Operation 3 ヒトラー暗殺計画

 かくして、デーニッツはまずヒトラーを隠密裏に暗殺することを考えた。この廃人、いつまでも生きていられては困る。ろくなことしやしない、いかなる暴力ゲヴァルトをもってしてでも止めねば、とデーニッツは思った。


 しかし、すでに数度の組織的暗殺計画を切り抜けてきたヒトラーである。ことは慎重に進めなければならない。空軍を名目上支配するゲーリングにはぜひ協力してもらいたい。ゲーリングは長い間、ヒトラーと共闘した有志ではあるが、最近のヒトラーの行動に対し、大いに危惧しており関係も悪化の一途である。


 また、最近ではジェット機の運用をめぐって、ゲーリングはヒトラーの陰で動くデーニッツと強力な関係を結ぶに至っている。大胆不敵で、役者じみたところもあり、敵も多いが国民的人気も十分に獲得している。


 また、Me262Z量産の立役者、アルベルト・シュペーア軍需相は事態を非常に冷静に分析しており、すでにデーニッツとは懇意である。宣伝相ゲッベルスはヒトラー側近ではあるが、内心は気の小さな、何もできない不器用な男だ。放置するのがよかろう。さて、ヒムラーだ。ヒムラーは背後で敗戦工作をするなど、ヒトラーに対する後ろめたさもありデーニッツへの協力を確約した。ヒムラーに対してデーニッツは言い放った。


「いいか、ヒムラーさんヘル・ヒムラー。これは確約だ。あなたがどうなるかは、あなたの行動しだいだ。わかるな。親衛隊を動かそうものなら私は直ちにあなたの不正を総統に暴露する」


 ヒムラーは黙ってうなずいた。額から、冷たい汗が首をつたって、下着にしみこんだ。


 その後、ゲーリングとデーニッツは何度か会談を繰り返し、極秘裏に作戦を練った。エアハルト・ミルヒは直接、ゲーリングから呼び出しを受け、準備を進めるよう指示を受けた。不穏な動きをするガーランド元空軍司令官は要注意ではあるが復職して職務に忙殺されている。今はミルヒのライバルといった間柄である。


 やがて、デーニッツはベルリンでヒトラーと直接会う機会を作り接近した。名目は、西部戦線諸作戦の戦果報告である。ドイツの劣勢に精神的なダメージを受け、病み始めたヒトラーは勝ち戦の話を喜んで受け入れた。場所は総統地下壕であった。戦況が悪化してからというもの、ヒトラーと首脳部は総統地下壕で居住するようになっている。状況が変わった現在でも同じである。


 ヒトラーは見るからに血色が悪く、髪も乱れてはいたが上機嫌であった。ヒトラーが禁ずるにもかかわらず、統制の乱れからタバコのにおいがどこからかしてきた。デーニッツは敬礼した。


「マインフューラー、ごぶさたしております。戦線視察から戻りました」


 ヒトラーは奥に向かって声をかけた。


「エヴァ、いるかい?デーニッツ閣下がお出ましだ。私の新たな親衛隊さ、ご挨拶を」


 エヴァ・ブラウンは皿に盛りつけた砂糖菓子をすすめた。エヴァは何度かデーニッツを見たことはある。ドイツ人にしては長身でもなく、凡庸にさえ見えるこの男は、ヒトラーが持つ指導者らしい冷徹さを欠いているように思えた。


「デーニッツさん、はじめまして。どうぞお召し上がりを」


 デーニッツはやんわりとそれを断った。


「ダンケ、フロイライン・ブラウン。ただ、せっかくのお手製なのですが私は甘いものが苦手でして」


 エヴァ・ブラウンは笑顔を浮かべながら秘書のトラウデル・ユンゲを呼んだ。


「あら、そう。ユンゲ、何かお気に召すものでもないかしら」


「いえ、お気遣いだけでもありがたい。総統と個人的なお話がございます」


 ヒトラーはエヴァに目配せをした。承知したエヴァは秘書のユンゲと共に少し不満げな表情を浮かべて出口に向かった。ヒトラーは張りのない声で言った。


「デーニッツ、君はすばらしい。君は第三帝国のため尽力している。私の補佐として十分な働きだ」


 なにをいってるんだ、この廃人め、とデーニッツはおくびにも出さず思った。エヴァが完全に退室したのを見すかさず、デーニッツはヒトラーにアルプスに一泊でスキーに行くことを提案した。


「われわれの作戦は成功しています。マインフューラー、ご多忙の折ご休息も必要かと。ソ連に対する長期的戦略プランも用意しています。暖炉でくつろぎながらそのお話でも」


「戦局も一段落だ。いいだろう」


 ヒトラーはこともなげに言い、了承した。


 アルプスでのスキー旅行にデーニッツは実際には行かなかった。ヒトラーには同行するよう誘われたが、作戦計画立案中のため直後に向かうと伝えた。ガーランドはそのことを知ると、不審げにミルヒに尋ねた。


「この戦局に旅行とは。少しおかしくはないか?スキーだと?春も遅いのになぜまた。まさか、デーニッツ……」


「いえ、この時期だからでは。指導者にも休息は必要かと」


 ミルヒはこともなげに答えた。妙な回答をするミルヒにガーランドの不審は高まった。


 その日、ヒトラーは側近たちとアルプスの別荘に総統専用機で向かった。ヒトラーらが離陸したのを知ったデーニッツは特務飛行隊で背後からヒトラーを追跡させた。しかし、ガーランドが事態を知るに至り、さらに後続するMe262Zを発進させようとした。だが、Me262Zの燃料には小細工がされていた。ジェット・エンジン始動させ、離陸のためにブーストした途端にそれらの機体は爆発大破した。


 ミルヒはヒムラーを通じて親衛隊の介入を回避し、あらかじめ準備させていた軍直属の武装警察を出動させた。警察は警備員不在のガーランド執務室のドアをたたき破った。各所に電話をかけようとガーランドは焦っていた。そして、電話機に手をかけたガーランドは、武装警察を見て観念の表情を浮かべた。武装警察の部隊長が冷徹に言った。


「ガーランド閣下、軍事裁判所より令状です。罪状をお読み上げします」


「罪状ね。どうせ、そんなものはベルリン官庁が言い訳のために作った紙切れだろう」


 警察部隊長は言った。


「お言葉ですが……」


「早くやれ!」


「わかりました。アドルフ・ガーランド容疑者、反乱未遂のため発見次第、銃殺に処すこと」


 ガーランドは素早く右手を挙手し、叫んだ。


「ジーク・ハイル!」


 ガーランドは軽機関銃で打ち抜かれ即死した。ガーランドの行動は結局、単独に終わり総統専用機と後続する特務飛行隊はベルリンを飛び去った。


 総統専用機の中は実に静かであった。ヒトラーとエヴァはそのひとときを楽しんでいた。窓からの眺望はアルプスに続く山並みと雪景色が見えた。乗務員は「その直前」、ヒトラーとエヴァ・ブラウンに茶と菓子を勧めた。乗務員は言った。


「デーニッツ閣下より、お差し入れのチョコレート菓子です。お好みに合わせた特別製です。デーニッツ閣下は追ってきたジェットにお乗りです。デーニッツ閣下より電文がありますが、読み上げますか?」


 ヒトラーは答えた。


「いや、結構。着いてからでよい」


 エヴァは自分の名前が金箔で刻まれたチョコレートのかけらを上機嫌に食べ、茶を飲んだ。ヒトラーは窓を見ながら茶だけをすすった。アルプスには素晴らしい別荘があり、エヴァも喜ぶはずだ。ヒトラーはひさしぶりに笑みをその口元にたくわえた。


「エヴァ、もうエーデルワイスが芽生えるころかもしれないな」


「ええ、エーデルワイスは好きですわ」


 一方で、乗務員たちは準備室であわただしく働いていた。エヴァとヒトラーのために、乗務員の入れた茶には強力な睡眠薬、ブロモワレリル尿素が混合されていた。苦いはずではあるが効果的な添加量は微量で、茶に入れたらわかりはしない。薬剤の効果は確実だった。しばらくしてヒトラー、エヴァは二人してうたた寝をはじめた。


 総統機と後を追う特務隊のMe262Z五機はミュンヘンを超えた。事態を知る総統機乗務員はパイロットを除いて事前に脱出した。後続するMe262Zは、オーストリア近辺でV0計五発を発射した。噴煙を上げながらV0は総統機に向かって加速していった。


 この時点で、総統機のパイロットも自動操縦に切り替え、素早く脱出した。隔離されたキャビンでくつろぎ、つかの間の睡眠を得たヒトラー、エヴァの二人は機内に残された。それは幸福な時間におもわれた。


 後続するMe262Zが発射したV0は、近距離のため五発すべてが総統機に命中した。機体は四方八方に飛散した。デーニッツには作戦成功の打電がなされた。それを受け、デーニッツは徹底的な証拠隠滅を指示した。特務機の乗員、総統機の乗員は「特別休暇」と称してベルリン市内の高級ホテルに軟禁された。


 総統機の残骸はくまなく捜索され、完全に焼却された。国民には、偉大なる指導者はその才能がゆえに亡くなった、と伝え、情報統制を強化した。デーニッツは、ヒトラーのみならずエヴァ・ブラウンを道連れにせざるを得なかったことを少し後悔した。しかし、ドイツの生存のためにはやむを得ない。最後に打った電文には「マインフューラー、永遠のお別れです」と書かれていたがヒトラーはついに読むことはなかった。デーニッツは総統職にはつかず、あくまでも総統代理としてドイツのトップに立つことになった。


 ヒトラー死後、デーニッツは次々にヒトラーの腹心を政権から追い出した。真っ先に、ユダヤ人問題を解決しなければならぬ。米国との和睦にこれは必要不可欠である。撲滅収容所は解散だ。デーニッツはユダヤ人の撲滅収容所を改称し、歓待センターに切り替えることにした。関係者は処分せねばならぬ。これまでに酷い目にあったユダヤ人がそう簡単に信じてくれるとは思っていないが、待遇は将官並みにした。帰宅したいものはしてもかまわないが、爆撃の標的になるかもしれないから、という理由で収容所にとどまるよう説得を試みた。ドイツ人市民の中にユダヤ人が戻ればろくな騒ぎがおこらないとも限らないからだ。こういうことは、時間をかけてやらねばならない。


 大半のユダヤ人は懐疑的ではあったが、指導者の交代を知ると納得する者も少なからず出てきた。酒も贅沢品もドイツ人より優遇して供給した。これだけは信じてくれるまで待つしかない。やってしまった行為は消すことなどできない。


 一方で、西部戦線はもはや攻撃する場所すらなくなってきた。フランスに対しては領土を返還し独立させた。ヴィシー・フランスのトップであるペタンは政権内の一人として残し、統合フランスとした。英国に逃げたドゴール亡命政権は信頼を失いつつあり、フランスとの和睦にはそう時間はかからないはずだが、ペタンを信用して待つしかあるまい。


 このまま英国と和睦できるだろうか、とデーニッツは考えたが、背後に米軍がいる限り、またチャーチルがいる限り無理だろう。もはや、英国を攻撃するしかあるまい。無差別な爆撃は反感を持たせるだけだということを、バトル・オブ・ブリテンの一件で彼は分かっていた。都市部には手を付けず、英国の軍事拠点を片っ端から潰すしかない、そう思いはじめた。しかも米軍には原爆がある。輸送手段はもはやないが、トルーマンはまだドイツを敵視するだろうことは明白だ。


 現在、空軍は優位だがジェット戦闘機だって米国の国力であれば、技術さえドイツから盗めば簡単に作ってしまうだろう。一千万に及ぶ犠牲者を出したソ連もそう簡単には和睦してはくれないだろう、だが赤軍の西進は食い止めねばならない。Me262ZとV0は東に回さねばならぬ。さらなる増産が必要だ。


────


参考文献類:

1)『ヒトラー 最期の12日間』,ヨアヒム・フェスト,2002年

2) 映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』,オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督,2004年

https://amzn.to/2DOAPOH

3) 『私はヒトラーの秘書だった』トラウデル・ユンゲ著, 足立ラーベ加代・高島市子訳,2004年


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る