36th Chart:誤算と初任務
「まあな。ウチの艦の技術顧問が黄昏ながらクソデカ溜息吐いてるんだから、話を聞いてやるのも艦長の務めだろう?」
有瀬の言葉に図星を突かれ、揶揄うような口調の有瀬に抗議を投げつけつつも、頭の中では昼の講義を思い出していた。
――有瀬大尉、私はね諸君らと同じくこの国に残された猶予はあまりないとみている。
――いや、この世界と言うべきか。海神帝の報復から1000年余り、人類は過去の叡智を取り戻しつつはあるが、その代償として大量消費社会への転換を余儀なくされている。
――この流れは止められない。発展させた技術が産業を活性化させることを、人類は本能で理解している。そして、自らの手にある力を自制できるほど強くない事も。どれほどの賢人が自制を求めたとしても、大衆の総意に踏みつぶされるのがオチだ。国家と言う群体を形作る人の叡智は、大なり小なり集団を富ませる方向へと注がれることを是とする。無論貧富の格差はあるが、だからこそ集団は勝者となることを欲する。
――しかしどれほど科学が発展したとして、人類が産業の基礎としている海油や
――巨大な方舟を持つ《合衆国》や《連邦》、多くの方舟を
――そうなると、何が起こるか?想像に難くはあるまい?
――技術の進歩、産業の発展に乗り遅れそうになった国々の首脳は経済不況で革命が起きる前に、
――そうして、五大国は数多くの衛星国を従えるようになるが、やはりここでも問題が起こる。資源は有限であるが、人の愚かさと欲望には際限がない。やがては5大国同士で利害の衝突が起き、最後には全てを巻き込む最終戦争に至る。
――何が言いたいという顔だな?まあこれまでの講義は、大規模な戦争、いわゆる世界大戦が不可避であるだろうという私の持論だ。ともかく、大国ではない我々が自主独立を維持するためには、大国になるほかないが、知っての通り資源がない。
――無いのであれば、他所から持ってくるほかないだろう。幸いにも、我々はその成り立ちからして、精強なる海軍を保有している。この世界における弱者として、使える長所を使わぬのは愚の骨頂だ。
――《皇国》の産業、経済の発展が資源不足により完全に停滞するまで10年もないだろう。であるならば、少々の無茶を推してでも、持たざる者として軍と技術を成長させねばならぬ。
――そんな中で『綾風』の存在は天啓と言って良い。この艦をつっぱねた艦政本部の馬鹿共は即座に粛正してやりたいが、ここは《連邦》ではないからな。皇国海軍省や軍令部の石頭共、頭の中に豆腐が詰まっておる近衛艦隊司令部に、動脈硬化を起こした連合艦隊司令部。そこに巣くう愚者共を一掃できぬのであれば、教育を施してやるほかない。
――【愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ】とは、一昔前の《帝国》の宰相の言葉だ。
――だから、よくやってくれたよ有瀬大尉。満足に訓練を行えなかった中で、殺す気でかかってきた敵編隊の10騎中9騎を撃墜。しかも、相手は名の知れた空賊である【払暁の水平線】の幹部だ。龍騎兵の組織的な運用を以前から行っていた連中を単艦で一方的に狩りつくせたのだから、申し分ない。
――10騎の旧式兵器と10人の空賊。それで、海軍上層部の石頭に”防空駆逐艦”の存在を叩きこめるのならば。『綾風』が龍母の護衛艦として、まさに理想的だと思わせられるのであれば、随分安上がりな経費だと思わんかね?
「何が、安上がりだ」
ぼそり、と思わずにじみ出た呟きは、自分のモノとは思えぬほど低い、唸り声の様にも聞こえた。それは、目の前の有瀬にも聞こえたようで「大尉?」と不思議そうな視線を送ってきた。
「いや、昼の事を思い出しただけだ」と弁解すれば、「ああ、君もか」と自分の内心の焦燥を見透かしたかのように一つ頷いた。
別に、10騎の龍と10人のならず者たちの末路に心を痛めているわけではない。龍好きな有瀬はどうか解らないが、それらの結末は自分には関係のないことだ。
苛立たしいのは、このどうしようもない状況だ。
確かに、『綾風』の能力は有瀬と乗員の尽力もあって期待以上のものだったが、ある意味でやりすぎたのかもしれない。
――賊の操る旧式の骨董品とは言え多数の航空騎を葬る対空戦闘能力。いざとなれば、戦艦の射程外から砲弾を叩きこむことが可能な砲戦能力。40ktを超える足に、長大な航続距離。もはや、鈍足な戦艦や中途半端な装甲巡洋艦も要らぬ。
――龍母と『綾風』、そして『綾風』を基に護衛艦隊の旗艦として指揮通信機能を強化して拡大発展させた防護巡洋艦規模の艦。これからの皇国海軍には、極論すればこの3艦があればよい。
誤算だ。と葦原宮中将の結論を思い出し、グッとラムネの瓶をにぎりしめて一息にあおる。若干ぬるくなった炭酸が喉を潤した後、酸素を求めて大きく息をついた。
「っはぁ…確かに、得るものも大きかったが、今回は中将に我々が利用された形だ」
彼の御仁に対する尊崇の念はあるが、それとこれとは話が別だ。湧き上がる不快感に知らず顔が歪む。目的のために建造した艦が、結果的に自分たちの目的とは別の針路をとりつつあることに、苛立ちが募るのも当然だった。
とはいえ、中将の判断は合理的なのも事実だ。
正規龍母を集中運用するのであれば、そもそもの話水上艦同士の砲撃戦は起こらない。相手が水上艦隊であるならば、こちらの航空騎兵が一方的に蹂躙するし、双方に龍母があれば海上航空戦になるだけだ。戦闘距離は優に数百㎞を超える。
対して戦艦の艦砲が届くのは、せいぜい数十㎞。さらに重い艦砲と装甲を備えるため速力に不安がある。
仮定として、龍の運用できない悪天候時に敵機動部隊に殴り込みをかけることが出きれば、それこそ一方的な蹂躙になるだろう。だが、龍母だって自分の得手不得手は解っている。多数の航空騎でいち早く現況を理解し、不利と解ればさっさと離脱するに違いない。
龍母機動部隊に最適化しようとすれば、艦対艦水上戦闘能力は限定的で構わない。
必要なのは龍母と艦隊を組んで随伴できる速力、艦隊へと襲い掛かる龍を追い払う対空火力、海中に潜む敵を追い詰める対潜能力。そして、いざとなれば捨て石にできる量産性だ。
――重厚な対空砲火で航空騎を寄せ付けず、航空騎兵を大量運用することで遥か彼方の敵を艦隊への危険を極限した上で叩き潰す、かぁ。呆れるほど有効な戦術だよね。
帰港の際の登舷礼の時に、隣のハクが更に隣のサキに零していた言葉が頭の中で反響した。
だからだろうか、愚かだとは自覚していても目の前の理解者に縋ってしまったのは。
「………貴様は、どう思う?」
我ながら情けないにもほどがある問いだと、内心自嘲する。たった一人で近衛艦隊や艦政本部と殴り合っていたころとは、似ても似つかない弱気な問い。自分自身の主張が大きく揺らいでいる証拠だ。理論の足元が覚束なくなっているからこそ、自分の思想に同道してくれる他者に寄りかかる誘惑にあらがえないでいる。
「んん、相手が人間や海神限定なら大賛成だが、海神帝と殺し会うには役者不足だろうな。それに、戦争の基本は選択と集中。《合衆国》じゃあるまいし、万年自転車操業国家の《皇国》に龍母と戦艦と補助艦を同時にそろえるのは夢のまた夢。それどころか、龍母を主力に据えるだけでも負担が大きいだろう」
絞り出したような自分の問いにさらりと答える有瀬。期待していた答えに安堵が湧き上がると同時に、自らのあまりの女々しさに愕然とした。
いったい、いつから私はこんなに弱くなってしまったのだろうか?
「龍母は確かに、対空兵器や索敵機器、長距離対艦兵器が限定されている今ならば海上の覇者に慣れるだろうが。君が生きている限り、それも一時の天下だ。対空誘導弾に長距離対艦誘導弾、高性能な電探が生まれてくればその絶対性も揺らぎ、コストばかりが目立つようになる」
有瀬の脳裏に過ったのは、太平洋戦争後の各国の海軍史だ。
あれ程までに隆盛を誇った空母は、戦後高性能な誘導が生まれ航空機が大型化するとともに巨大化、複雑化、高コスト化が進んでいく。
結局、半世紀以上の時を経て、恐竜的な進化の局地である排水量75000トンを超える
他の国に目を向けてみれば、どこもかしこもアメリカと比較して――比較対象が間違っているという感触は多分にあるが――しまえばドングリの背比べに等しい。
大戦の影響から艦隊航空兵力の維持を選択したイギリス王立海軍は財政難によりクイーン・エリザベス級空母が竣工するまで大型航空母艦を持てなかった。
対岸のフランス海軍はアメリカ以外で唯一
中国やインドでは空母の取得に熱心だが、諸問題を抱えつつも新進気鋭の大国だからこそである。
経済大国として名の知れた日本でも、いずも型護衛艦の空母化計画があるが、結局は防衛省が財務省との殴り合いの末に勝ち取ったものだ。
要するに、現代での空母は”金持ちの兵器”に他ならなかった。
「だけど、僕らの真の敵は海神や人ではない。海神帝だ。巨大なプラットフォームに搭載された対空火器の防御砲火に、音速を超えられない生物兵器がどこまで対抗できるのやら…」
「何度も言っただろう?海神帝に航空騎は無力だ。ありったけの騎体に爆弾括り付けて片道特攻すれば、多少の戦果は上がるだろうが後が続かん。意味がない」
「葦原宮中将も、海神帝の話には懐疑的だったからなぁ。まあ、僕が砲術畑の人間だってバイアスもかかってたんだろうが」
「んん……いっそのこと、補助艦で海神帝を倒すことを前提と考えてみるか?5000トンぐらいの巡洋艦に超大型の酸素魚雷を甲板にありったけ並べて、超長距離から飽和雷撃とか」
「重雷装巡洋艦の量産とか浪漫全開だな、おい」
重雷装巡洋艦に改装された10隻以上の球磨型が、巨大な敵に向けて一斉に酸素魚雷を発射する光景を思い浮かべ、変な笑いが出そうになる。想像では壮観な光景を描けるが、実際にやろうとすれば犠牲になるものが多すぎる。
少なくとも、重雷装巡洋艦で哨戒や護衛作戦をやりたくはない。
「それか、前に見せた巡洋艦の様に大型対艦誘導弾の飽和攻撃。
「それなら、駆逐艦にこだわらず方舟からぶっ放してやればいいんじゃないか?方舟ならスペースも重量の問題もない。でかい弾道ミサイルなら、海神帝でもタダでは済まないだろう」
「方舟からの飽和弾道弾攻撃か…」
考えてみれば、敵の的は大きいのだ。中国のDF-21D対艦弾道ミサイルが狙う
方舟の空き地に対艦弾道ミサイルサイロを並べて置き、海神帝の侵攻を確認次第発射。600㎏程度の通常弾頭でも加速度によって破壊力は十二分に保証できる。
顎に手を当てて数秒、それなりに考察の余地はあったのか青黒い頭一つ揺れた。
「方舟にも空き地はある。工廠の真上に作れば、輸送と再装填も簡略化できるか。なるほどな、気づかぬうちに戦闘艦で海神帝を殺すことに固執していた。だが、そうなると…」
「弾道弾の管轄、予算の確保、土地の確保、防諜、近隣諸国への説明。考えることは超大型戦艦以上に山積みになるな。これは…」
「だめじゃないか」
大きなため息を吐く永雫に、苦笑いしか出てこない。
中短距離弾道弾による対艦攻撃は確かに有効には見える。しかし、いきなりこんな戦略兵器を配備しようとしたら、近隣諸国から袋叩きになるのも目に見えていた。方舟を直接攻撃する方法は艦砲射撃か龍による空爆、もしくは上陸作戦しかない状況で、こんな物騒な代物を配備しようとしていることがバレたら世界の敵一直線だ。
各国の首脳も馬鹿ではない。自分たちが迎撃不可能な弾道兵器を、遥か彼方から打ち込まれる可能性が少しでもあるのなら容赦しないはずだ。
そもそもの話、そんな超大型戦艦以上に荒唐無稽な計画を、上層部に認めさせること自体不可能に近いのだが。
「所詮は思考実験か。ともかく、流れが我々にとってよろしくない方向に向いているのは問題だ。葦原宮中将の身内である近衛艦隊はどうにもならないにしても、戦艦派が主力の連合艦隊の勢いが、この試験結果で衰えるのは不味い。私に何かできることはあるか?」
焦燥を薄く浮かべる彼女。自分に指示を仰ぐ当たり、見た目以上に切羽詰まっているらしい。
だが、世界の流れと言うのはそう簡単に一方に傾くものではない。
一足早く情報を掴んでいた有瀬は、ラムネ瓶と一緒に持ってきていた新聞を差し出し不敵に笑った。
「ああ、その点に関しては君は何もしなくていい。と言うか、君がやった後だと個人的には思う」
「はぁ?…なんだこれ、今日の夕刊か?」
「国際面を見てみろ」と急かす有瀬。口角を歪め、興味津々と言った柘榴石は、どこか悪戯に引っかかる獲物を待っている悪童の様にも見えた。
瓶の結露で湿った1面を数枚のページごと捲り、目的の国際面へと目を落とす。そこのトップに乗せられていた記事と白黒の写真に、瑠璃が大きく見開かれた。
同時に、何かを確信した有瀬の笑みはさらに深くなる。
「《
「彼の艦の名は王立海軍で6代目だ。”恐怖”や”不安”を意味する単語と、”ゼロ”と言う意味を足した合成語で、皇国語に訳せば”恐れを知らない”、”勇敢な”と言う意味になるだろう」
有瀬の言葉を聞きながら、永雫の視線は紙面に綴られた新型戦艦の名前をなぞり、困惑を確信へと変え、湧き上がる高揚からか、全身を微かに震わせた。
「本来なら近衛艦隊から近衛第2戦隊の装甲巡洋艦『吾妻』が参加し、連合艦隊からは『吾妻』の護衛として第二二駆逐隊の『電』と『雷』が参加する予定だったが、事情が変わった。今回の公試が良好だったことと、ローテーションに手を入れたくない建守司令の後押しで、観艦式には2隻の代わりとして『綾風』に白羽の矢が立った。恥をかくわけにはいかないから、点検が終わり次第『吾妻』と猛訓練になる」
困ったように、または面白そうに今後の予定を話す彼の言葉を聞きつつ、紙面の文字を無言で見つめる。その眼は既に文字を追っておらず、ただ、彼の言葉に耳を澄ませていた。いくつかの打算を頭の中で回した後、永雫は自分の興味を優先することに決めた。
「なあ、有瀬。本来なら、私は居残りだよな?」
「あくまでも海上公試の手伝いだったからな……………案外行動派だよな、君って」
「盛大に焚きつけた確信犯が言うセリフか?それ。心配するな、どんな手を使ってでもついていってやる」
半ば予想していたこととはいえ、新聞から顔を上げて獰猛な笑みを浮かべる少女に、乾いた笑いが口の端から漏れた。この様子を見る限り、彼女との航海はもう少し続きそうだ。
瑠璃と柘榴石が数瞬交錯した後、永雫は手に持っていた新聞を有瀬に押し付けて出口へ向かって足を踏み出す。
「
「え?いや、僕も協力するのか?」困惑した表情を浮かべ、思わず手から新聞が滑り落ち、軽い音を立てた。
「なんだ、薄情な奴だな。何度も同じ部屋で朝を迎えた仲だというのに。これは、宵月少将への相談事が一つ増えるな」
悪辣な笑みを肩越しに浮かべて足早に去る少女に、「誤解しか生まない言い方はヤメロォ!」と情けない悲鳴を残し、慌てて青年士官が後を追う。
床に残された新聞の国際面には、新型戦艦の艦尾を写した写真が乗せられている。白黒で出力された艦尾には、一つの文字列が描かれていた。
―― 『Dreadnought』
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