希~ねがい~望(下)

想人~Thought~

希~ねがい~望(後編)

「……あ、弥一お爺さん、おはよう」

 澄み渡る青空。朝の陽光が、とても清々しい。鳥や虫達の囀りと、草木を戦がせる涼風もまた、実に気持ちが良い。この日もいつものように、弥一は家の横にあるパセリ畑にいた。

「ごめん、まだ寝ていたんだね。起こしてしまってすまない」

「ううん。お日さまがぽかぽかしていて、気持ちが良いね♪」

「ああ、そうだね」

「……お爺さん。僕、本当に嬉しいよ。ついに、この日を迎える事が出来たんだから」

「……君は、君達は、本当に美しい。きっと、沢山の人達が喜んでくれるに違いない。沢山の人達が、健やかになってくれるに違いないよ」

「ふふっ、そうなってくたら、良いね。そうなってくれる事が、僕の役目であり、夢なんだから」

「夢が叶う事を、僕も祈ってるよ」

「うん、ありがとう♪」

 彼を含め、弥一の育てたパセリが今日大量出荷されるのだ。

「…」

「…」

「…寂しく、なるな」

「…そう、だね。正直、お爺さんと離れるのは、とても寂しいよ。でも、やるべき事はやらなきゃ。お爺さんの思いを大切にしながらさ、前に進んでいかなきゃ。いつまでもお爺さんに甘えている訳にもいかないし、寂しくても、それを乗り越えて強い気持ちで役目を果たしていかなきゃいけないんだから」

「そうだな。君の言う通りだ。僕もこの日の為に君達を育てて来たんだから、気持ちを切り換えて、堂々と胸を張っていかなきゃな」

 そう言いながらも、弥一の頬には涙が滴り落ちていた。そして、そっと優しく、パセリを撫でた。

「…ああ、我が愛しき子よ、子達よ、何と愛でたき姿なのか。僕は君達を誇りに思うよ。人の為に尽力せんとす意思や、実に見事だ。君達の事を、僕は決して忘れはしない。人々の、そして僕達の『幸せ』の為に、僕達の想いと共に……」

 静かに微笑み乍ら、再び眠りに就いたパセリ。優しい心と自然の恩恵を受けて育った子供達は、弥一の運転する軽トラックで、遠い街にある老舗の洋食店に直送されたのであった。


「…では、宜しくお願い致します」

「はい。有り難う御座います」

 パセリが入った段ボール箱を弥一から受け取ると早速、仕込みや開店の準備で慌ただしい厨房で、二人の男性が箱の蓋を開けた。この二人はこの店の店長とマネージャーである。

(…うわっ、眩しい!…ここは、……そうか、着いたんだね)

 眠りから覚めたパセリ。彼の隣のパセリが、マネージャーの手に取られ持ち上げられた。

「…いやぁ、流石は岩崎さんのパセリですね。香りも色も、実に素晴らしい。いつ見ても、本当に素敵だ。コンクールで金賞を受賞するだけの事はありますな」

「ええ、そうですね。文句無しの、絶品です」

 そう店長が返すと、二人はそのパセリを少し千切って口の中に入れ、その美味さに感服した。

(弥一お爺さん、本当凄いんだな。こうして食べているところを目の当たりにしてみると、こんなにも嬉しさが込み上げてくるものなんだ。思っていた以上だよ)

 莞爾したパセリの心が躍動感に満ちた。そうしてそのまま、彼等はキッチンで蛇口の水を浴びせられてから、保冷庫に収められた。


 真っ暗な庫内で、唯だひたすら時の経過に身を流すパセリ。従業員達が懸命に作業を行っている物音が外部から聞こえるその静かな空間で、じっと心を落ち着かせる。

「こんにちは!」

「わっ!!!」

 突然、何処からか声が聞こえてきた。黒一色の空間で一瞬ビクッとしたものの、その声からは優しさが感ぜられ、恐怖感などはなかった。

「…だれ、今僕に話し掛けたのは?」

「僕だよ。吃驚させてごめんね」

「あっ」

「今、君の隣に居ます。僕はトマトっていうんだ、よろしくね」

「…トマト君か、素敵なお名前だね。僕はパセリっていいます、こちらこそよろしく!さっき僕達が此処に入る前に、とても鮮やかな赤色をした丸いお野菜がちらっと見えたんだけど、もしかしてそれが君なの?」

「うん、そうだよ。僕も今日、君が来る少し前に此処へ来たんだ」

「へぇ、そうなんだ。…それにしても、君の容姿って、とても綺麗だね」

「そうかい、ありがとう。それを言うなら、君だって同じだよ」

「そう?ふふっ、嬉し恥ずかし。お爺さんもよく、僕達の事を綺麗だって言ってくれてたんだ」

「お爺さんって、君を育ててくれた?」

「うん。弥一お爺さんって言うんだけどね、とても優しくて、暖かくて、僕達をここまで育ててくれた凄い人なんだよ」

「ふぅん、僕と似ている。僕の産みの親である勝海(かつみ)お爺さんは、とてもジューシーでほんのり甘くて渋味があって栄養がいっぱいで最高に美味しいトマトを作る事で有名なんだ」

「凄いじゃないかトマト君、そういうお爺さんさんのもとに産まれてよかったね!」

 トマトの幸せぶりが、パセリは自分の事のように嬉しかった。


「…ねぇ、パセリ君」

「何だい?」

「…僕はね、トマトとして産まれた事に、幸せと誇りを感じているんだ」

「同じだね、僕もパセリに産まれて良かったって思ってるよ」

「ただね」

「?」

「……もし、僕が『人間』として産まれていたら、一体どんな風に生きて、どんな気持ちで毎日を過ごしていたんだろうって、時々思うんだ」

「おや、どうして?」

「もし、人間に産まれていたら、僕等のようなお野菜とか色んな食べ物を口にする事が出来るだろう。僕達の目的って、人間に食べられて、人間達の健康の為に僕達の中の栄養を届ける事でしょ。じゃあ逆に、その『食べる』っていう行為を自分がやったらどんな気持ちになるんだろう、って思うんだ」

「成る程、自分が食べる側になる、か。確かにそれ、言われてみたら凄く興味が持てる。大好きな弥一お爺さんのもとに産まれ育ってきたから、今の自分が幸せなあまり人間になりたいって発想は生まれなかったな」

「勿論僕も勝海お爺さんの事大好きだし、とても今幸せだよ。だからこそ、人間として生きる気分も味わってみたいんだ」

 思いを語るトマトに、パセリの心は締め付けられた。

「…ところでさトマト君、僕達、人間の体内で働き終わった後ってどうなるのかな?人間に健やかになってもらって、そしてその後の、この体を失った後の僕達には、どんな未来が待っているんだろう……」

「お祈りしようか」

「お祈り…?」

「うん、人間に生まれ変わりますように、ってね」

「そっか、成る程!それは良いアイディアだね!」

「信じれば、きっと叶う筈だよ。……僕が人間だったら、是非君を食べてみたかったな」

「……僕が人間だったら、必ず君を食べていたよ」

「ふふっ、必ず、か。そうだね、失礼失礼」

 暗闇の中で、互いの笑みを見詰め合うパセリとトマトであった。


 時の経過に比例して、保冷庫の外では忙しさを増していた。

「……そろそろか」

「ん?トマト君、どうしたの?」

「感じているのさ。いよいよ、僕の出番が来ているってね」

「本当?やったね!良かったじゃん!……でも、いざとなると、何だかとても緊張するね」

「……うん、色んな事が、込み上げてくるよ。記憶、思い出、これから辿る運命とその結果に対する思い、そして、至福の歓喜(よろこび)が、ね……」

 互いの心が綻んだ。しかしその一方で、邂逅には二面性がある事も双方は改めて思い知らされた。

「……寂しく、なるね。折角こうして出会えたのに、もうお別れだなんて……」

「……確かに、僕もパセリ君と別れるのは寂しいよ。でも、だからさ、この寂しさをバネにして目的役割を果たし、夢を抱きながら輪廻転生する事を祈るんだ。強く、……」

「……そうだね。君の言う通りだ。寂しさに更けてくよくよしてばかりいたって何も始まらないもんね。前進、しなきゃ」

 この時パセリは、弥一との約束を思い出していた。さする事で、彼の気持ちはより強固なものとなっていた。それはまた、トマトにとっても同じ事であった。

「……扨、行くとしますか」

「トマト君、……また、会えるよね?」

「……うん。会えるさ。だから、祈り続けよう。来世の僕達に、思いを託して。……素敵なひとときを、ありがとう──」

"希~ねがい~望"


「……静かだなぁ」

 寂しさの残り香が漂う空間で、パセリの気分は晴れていた。そうして再び沈黙と漆黒の中で、ゆっくりと瞼を閉じながら、時の流れに身を委ねていくのであった。

「……いやぁ、凄い長蛇の列だったな。まさか店に入るのにここまで時間が掛かるとは思わなかったよ」

「そりゃあテレビとか雑誌で取り沙汰されてる大人気店だからね、これぐらい当然の事だよ」

「…って、そうこう言ってる内に、注文してた料理が来たみたいだな」

 ──お待たせ致しました、和風ハンバーグセットと、ディアボロチキンセットで御座います。

「おおおっ!すっげぇ、めちゃくちゃ美味そう!!」

「ハンバーグもチキンも鉄板の上で鳴らしているこのジュワァー、って音が、たまらなく心地良いね。盛り付けも綺麗だし、本当良い香り。口にする前から、既に美味しさが伝わってきてるよ」

「そうだな。…よし、じゃあ、頂くとしますか。腹の虫がうるさくてしょうがないからな」

 ─頂きます!

「……んんんんんん!うんまい!!何じゃこりゃ、今迄こんなハンバーグ食べた事ないぞ!」

「僕のディアボロチキンも、本当凄く美味しい。素朴な感じと斬新な感じが絶妙に入り交じってる。長時間並んだ甲斐があったよ」

「ああ。このお肉もそうなんだけどさ、サイドのサラダもかなり美味だぜ!」

「うん、それ。沢山のお野菜が入ってる色とりどりのサラダ、目の保養にもなるよ。……ん、……あ」

「……」

「……な、何だ、今のは?今、このトマトを口にした瞬間、心が優しく包まれるっていうか、フワッとした感覚があったんだけれど……」

「だろ」

「…え?」

「俺も今、このパセリを口にした時に、今のお前と同じ感覚を得たぜ」

「え?」

「……よく、思い出してみろよ。あの時の、俺達の出会いをさ」

「で、出会い……?」

「……」


「はっ!!……夢、か。…僕が、人間で、そして、人間のお友達がいて、…フフッ、未来が、楽しみだな……」


 パセリは、感じたのだった。

(……来た!)

 そう思った直後、彼は眩しい光を浴びると同時に、体を持ち上げられたのだった。彼の出番が、訪れたのである。

 まな板の上に寝かされ、一気に緊張が走る。

(うわぁ、凄いなぁ。僕が此処に来た時よりも忙しそうだ。沢山の従業員さん達が皆一生懸命働いていて、凄い活気と熱気に溢れているよ。これからどんな風に調理されるのか、楽しみだなぁ…)

 そう思った瞬間、優しそうな青年のコックが、パセリの体をナイフで丁寧に、数センチメートルの大きさに四分割していった。彼のその真剣な目に、感服するパセリ。小さくなったパセリの体は、四つあるハンバーグセットのサイドメニューのサラダにそれぞれ添えられたのであった。

(いよいよか。……よし、行くぞ!)

 そう意気込んだ、その時だった。台の上でスタンバイしているパセリの横に、酷く食べ残された皿が数枚さげられてきたのだった。その状況に、高揚したパセリの気持ちが百八十度ひっくり返る。

 傷付いた心を痛め付ける、更なる仕打ち。

「……!!!」

 その中に、全く手を付けられていない、一口サイズにカットされたトマトの姿があったのだった。

「トマト君!!トマト君!!!」

「……パセリ、君……」

 悲しみと悔しさに満ちた声だった。彼等を包む時の流れが、重苦しい淀みに変わる。

「トマト君、これは一体どいう事なの、どうして君は食べられていないの!?」

「……僕の話を、聞いてくれるかい…?」


 アンティパストのトッピングとしてトマトが向かった先には、平服に身を包んだ中年の男女二人組の客がいた。

 この二人、見るからに偉そうな雰囲気が漂っているのだが、その見て呉れ通り、ウェイトレスが丁寧な接客をしているにも関わらず、両者共煙草をふかしながら「お客様ヅラ」をかます、随分と傲岸不遜な連中だった。

 意気揚々としていたトマトに、不安が走る。そもそもこのお二方は入店時から早速偉そうだったし、女の方が「このお店で一番美味しい料理とワインを持ってきて。早くして頂戴」と糞生意気に注文したものだから、トマトだけでなく他のスタッフ達も気分を悪くしていた。このお店の料理と酒に美味さの順位など一切存在しないのだが、店側は、期間限定のメニューとしている国産牛の霜降りステーキ2セットを、この残念な身の程知らず二匹に出した。…にも関わらず、お二方は料理に目を向けず、ワインを鳥渡ずつ口にしながらお喋りに夢中になっている。漸く料理を食べだすと、あたかも彼等は高級食材なんて当たり前のように食べてます、みたいな態度をとりやがる。料理や酒に対して有り難みを感じようとすらしない(出来ない)、本当の意味で頭の悪いゲス共。


「……僕に何か、悪い所があったのかな?嫌いな食べ物だったのかな?見ての通り、僕だけじゃなくて他のお野菜やお肉、ワインも残されてる。一体、どうして……」

「トマト君達に落ち度なんてないよ。……でもまさか、そんな酷い人間がいるなんて……」

「ごめん、不安を煽って」

「いや、そんな。寧ろ、現実を伝えてくれて有り難う」

「パセリ君……」

「……よし、心の準備が出来た。トマト君、僕は犠牲者である君と、君達と、その苦痛を、分かち合うよ……」

 そうは言ったものの、パセリの心の中にはなおもまだ人間を信じたい、信じようとしている気持ちがあった。夢が叶うよう祈り続けたいという想いと、強い緊張と不安が、混沌としているのだった。

「……時間、だ」

「……え、時間って、どうしたの、トマト君…?」

「……意識が、ね、どんどんと、薄くなって、いるんだ」

「意識が……?」

「…役目を、果たせなかった僕は、これからゴミ箱に捨てられ、焼却場に持って行かれ、そして、ただの灰になる。僕はもう、…ただの、用済みって、ことさ…」

「そ、そんな……」

「……パ、セリ君……」

「トマト君!!」

「……君と、の、約束、……守れない、かも、知れない……」

「……」

「……ごめん、ね。……そし、て、…あり、が、とう…………」

「……………………」

 悔しさと悲しさが激しく突き刺さった。慟哭に、打ちひしがれるパセリ。しかし現実とはとことん残酷で、彼は不安定な心のまま客(にんげん)のもとへと向かわされたのだった。

 そんな精神状態で彼が向かった先にいたのは、二組の大学生のカップルだった。

「お、来た来た!うわぁ、すっげぇ良い匂い、美味そう!」

「キャー凄ーい!美味しそぉー!!」

(……この人達、愛想は悪いって感じもしないし、寧ろ明るいし、トマト君が見た人間とは違うタイプなのかな……)

 その若者達を見て、パセリの気持ちは尚更複雑になった。

(…でも、何れにしても、覚悟……いや、祈るしか、ない……)


 若者達の会話は盛り上がり、やがて食事も終わりを迎えようとしていた。ところが、ハンバーグは四つとも綺麗に完食せられているのに、パセリには誰一人として手を付けていなかった。笑い声の絶えない若者達をよそに、パセリの感情の震えは頂点に近付いていた。

(……信じたくはなかった。でも、嫌な予感はしていた。でも、いざこうなると……)

 とても辛いものだった。

 するとここで、若者達の内の一人の男が、こんな事を口にしたのだった。

「おいお前等、パセリ残してんじゃねぇよ!好き嫌いしないでちゃんと喰えよ!じゃなきゃ、健康に悪いだろうが!」

 …!!

 なんと。良い事を言うではないか、この若者は。…というのは、大嘘。この男も、パセリを残している。他人の事をとやかく言う筋合いなど、全く無い。

 男の発言は、まだ続く。

「つーかさ、パセリなんて飾り以外の何ものでもないし、マジ喰う必要なんてねぇよな。てか野菜自体不味いし、食べたら余計体に悪いっての」

 何故かヘラヘラと楽しそうに喋る四人に、パセリには怒りも悔しさも悲しみも如何なる感情も生まれなかった。

 そんな、空っぽの心を抱いた彼に、更なる心無い仕打ちが襲い掛かる。

「…よっしゃ。罰ゲーム、しようか」

「罰ゲーム?」

 男の言葉に、男の彼女が返した。男が、罰ゲームの内容を説明し始めた。

「今から俺等四人全員がジャンケンやって、んで負けた奴が四皿のパセリを全部纏めて一気喰いするってやつ」

「えー何それー、面倒臭いし嫌ー。もうさっさと帰ろうよぉー」

「まぁまぁそう言わずにさ、やろうぜ早く」

「んもぉー、仕方ないなぁ。じゃあ……」

 ジャーンケーンポン!

 落ち着いた店内の雰囲気をぶち壊す、厚顔無恥な四匹。

「よっしゃあ!勝ったぜ!」

「うっそぉ、ちょっと待ってよ、あたしパセリだけはほんと駄目なんだって…」

 負けたのは、もう一人の女だった。

「お前の女、負けちまったな。お前の手でさ、愛の籠ったパセリ、食わせてやれよ。な、恒夫!」

 そう言って恒夫という奴の肩をポンと叩くと、男は恒夫に、自分が手でこねこねと丸めたパセリの塊を渡した。恒夫はぎゅっと目を閉じている自分の彼女の口に、強引にパセリを突っ込んだ。

「いやっ!!……うぇっ」

 女は、五回もぐもぐと咀嚼した後、嗚咽しながら、パセリを全部皿の上に吐き出した。

「うわっ!きったねぇ!何やってんだよお前吐いてんじゃねぇよ超ウケる!www」

「…ちょ、笑い事じゃないから。だからあたしパセリはほんとムリって言ったでしょ。…うっ、きっつい、マジ…」

 四匹はなおもまだ笑い声を絶やさぬまま、散らかしたテーブルと、汚され、ぐちゃぐちゃにさせられたパセリをほったらかしにして、店を去って行った。この四匹もまた、激しい好き嫌いに罪悪感を抱いていない、無神経で自分勝手で脆弱で己の愚かしさを理解出来ない知恵遅れのエゴイスト共だったのだ。


 ──そうか。成る程。これが、現実だったというわけか。「信じられない。信じたくない。トマト君の言っている事なんてウソだ!」と思っていたついさっきが、懐かしい。…現実が、今はっきりと僕の目の前に姿を現している。テメェで料理を注文したくせに、テメェの都合と欲望で生物を捕らえ殺し喰らっているくせに、人間って存在は、…この上なく無責任だ!

 …僕は知った。

 人間という名の妖怪は、己の非を認めない上に、己の其の悪が悪である事に気付いていない。短絡的且つ自分主義であるにも関わらず、あたかも森羅万象の頂に立っているかの如く自分以外の存在を見下し、平気で痛め付け(中には、生き物を殺す為の薬などを作って金儲けをしている人間も居るらしい。一寸の虫にも五分の魂などという概念は、この欲界には実際存在していない。…『悪意』という不憫な概念を持っている生物は、人間だけなのに……)、相手の辛苦などを理解しようとすら出来ていない。また、それらが所以で直ぐにその場その時の環境や気分に支配されて、楽な方へと流されてしまう。意識的無意識的問わず自分さえ良ければ良いと、自分以外の存在の立場になって考える事を面倒臭がる。だから其の所為で僕は今こうして醜悪な姿にさせられた。

 虐げられたのは、僕だけじゃない。トマト君も、トマト君と一緒だった他の食べ物達も、皆辛く痛く苦しい思いを強いられた。何かの生物が生きるには、他の何かの生物が犠牲にならなければいけない。ボケがつく程の平穏さに甘んじている人間共は、この、自然界の掟と、弱肉強食という言葉に、先ず耳と目を傾けなければいけない。そして、生きていく事の大切さと厳しさ、命の尊貴さ(とうとさ)を、知らなければいけない。じゃなければ、僕等食材に幸せが訪れる事も、人間が健やかに生きていく事も、…無い。こんな事、あってはならない、許されざる事。なんで今のこんな現状を受け入れているんだ、人間共は?「生きる為に食べる」、「食べる為に命を懸ける」──文句など言わず、格好付けて「自分はグルメだ」などと気取ったりせず、恩恵や有り難みを素直に受け入れる事は出来ないのだろうか?アナフィラキシーや何かしらの症状がある訳でも無いのに愚か且つ弱っちぃ精神を恥じらいもなく見せびらかすのは、実に言語道断。…ねぇ、人間さん達よ、いい加減、…目を覚ませよ。

 ……いや、もう、綺麗事とか言うの、やめる。だってどうせ、いくら言葉並べたって、人間達の耳には入りゃしないんだから。莫迦に付ける薬が無いぐらいなんだ、綺麗事を並べるだけで解決出来るのなら、もうとっくに人は変わっているだろう。

 ─過ちは、決して消す事なんて出来やしない。それこそ莫迦に付ける薬が無いのなら、痛みと苦しみを与えてやれば良い。悪の数だけ不幸は増え、そして悪が滅んだ数だけ幸福は増える。迷惑ばかり掛ける邪魔な存在は、地獄に落としてしまえば良い。生きていたって意味の無い、ヴァンダル共め…。

 僕は、嗜虐家でも、間違ってもいないからね。寧ろ、金持ちぶりをアピールしている奴とか、そういう「金さえありゃ何でも許されるのです」みたいな気持ちで己以外を見下したり穢多扱いしている奴こそが正に嗜虐家だからね。我が儘の極み。客という立場を利用して金を払いさえすればどんな言動も受け入れられると勘違いしている莫迦共よ、テメェが汗水流して手に入れている金なのだからもっとちゃんと清く美しく使えば良いのに。……莫迦共め。

 ……うん、まぁ、せいぜいさ、刹那の誤った悦楽に、今の内にヘラヘラし乍ら浸っていれば良いさ。自ら「不健康」という爆弾を背負い、自らの肉体が無様に朽ち果てていくのを望んでいるのだからな。……悪を懲らしめる事って、いけない事ですか?悪が跋扈している世の中って、どうお思いですか?散った「仲間達」や、ヴァンダル外道共に差し出されようとしている仲間達の事も思うと、今の僕は、喜んで悪魔になれるんだ。僕には弥一お爺さんの魂も込められているからね、この僕の魂、粗末には出来ないんだよ。

 ──だから、これから、オレの「仕事」が始まるのだ。無駄死にした、いやさせられた存在として、最良の呪いと裁きを、与えていってやる。復讐という、な。作り手の思いも苦労も知らず、戦争という地獄を経験した弥一お爺さんの心を蔑ろにする奴等へのリベンジだ。食べ物がある事が当たり前だと思っている、食べ物を口にする事が当然だと思っている、いや寧ろ食する事が当たり前過ぎて感覚が麻痺してしまっている、食事をする事の苦労さを知らない奴等へのリベンジだ。


 弥一お爺さん ごめんね


 でも 産んでくれて ありがとう


「坊や──」

「!!?」

 いつの間にか、目の前に、全身が霞んでいる女性が現れていた。

「あなたは……サエお婆さん!!」

「坊や、私のもとへおいで」

「え……?」

「坊やには、苦しんで欲しくないのだよ。お前のその綺麗な魂を、汚さないでおくれ。これからはずっと、私のもとで安らかにお眠りなさい。そして、目一杯、お泣きなさい……」

「……」

「さぁ、参りましょう、坊や」

「……お婆さん、悪いんだけど、先に行っててくれないかな。もう少しだけ、……」

「……そう。分かった。じゃあ、待ってるからね……」

 サエは、すっと姿を消した。


「……サエお婆さん、ごめんなさい。僕、お婆さんのもとへは行けないんだ。僕には、これからやっていかなければならない仕事があるから。ありがとう、そして、ごめんなさい…………さようなら」

 怨念と悲しみを抱え、修羅の道に足を踏み入れたパセリ。これから、彼の孤独な戦いが始まる。永遠に──


 ──「自業自得」による不健康に苛まれていらっしゃる皆様。それは、もしかしたら、

「食べ物の怨み」

 かも、知れませんよ…………

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希~ねがい~望(下) 想人~Thought~ @horobinosadame

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