アフロンティア〜片山小太郎伝〜

木村(仮)

プロローグ

 ごわごわと、それは男気。

 ざわざわと、それは未来。

 もとこもと、それは芸術。


 この日、片山小太郎は進化を遂げた。うちからこみ上げる気力は大地を揺るがし、天をも貫く。これまでの片山小太郎はもういない。いるのは、そう、本物の片山小太郎に他ならない。右手には勇気を、左手には希望を携え、目の前に広がる闇は一筋として私に影をつくることなどできないのだ。


 ——おお、みなぎる。

 これからの片山小太郎は、世界の王となるべく歩む。


 きっとすれ違う皆が皆、「ああっ! なんてステキな片山小太郎!」と振り向くこと必至であろう。いやはや、やめてくれ、照れるではないか。しかし其方らの愛を無下にはできぬ。黄色い声には微笑みを。「いやん! 私に微笑んだわ!」「違うわ、私よ!」おやおや、私を取り合うのはやめてくれ。私はみんなの片山小太郎だ。しっかりと列に並んでおくれ。押すな押すな。ははは。ラブレター? 仕方ない、もらっておこう。まったく、これだから片山小太郎は愛されて困る。むふふ。


「——で、こんな具合になりますがよろしいでしょうか」


 と、私の未来計画はここで阻止された。私の背後(この私の後ろをとるとは、こやつ、やりおる)で奇天烈な髪色をした青年が、疲れたといった面持ちで言う。

 私は正面に映る私を見て、にたりと笑う。

かな! こうでなければ我が覇道は歩めまい」

「……はぁ」

「私に惚れるなよ、青年。この日、私は劇的に変わったのだ」

「そうっすね、劇的というか……喜劇的、的な?」

「私にも笑みがこぼれる。……ああ、世界が見違えるようだ」

「あっ、わかります? こないだ内装変えたんすよ」

「なんと空気のうまいことか」

「ついでに空気清浄機も買ったんすよね」

「私は今、ここに誕生したのだ! 母なる海、母なる大地よ!」

「複雑な家庭事情なんすね」

「さあ、いざ行こう!」


 私は立ち上がり、財布の中で一人震える樋口一葉を手渡す。

「釣りはいらぬよ」


「え、あの……」

 青年は一葉と私の顔を交互に見ては、逡巡するようなそぶりを見せる。

 ふふん、まあこれも致し方ないことではある。なにしろこの若造は、今まで一度たりとも「釣りはいらぬ」と言われたことがないのだろう。私にはわかる。手に取るようにわかる。振り終えた炭酸水のようにわかる。——おっと、比喩が高尚すぎたか。いやなに、文章など、これから紡がれる私の英雄譚を読んで学べばよいのだ。気にするな皆の衆。だれもがはじめは世界に戸惑うもの。少しずつ慣れていくがいい。私は寛容だ。理解できぬ者にはその手を取って諭してあげよう、ヤジを飛ばす者には歩み寄ってそのヤジを聞こう、中指を立てる者にも仏の笑みを浮かべて見せよう。私は寛容なのだ。


 戸惑う青年に向け、

「アディオス」

 と告げる。


 アディオス——それは友が友へ告げる言葉。戦場へと旅立つ者が、残された者へと告げる言葉。私のことなど心配するな。すべては、そう、お前たち仲間のためさ。アディオスの中には幾千の意味と歴史がある。アディオス、それはダンディな言葉。

 あまりのダンディズムを目の当たりにし、青年は立ち尽くす。そんな彼へ、私は背を向ける。これは私なりの気遣いである。彼は、涙しているのだ。私の、あまりの猛々しさに。であればこそ、彼の顔を見てやるものか。男の涙は、人に見せるものではない。すべては己のうちに秘めるもの。だからこそ、私は振り返ることなどしない。青年よ、私の背中を見ろ。この、広い背中を。どうだい、ダンディだろう?


 ダンディ。

 そう、私。

 私はダンディ。


 きゅきゅっと、頭部を触る。

 ごわごわと、ざわざわと、もこもこと、ダンディ。

 ——ああ、すばらしい。

 私の頭部を包むそれは、まさしく鉄壁の兜のように完成され、空へと続く山のように猛々しく、オオクワガタのように黒々と。


 人はそれをアフロという。


 男の中の男、気高さ、ダンディ——その象徴たるアフロ。

 私はこの日、真のダンディマンと化した。もう、誰にも止められない。

 美容室の出口に手をかける。青年は、やはり黙したままだった。やれやれ、いくらなんでも別れ際には熱く握手するものだろう。まあ、それもまた些細なことか。おそらくは私に別れを告げるのが悲しく、切ないのだろう。わかる、私もわかるぞ青年よ。五時間ほどの格闘の末、ようやく私のアフロを完成させた——その感慨に、胸がいっぱいになっているのだろう。しかし青年、何を泣くことがあるか。片山小太郎という男のアフロを手がけたのだ、お前はもう何も恐れることのない身となったのだ。次にアフロを手がける際には、大いなる笑みを浮かべ「私は、かの片山小太郎のアフロを手がけた者なるぞ」と言えばいい。


 そう、青年よ、お前は涙することなどないのだ。

 さあ、私にその笑顔を見せたまえ。


 私は彼の完爾の笑みを見るべく振り返ると、

「失礼ですが、代金が足りないっす」

 青年は、無感情にそう言った。

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