71th Chart:あゝ素晴らしき我が責務


 ふらりと現れた場違いにもほどがある奇妙な姿の女性に対し、疑念や興味が含まれた4対の瞳が向けられる。

 身長はそれ程高くなく、体つきも華奢でスレンダー。海の深淵と言うよりも、樹海の奥に開かれた深い湖の様な青黒い髪を背中まで伸ばし、前髪は赤いヘアピンで横へ流され額を露にしている。狐目フォックス型の合成樹脂製フレームは新芽を思わせる鮮やかなグリーンで塗装されていた。

 第一印象は、理知的な学者と言った感想。夜会服には身を包んではいるものの、上から無理やり羽織られた白衣のせいか、それとも本人から醸し出される印象のせいか、むしろドレスの方が居心地が悪そうだった。


「話はざっと聞き齧っただけだがね。不毛かつ無謀無益無価値な外交ごっこはその辺にしておいて、酒肴に手を伸ばすのが有益だろう」


 やれやれと言った風に告げられた言葉に、ヴァシリーサとオリバーの頬が若干ヒクつく。互いに目の前の相手をこれからどう料理してようかと頭を回した瞬間、完全な部外者に横合いから蹴りを入れられたに等しいのだ。当然の様に、真正面に向かっていた2対の鋭い視線は、既に新たな目標へと指向されていた。


「ええと――初めまして、レディ。私は」

「勝手に存じているから、自己紹介は結構だパッカー氏」


 剣呑な空気を感知し真っ先に緩和に走ろうとしたパッカーの善意も、行きなり現れた白衣の女性には余計なお世話だったようで、にべもなく弾き返された。

 男女に続く様に、端正な顔がピシりと硬化する海軍士官をよそに、謎の女性は物覚えの悪い教え子を諭すかのように言葉をつづける。


「ヴァシリーサ氏もグリッドレイ氏も睨むのはよしたまえ。グリッドレイ氏は本当に何も知らず、ヴァシリーサ氏も試しに揺さぶりかけてみて、後は野となれ山となれ、行き当たりばったりで何か解ればラッキー程度の予定だったんじゃないか?」


 紡がれていくのは忠告と言うよりも単なる煽りに近かったが、性質の悪いことに紡がれた言葉は2人の男女にとっては図星だったようだ。開きかけた口から呻き声が漏れるだけにとどまった。


「そのあたりの丁々発止な舌戦は専門家に任せるのが合理的だ。無論、戦訓など君らでやった方が良い話も多分にあるが。――前線の一士官にカマかけたところで、極秘の艦の建造状況なぞ、噂以上の情報は手に入れられんだろう。価値はともかく、確度はタブロイド並みだ」


 ズケズケとモノを言う、なんて慣用句がここまでピタリと当てはまるのも珍しい。多くの人間であれば、これらの言葉に対する反応は憤慨か、困惑かの二択になりがちだ。

 しかし、この大柄な二人の男女の顔にそれらの負の感情は見当たらず。逆に純粋な興味が沸いているようだった。


「――へっ、何者だ?嬢ちゃん。そのなりじゃ、軍属ってわけでもなさそうだが」

「なぁに、通りすがりの天才さ。そもそも、私が白衣を脱ぐのは風呂と寝室だけだ。後、嬢ちゃんはやめてくれ。年上の淑女には敬意を払うものだよ、小僧ボーイ


 不敵なグリッドレイの笑みに、そんな言葉とともに冷笑を叩き付ける。底冷えすら覚えさせるその微笑に、有瀬の中で微かな既視感が顔を出した。

 その間にも、今度はヴァシリーサが反撃の砲火を解き放つ。彼女も、言われっぱなしは癪に障るらしかった。


「《皇国》人は小柄だからな。貴様は特に――――食事は全ての基本だぞ?」

「おっと、自ら機雷原に突っ込むのは感心しないな駄肉女ヴァシリーサ氏。その無駄に発達した防盾とカウンターウェイトをそぎ落とされたくなければ、均整の取れた理想的なバランスと言ってもらおうか」


 一応、自分がどちらかと言えば発育がよろしくないカテゴリに入れられることを気にはしているようだ。口角を吊り上げて余裕そうな笑みを浮かべては見せるが、全く目は笑っていない。

 これまでの会話に区切りを入れるかのように、もしくは二人から既に興味を失ったという風に、クルリと白衣を翻す。


「さて、小粋な戯言はこれぐらいにしておいて、本題に移るとしようか。私は年がら年中暇だが、暇を持て余してはいなくてね」


 直後、度の強いレンズの奥。虎眼石タイガーアイの様にも見える深い金色の瞳は、自分よりも十数センチ高い位置にある柘榴石を見つめていた。


「初めまして、と言うべきかな? 狂犬艦長、有瀬一春海軍大尉殿。私は永蔵ナガクラ レイ。所属は皇国中央技術院、考古技術研究部で主任研究員をやっている」


「よろしくね」とウィンクする小柄な才女の名を聞いて、ようやく既視感の正体に行き着いた。


 皇室中央技術院、考古技術研究部。

 その名の通り考古学を主軸とした部署だが、掲げている目標は【海神帝の報復】以前の技術体系の復活。予算の都合上開発が放棄された方舟の深淵へと潜り込み、大量のスクラップを拾ってきては日夜弄繰り回し、出舟品のリバースエンジニアリングを試みるのが主な活動だ。

 初期こそ多くの発見と恩恵――現在、《皇国》で使用されている適合婚約制度を支える検査技術等――をもたらし、《皇国》の復興に寄与してきた部署ではあるが、ここ数百年であらかた模倣できる技術は出尽くしてしまったのか、目立った成果を上げることができていない。

 更に、艦政本部を始めとする各種研究機関が成果を出し始めており、時の政府に莫大な予算と人員をかけて方舟の未開拓区画を調査するのは割に合わないと判断されてしまった。

 結果的に、あれよあれよと言う間に予算割り当ても皇国技術院の中で最低、人員も数名程度の名ばかり部署と成り下がってしまったという。

 かつて、この部署の話題になった時、永雫は苦虫をグロス単位でかみつぶしたような顔で、こんなことを言っていた。


 ――現代から過去へ向かって走ることで、一周回って未来へ至ろうとしている倒錯者集団。ありもしない水源を掘り続け、星の裏側までトンネルを掘ろうとしている楽観主義者オポチュニスト


 これは彼女の私怨も多分に含まれていそうだが、言わんとすることはなんとなくわかる。そして、憂鬱そうなため息とともに割と衝撃的な事実が告げられたのは、その直後だった。


 ――非常に不本意ながら、そこの主任研究員は


 永雫・マトリクスは軍籍上の名だ。彼女の戸籍として登録されている名は永蔵ナガクラ 永雫エナ、つまるところ。


「君には、随分と我が愚義妹が世話になっているようだ。礼の一つも言っておきたかったのさ」


 この乱入者は、場違いな工芸品を量産する才女の姉らしい。


「と、言うのが理由の一割」


 言うが早いが、白衣の女性はズイと鼻先が触れ合うほどの距離にまで一息に接近し、好奇心で瞳を輝かせる。潮や硝煙、排ガスの香りばかり嗅いできた鼻腔に、甘い柑橘系の香水と薬品の香りが複雑に入り混じった分子が入り込む。

 改めて間近で見れば、副長に勝るとも劣らないほどの美人だ。永雫は養子であるため顔のパーツはそれ程似ているというわけでは無いが、それ以上にどこかで致命的な相違点をもっているという確信がある。


「理由の九割は、あの気難しい永雫がどうしてここまで君に入れ込んでいるのか、気になったからだよ。実に――実に、面白そうだ」


 

 しかしながら、自分の興味・関心の的を目の前にした際の捕食者染みた笑みは、自分のよく知る副長が浮かべるソレに驚くほど似ていた。








 ほぼ同時刻、彼らの居る場所とは反対側の壁際で、2人の海軍将校が言葉を交わしている。片方は《皇国》駐在武官の中では少数派な連合艦隊に属する海軍少佐、河西啓一。対面しているのは、怜悧な軍師と言った風貌の王立海軍士官だった。


「――空振りでしたか」

「ええ、モノの見事に。まあ、仕方がないですな。何せ第213護衛隊が搭載しているのは、航続距離700㎞程度のシーフォックスが2騎です。龍砦巡洋艦テリブル級が随伴していれば、もう少し捜索の手を広げることができたかもしれませんが。無いものねだりでしょう。周辺哨戒用の騎兵まで、長距離偵察に当てることはできないですからな」


 やれやれ、と肩を竦める王立海軍の友人に河西は残念そうに眉を顰めた。

 シーフォックスは《連合王国》に広く分布するハシボソヒメスイリュウを航空騎化した兵器であり、王立艦隊の目として長く愛用されてきた騎種だ。小型・軽量・頑丈と3拍子揃った名騎であり、正規艦隊だけでなく二線級の護衛部隊にも多くが配備されていた。

 河西は数日前、有瀬との交流で得た疑惑の真偽を探るために友誼を結んでいた男に同じ話を伝えた。その男は彼が話を伝える直前に、古巣の護衛部隊からある部隊の参謀に栄転していたが、何とかコネを利用してティンタジェル海山列への長距離偵察飛行をねじ込んだのだった。

 しかし、たかが2騎の偵察騎では綿密な索敵など夢のまた夢だったようだ。現場は霧に覆われており、濃厚なミルクも同然の霧海に突入するほどパイロットも龍も愚かでなかった。成果と言えば、ティンタジェル海山列の一部を霧の隙間から確認できただけ。

 河西が口にした大規模な敵艦隊の姿は影も形も見られなかった。

 この惨憺たる成果に、骨折り損を刺せてしまっただろうかと河西の中で罪悪感が芽生えるが、当の本人に気にしたような雰囲気はなかった。空振りに対して思うところはあるものの、それらは興味を掻き立てる燃料にしかなっていない様に見える。


「しかし、これをもって貴官の懸念を誇大妄想の類と断ずる気には成れませんね」


 そんなことを宣いつつ、見覚えのある扇子を開き、軽く仰ぎ始める。

 正対する王立海軍中佐は、以前自分が友好の印に送った粗品を愛用してくれているようだった。下心も多分に有った贈呈品だが、目の前で使われて嫌な気分になる筈もない。


「なるほど――使い心地はいかがですか?一応、強度は折り紙付きのはずですが」

「悪くはありませんよ。潮風にさらしても、砲煙弾雨の中で広げても無傷ですからね。頭を冷やすのにはちょうどいい」


 クスリ、と表現するには聊か冷たい微笑を浮かべる海軍中佐――マルコム・フレミング・フィッシャーは、手に持った扇子をゆっくりと振り続ける。

 スマートかつ怜悧な印象を与える青年士官で、叔父に現第三海軍卿――ジャック・アーバスノット・フィッシャー中将を持つ期待の新星だ。しかし、本人はこの時期の王立海軍には珍しい航空畑を歩んできた軍人であり、主に砲術畑のフィッシャー中将とはあまり懇意ではないというのがもっぱらの噂ではある。

 そんな軍人の手に握られている扇子は、骨の部分に耐腐食性の高い軽量合金を使用し、面には王立海軍の紋章が描かれている河西の実家が特注した一品だった。昔ながらの職人気質をいかんなく発揮した父の手により、使いように用っては護身具にもなるらしい。

 もっとも、王立海軍唯一の航空兵力を集中運用する機動遊撃戦隊へ栄転した航空参謀に、そんな機会が回ってくるのか甚だ疑問だが。


「話を戻しますか」


 ぐい、とズレた眼鏡を押し上げフィッシャー中佐は笑みを消した。


「明日の観艦式において、残念ながら本戦隊の艦載騎は全騎が艦列上空で観閲飛行を行わねばなりません。ですが観艦式終了後ならば、偵察飛行に繰り出すことも可能でしょう。その際は出発時刻をずらし、二段索敵を実行させる予定です」


 二段索敵とは、偵察部隊を2つに分けて1度目の偵察騎の索敵線――敵を求めて飛行した方位――をなぞるように時間をおいて2度目の偵察騎を放つ二段構えの索敵方法だ。当然、索敵できる範囲は限られるが、その分情報の確度は高まる。


「ぜひ、お願いします――と言いたいところですが、可能なのですか?」


 本来、航空参謀は航空戦の専門家として戦隊指揮官をサポートする役職だ。彼に航空隊の指揮権は無く、航空騎に直接指示を出すことはできない。機動遊撃戦隊の指揮官は、王立海軍航空騎兵隊の生みの親とも称されるサマヴィル少将だ。強硬な航空主兵主義者で通ってはいるが、部下の心情を理解するため偵察員席に同乗するなど、現場主義的な性格も多分にもっている。そんな人物が、この話を与太話の類だと切って捨てないという保証は少ないように思えた。

 河西の当然の疑問に対し、返ってきたのは実にあっけらかんとした答えだった。


「それを何とかさせるのが、参謀の役割ですよ。ま、わが親愛なる戦隊長殿ならば、小官の意見に口を挟まないでしょうし、挟ませません」


 悪い笑みを浮かべる中佐に、河西の顔が思いきり引きつる。”目的の為ならば手段を選ぶな”などと言う言葉をここまで実践し、体現する男もそうないだろう。


「そ、それは心強いですね――――時に、中佐自身は敵の大艦隊が本当に居ると思いますか?」


 かねてから心に抱き、聞きそびれていた河西の問いに「今更ですな」と小さな笑い声が漏れた。特に考えるようなそぶりはないため、その答えは既に持っていたらしい。


「――――正直なところ、貴官の言うような巨大な敵艦隊が居ようが居まいが、ぶっちゃけどうでもよろしい」


 余りにも直接的な物言いに河西がポカンと口を開け、そんな表情になった友人に気付をするかのように勢いよく閉じられた扇子がパチンと鳴った。一見、無責任とも取れそうな返答をよこした参謀は、鈍く光る贈呈品を弄びつつ言葉を続ける。


「仮に、敵艦隊が居なければ《連合王国》が過ごす太平の世が少しばかり伸び、我が戦隊の航空騎にいくばくかの経験が得られるだけ、実に素晴らしい。逆に、貴官の恐れる様に大艦隊が居れば――」


 言葉を切ったマルコムの視線が、1mほど離れた位置で、何種類かの感情をのぞかせた視線を送る友人へと向けられる。河西の目には、長方形に整えられたシルバーフレームが微かに光を反射し、紫水晶を思わせる瞳に微かな狂喜が過ったように見えた。


「【海神帝の報復】より凡そ1000年、我が栄光の王立海軍ロイヤルネイビーが再び世界最強の名を世に知らしめる好機。そして何より、小官もようやくまともな仕事ができる」


 一息に、「戦などハナから望むところ」と言い切ったフィッシャー。そこに迷いも躊躇いもなく、長らく世界の海に君臨してきた王立海軍の頭脳としての矜持と思考が垣間見える。


「まともな仕事、ですか。貴官は十分その重責を全うしているように思えますが」

「この程度の仕事が務まらぬものに、参謀など務まりませぬ。ですが、参謀の真価が問われるのは言うまでもなく乱世。生と死の間で策を振るい、敵を完膚なきまでに殲滅する。後に残るのは敵と味方の屍のみ。その天秤をできるだけ敵側へと傾けてやるのが、小官の仕事です」


「素晴らしい責務でしょう?」と芝居がかった風に両手を広げて見せた。以前から唯者では無いとは分析していたが、自分が友誼を結んだのはとんだ危険人物戦争狂の類だったらしい。


「ただ、願望を語らせていただけるのなら――居ない方が良いですけどね」


 それでも軍人として、国家の盾としての起源は持っているのか、先ほどの狂気じみた言動からは嘘のような常識的な言葉が紡がれ微かな安堵を覚えた。流石は王立海軍、趣味嗜好と原則の線引きは明確なのだろう。


「私も、索敵が空振りに終わることを祈っておりますよ。何もないに越したことはない」

「まったくですな。――――どうせ来るのであればテリブル級などと言うキメラではなく、正真正銘の龍砦母艦を揃えた後で来てほしいものです。さすらば艦隊丸ごと、派手に吹き飛ばしてやれますからなぁ。ついでに大艦巨砲主義者諸君の常識も爆発四散するでしょうが。なに、必要な犠牲でしょう」


 前言撤回、やっぱりこの人はどこまで行っても矛だ。














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