越智家の棟梁
@robocogaHt
第1話 越智家の誉
「ねえ、お父さん。」
息子の将が欄間に飾ってある写真を指差して尋ねる。
「指をさしてはいけないよ。」
息子の指をおろさせる。
欄間には額縁に入った白黒の写真が飾られていた。
「桂ちゃん、いいんよ。ねえ、将君。不思議よねえ。」
真知子叔母さんがケラケラと笑う。
欄間に飾ってあるのは越智家の先祖の写真だ。いかめしいカイゼル髭で羽織り姿、軍人の姿をした同じくカイゼル髭、いろんなパターンはあったが、一人を除いて皆老人だった。
越智家はもともと平民だったが、明治時代から高級軍人を何人も輩出し、いつしか地元では有名な武門の名家となっていたそうだ。
いまだに隣近所の老人は越智家の人々に深々と頭を下げる。
私、桂馬は息子を連れて実家の愛媛に帰省中である。
もっとも帰省と言っても私の生まれ故郷と言うわけではないが、幼少の頃よりよくしてくれた親戚筋がいるので、ルーツの一つとして有難く「帰省」させてもらっているという形だ。
なお、妻は仕事の都合で九州に残っているので毎日私が息子の好奇心に付き合わねばならなかった。普段は妻がその役割をしてくれているのだが、こうも大変なものだとは思っても見なかったというのが正直なところである。
それはさておき息子の質問に答えねばならない。
「なんだい、将。」
「あの写真はなに?」
「ご先祖様の写真だよ。むかーしのお爺ちゃんのお爺ちゃんくらいの時代の人達だよ。」
「みんなお爺ちゃんなのに、なんであの人はおじさんなの?」
息子が疑問に思ったのは一人の青年将校だった。
あれは越智桂太郎という大叔父だ。
祖父から聞いた話だと昭和20年に沖縄で戦死したのだとか。
「昔の戦争で若くして死んでしまった、ひいお爺ちゃんのお兄さんだよ。」
「先祖なの?」
「そうよ、とても立派な軍人さんだったそうなんよ。」
ひょいと顔を出した真知子叔母さんが解説してくれた。
「将君のひいお爺ちゃんには兄弟がおって、そのお兄さんがあの写真の桂太郎さん。弟が桂三郎さん。」
「わかんない。」
確かに5歳児には難しいだろう。
真知子叔母さんは丁寧に家系図をメモ帳に書いて図説してくれた。
「これこれ、こう。」
「お爺ちゃんたちはみんな戦争で死んじゃったの?」
「いいえ。戦争で亡くなったんは桂太郎さんだけ。」
「桂三郎お爺ちゃんは?」
「桂三郎お爺ちゃんはね、私のお父さんで、将君が産まれた年に死んじゃったんよ。」
「へえ~」
そういえば将が産まれた翌週に桂三郎さんが亡くなったのを思い出す。
妻の産後と仕事の兼ね合いで葬儀には不義理をしてしまった。
「いや、その節は。」
「いいんよ、桂ちゃん。仕方なかったじゃない。」
越智家は武門の家だったが、戦後は男子に恵まれず、一気に衰退してしまい、今では真知子叔母さんが一人でこの旧家に住んでいるだけだ。
終戦時に海軍中尉であった桂三郎さんの死をもって事実上越智家は普通の一家になったともいえる。ゆえにか不義理も大ごとにはならなかった。
なお、私の祖父である桂次郎は昭和19年に武漢の戦いにおいて片足を吹き飛ばされて除隊し、その後は商社マンとして生きた。除隊時の階級は確か大尉だと聞いた。
祖父は愛媛から大分に渡って結婚、商社経営で財を成し、男子ひとりを授かる。
それが私の父だ。
父は地方大学を卒業したのちに県庁に勤め、結婚した。
そこで生まれたのが私というわけだ。
祖父は私の結婚をみて安心したのか、翌年癌で亡くなった。あと3年ばかり生きていれば曾孫である将の誕生をみられたのだが、まあそれは運命だ。
そう。武門の誉れであった越智家の末裔である私にも男の子が一人。
世が世なら息子の将も軍隊・・・がないので自衛隊に入らねばならなかったのかもしれない。そういう私はイラスト作家である。
祖父や父はそういう武門がどうのと言う人ではなかったが、桂三郎さんはうるさかった。自衛隊に入れ入れと愛媛に顔を出すたびに言われたものだ。
ふと写真を見上げる。
桂太郎さん。
キリっとした顔立ち。軍刀を構えたその姿は帝国軍人の鑑だ。
「桂太郎叔父さんは、それはもう厳格で質実剛健、軍人の中の軍人だった・・・って父が事あるごとに言ってたんよ。」
真知子叔母さんも桂太郎さんの写真を見ている。
桂太郎さんは確か沖縄で米軍の戦車部隊に斬込んで見事な最期を遂げたと聞いている。だいたいこのへんの軍隊ネタは桂三郎さんの語りによる。
愛媛に顔を出すと必ず桂三郎さんは桂太郎さんの武勇伝を語った。
真知子叔母さんの旦那さんは自衛官だったが、在職中に病気で亡くなっている。子供には恵まれなかった。
桂三郎さんの落胆は想像できる。
越智の家の武門を継ぐのは私となったのだが、私は興味を持てず美大を出てイラスト作家となった。祖父も父も桂三郎さんの要求はきっぱりとはねつけてくれたようだ。
写真の桂太郎さんと目が合った。
彼はいったいどういう人生を送ったのだろうか。
「桂太郎叔父さんはね、実はお子さんがいたんよ。」
真知子叔母さんがボソッとつぶやいた。
「奥さんの恭子さんのお腹の中にはお子さんがおったんだけど、松山が空襲でやられたときに大やけどをして赤ちゃんもろとも亡くなったらしいんよ。」
壮絶だ。やはり戦前の日本人の悲壮な生活は想像もできない。
「恭子さんは桂太郎さんの戦死が知らされて落胆しとったんだけど、気持ちを持ち直した矢先に死んだっていうのがほんに可哀そうなんよ。」
思わず将の顔を見る。
生まれた時代に恵まれた。のんきに(のんきでもないが)イラストを描いて生計を立てられる時代で本当に良かった。
将はすっかり興味をなくして畳の縁でミニカーを走らせて遊んでいる。
桂三郎さんがいたらミニカーで遊んでいる将に「将はきっと立派な輜重兵になれる。」などと懐柔をはかっただろう。
今にして思えば桂三郎さんは口うるさい軍国主義者だったが憎めない大叔父ではあった。
その桂三郎さんが畏怖していた桂太郎さん。
またたきもしない、喋ることもない。写真の大叔父と再び目が合った。
夜のとばりが降り、すっかり静まった越智家
私は隣の部屋から何か会話が聞こえるのに気づき目が覚めた。
ふと見ると隣に寝ている将がいない。
「将?」
将は一人で便所に行けない。家でも行けないのに、不気味なことこの上ない越智本家の便所には近寄ることもできない。
ふすまの向こうから将の声がする。
誰かと話している。
「誰だ・・・将・・・?」
おそるおそるふすまを開ける。
将の背中が見えた。そしてその向こうには軍刀を構えた軍人がいた。
その人物と目が合った。昼間確かに見た。この人は。
「貴公、この子の父か。」
陸軍少佐越智桂太郎その人であった。
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