないで済むでしょ? ねぇ? 良い考えだと思わない?―


 これだけの事を言われ、俺は殆ど何も出来ず、環先輩に一方的にやられた。


 その事を思い出したからなのか?


 俺の足取りは重くなり、やがて歩みを止めた。


「武……泣いているの?」


 俺の異変に気付いたのか?

 勝子は心配そうな顔で俺を見つめていた。


 止めろ。


 そんな顔で俺を見ないでくれ。


 俺は無言で勝子から顔を背ける。

 すると、そっと勝子が俺を抱き寄せてきた。


 胸の感触もほとんど無いし、化粧っ気も御洒落心の欠片も無い野暮ったい女かと思っていたけれど、ほのかな甘い香りだけは麗衣に抱きしめられた時とよく似ている。


「ねぇ……勝子。一つ聞いて良いか?」


「ええ。私に答えられる事ならね」


「俺って弱いよな……俺も勝子みたいに強くなれるか?」


「弱いのは確かだし、強くなれるかは分からないよ。でもね……」


 勝子は俺を抱き寄せる腕の力を強めた。


「その気持ちを忘れないで努力を続ければ、貴方は私よりも、環先輩よりも強くなる。……必ずね」


 必ず……か。


 随分とリップサービスしてくれるじゃないか。


「勝子……お前って本当に良い奴だよな」


 俺も勝子をそっと抱きしめ返すと、煌々と輝る満月を見上げながら誓った。


 麗衣だけじゃない。


 勝子だって無敵じゃないんだ。


 今後、環先輩がどう動くか分からないし、敵にあの長野の様な化け物が現れないとも限らない。


 だから、俺はどんな敵が相手でも負けないぐらい強くならないといけないんだ。


 本来は麗衣の側にいるべきの勝子にこんな役割をさせてしまって、守ってもらうままの俺じゃ駄目だ。


 じゃなきゃ、本当の意味で見習いじゃなく、真の麗のメンバーになったとは言えないのだから―





 第3章終了となります。


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