Dear

日向


お元気ですか。

変わらず元気にやってくれているといいのですが。


麻弥がいるところは東京と同じ大都市ですが、

そちらは曇りが多いそうですね。先日テレビで知りました。


去年の秋、連れていってくれたレストランを思い出します。

あそこの料理は豪快に肉が盛られ、味付けもシンプルで、なんだか野性的な味でしたね。

僕がいつも家で食べているのとは真逆でとても新鮮なでした。

あのお店のご主人はだいぶ年をとっていましたが、今も元気に厨房を仕切っているのでしょうか。



さて、いま手紙を書いているのは大事なことを伝えたかったからです。


実は、再来月いっぱいで勤務地が変更になりました。

東京から飛行機を使っていくようなところです。


前から僕の会社の中身を知っている麻弥には言うまでもないかもしれませんが、

転勤となると少なくとも5年は東京を離れることになると思います。

もしかしたら10年。

役職のない僕にはそれくらいめどのつかないことです。



情けないことを言うと麻弥に失望されてしまうかもしれないけど、

これがいいタイミングなんだと思います。


もし、僕ができることがあったら教えてください。

メールでも手紙でも第三者を通しても構いません。



国際郵便を出すのは初めてで、念のためネットで調べた郵送期間より早く出したので、かなり早めにそちらに届いたかもしれませんね。

少なくとも再来月までは連絡は取れます。

お仕事が忙しいなら、連絡不要です。


こっちでは桜が咲き始めました。

そちらはイースター祭が行われるのでしょうね。



どうぞ、お体に気をつけて。

麻弥の成功と幸せを願っています。


松上 類



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手紙は突然だったし、内容も突然だった。

でも、意図はわかる。私が遠回しな伝え方が嫌いだからだ。

コミュニケーションする相手に合わせて伝え方を変える人だ、類は。



転勤先を伝えられなくても、どうにか探すツテはあった。

でもその文面から、類は私たちの関係を本当に終わらせるつもりだと分かった。

そもそも冗談でこういうことを言う人じゃない。

別れを切り出すのはいつも私からだった。


それは彼への当てつけでもあったし、幼稚な愛情の乞い方でもあった。


初めて会った時から類に甘えていたのかもしれない。

職場でもみんなから「松さん」と呼ばれ色々と頼られる人で、穏やかな人柄が眼鏡ごしの瞳から見えるようだった。

自分とは明らかに違うタイプで、だからこそ突っかかったのかもしれない。


しばらく一緒に働くうちに「松さん」のペースに乗せられてしまった。

私の口撃をかわすだけでなく、それをチームの笑いに変えることでチームの指揮は高まり、結果的に3年間一緒に働くことになった。


私が転職するとき、送別会で「餞別にプライベートの連絡先を教えてください。」と断れない方法で迫り、

2人で会いはじめて3回目には「松さん」から「類さん」に呼び名が変わっていた。


「類さん」から「類」に呼び名が変わるころ、私は転職先を辞め、決して余裕があるとは言えない年齢で海外で働くと決めた。

両親や友人には散々引き止められたが、頑固な私の性格を分かってか、みんなどこかで諦めていたのかもしれない。


類も例外ではなく、平凡で建設的な意見を述べた後、「やりたいことが見つかるのは全員ができることじゃない。それに、麻弥の決心は変わることはないからな」と言った。


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窓から見えるマルシェを身を下すと、白人の若い女性とアフリカ系であろう青年が腕を組んで歩いていた。


去年の秋、類が都合をつけて会いに来た時は、まるでずっと前から住んでいるように、私たちはこの街にとても馴染んでいた。


類と私も長靴みたいなブーツを履いて、5センチも身体が離れてしまうと死んでしまう生き物のようにずっとくっつきあって街を歩いていた。

同じマルシェで地元の人が編んだ手袋を買い、不格好なナスを3つだけ買って、それをコートのポケットに入れて、それから、おおげさにふざけて私のアパートまでも戻った。


あの時、私たちは付き合いたてのカップルでもあり、お互いを分かりきった老夫婦だった。


窓を開けて少し前のめりになり、さっきのカップルを見ていた。彼らもかつての私たちのように笑っていた。

外のカップルを見ながら、私たちは彼らであり、彼らは私たちであると分かった。

一緒にいることも別れることもできる。どちらも選ぶことができる。


私がしばらくして日本に帰った時、類とは遠い場所にいる。

でも、でも、今よりずっと近い距離だ。飛行機をつかったとしても今の遠距離の1/10だろう。


それでもう駄々をこねるほど自分にエネルギーがない。

何かを勝ち取るために努力するより、降りかかってきたものを平気なふりをして受け流すほうが「自分らしい」と思うような年齢になった。



もう類に下の名前で呼ばれることがないという事実が苦しかった。

一方的に別れを告げられた人間の「成功と幸せ」を願う類の純粋で残酷な人柄が憎かった。


でも私の知ってる彼はそういう人だ。

深い関係になっても、こちらが違和感を覚えるほどに丁寧さを忘れない人だ。

何の保険もなく海外に行くと言ったときは、

母親が我が子を心配するような目で、それでいて父親が我が子を強く信頼するような短い言葉で安心させてくれるような人だ。

手紙といういまどき面倒くさい方法で、ともすればどこかで紛失される手紙という方法で、こんなにも大切なことを伝える人だ。



一緒に行ったレストランの料理よりもシェフの人柄の方を深く覚えているような人だ。



私と彼の「これから」はもう無いのだと分かった。同時に、一瞬の風が頬にあたる感触を覚えているように、

彼を一方的に想っていた日々

彼と日本で過ごした日々

距離が遠くなってからの方がよりお互い近くに感じていた日々はいつまでも「ある」のだと私は知っていた。



しばらくぐるぐると回想をして、先ほど見かけたカップルの声が外から聞こえたような気がして、

そうやって、小さな部屋には似つかわしくない大きな窓から、ぬるい午後の空気を肺に入れることができた。






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