未然探偵レイ

山田

レイ

 私がレイに出会ったのは大学生の頃だった。


 新入生だった私は下宿先のアパートの庭先で、ウッドチェアに座りながら、ぼんやりとこれからの生活を考えていた。


 庭には一本の桜の木があって、その花弁がひらひらと舞っては土に落ちていた。


 その日は気候も穏やかで考え事をするには最良の日だった。


 目を閉じると頬に暖かな春の陽気を感じ、いつのまにか眠ってしまっていた。


 しかし、ガンガンとやかましい音が夢の中にまで聞こえてきて私は目を覚ました。


 音の方を見ると桜を蹴っている人物がいた。


 それがレイだった。


「君は何をやっているんだ?」

 私は思わずそう声をかけてしまっていた。


 彼は振り向いて、

「事件を防いでいるのさ」

 と答えた。


 沈黙のまま私と彼の視線は交わった。


 それから男はまた桜の木を蹴り出した。

 

 私はあまりの訳の分からなさに言葉を失った。


 長身で寝癖だらけで、目付きが悪くて、事件を起こしそうな側の人間――、レイの第一印象は散々なものだった。


 今でこそ多少は彼の行動理由が分かるようになったが、当時の私にとって彼は完全な奇人だった。


 だから、私はレイと関わらないように努めた。

 華々しい学生生活の第一歩目から足を踏み外すつもりはなかった。


 レイは私と同じ新入生だった。下宿先のアパートでも明らかに浮いていた。

 そうは言ってもこちらから話しかけない限り、人畜無害な男でもあった。


 時折、ポルターガイストを起こす幽霊ぐらいに私はレイを捉えるようになっていた。


 それは桜が散って若葉が芽生え始めた頃のことだった。


 深夜、大きな声がして私は目を覚ました。

 

 レイが騒いでいるのかと思ったが、どうも声の主が違う。


「山田! 開けてくれ!」


 ドンドンと激しくドアをノックする音と共に聞こえてきたのは桜川先輩の声だった。


 私は部屋を出て二階に上がった。


 すると山田先輩の部屋の前に桜川先輩がただならぬ様子で立っていた。


 当然、「何事ですか?」とすぐさま私は尋ねた。


「大変なんだ! 山田からさっきメールが来て……」


 泣きそうな顔で桜川先輩は私に携帯を突き出した。


 そこには、

『疲れました。もう死にます』

 と書かれていた。


「えっ? 本気なんですか?」


「俺も最初は冗談だと思ったよ。でも、あいつ最近彼女と上手くいってないって悩んでいたからよ。念のために部屋に来たら『さよなら』って声が聞こえたあと、物音もしねぇし、鍵も掛かってるし」


「えっ? じゃあ……」


「あぁ、本当にやばいかもしれねぇ、お前、大家さんのところに言って鍵を貰ってきてくれねぇか?」


 状況の悪いことに、長期連休中で、アパートの住民は帰省や旅行でほとんど残っていなかった。


 私は「もちろんです」と頷き、すぐさま走り出そうとした。


「待ち給えよ。若本君」


 突然、廊下の暗がりから聞こえてきた声――、それはレイの声だった。


 一瞬、私は声を失ったが、すぐさま

「今、君に構っている暇はない!」

 そう叫んでいた。


 事態は一刻を争っていた。

 奇人の戯言に付き合っている暇などあるはずもなかった。


「日下部か? 今、そんな状況じゃねぇんだ。後にしてくれ」

 桜川先輩の言い分はもっともだった。


 しかし、

「それはできません」

 などと平素と変わらぬ調子でレイは言う。


 この緊迫した雰囲気を意に介さないレイに私は怒りを覚えた。


「いい加減にしろ! 今なぁ、山田先輩が……」

「安心し給え。山田先輩は生きている。まだね」


 レイの言葉に私は再び言葉を失いそうになった。

 いつも予想とはまるで違う言葉が返ってくる。


「なぜ君にそんなことが分かるんだ?」

「分かるのさ。山田先輩は生きている。桜川先輩、そうですね?」


 私はとっさに桜川先輩に目を遣った。


 桜川先輩は困惑した様子で

「お前、何を言ってるんだ?」

 と言う。


 困惑するのも当然だった。


「今、桜川先輩が手にしているドアに鍵は掛かっていません。鍵の掛かっている演技をしているだけです。山田先輩は睡眠薬を飲まされ、中で眠っています」


「はっ? お前、ふざけてんのか?」

 途端に桜川先輩の口調は険しくなる。


「若本君、桜川先輩はね、君が鍵を取りに行っている間に山田先輩を殺す考えなんだ。殺した後、君から鍵を受け取って、あたかも鍵を開けるふりをするのさ。そうやって密室を作り、自殺に見せかけるって魂胆なのさ」


「変人野郎が! 適当言ってんじゃねぇ! 若本、行け!」


 私はその場を動けなかった。


 レイは訳の分からぬ男だった。しかし、その言葉には不思議な説得力があった。


「桜川先輩……?」


「何だ……、お前まで、俺を疑ってるのか?」


「そのドア……、僕に開けさせて貰えませんか?」


 その言葉で桜川先輩は泣き崩れた。


 答えは明白だった。


 ドアを開けるとレイの言う通り山田先輩は眠っていた。


 眠る山田先輩を前に

「古典的なトリックさ」

 とレイは呟いた。


 後日、桜川先輩は殺人未遂の容疑で逮捕された。

 山田先輩とその彼女と桜川先輩は三角関係にあったらしい。


 それから、私は日下部レイという人物に興味を抱くようになった。

 奇人ではあるがどうにも悪いやつではないらしい。


 ある時、私はレイに

「そういえば、桜を蹴ってた件の事件は防げたのかい?」

 と尋ねた。


 すると、

「防げたさ。だから君は生きているのだろ?」

 とレイは答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る