別れたあとの、その先に。
このはりと
前編
春先のある日、わたしは仕事の成果を認められて、首都圏から地方への転勤を告げられた。事業拡大と地方創生の一環による新拠点の設立を受け、そこで奮闘して欲しい、というのだ。IT産業といえど、よほどの片田舎でもなければ環境は十分に整い、働くことができる時代だ。これは左遷などではなく、誰の目から見ても栄転である。
(それだけやったのだから、当然といえば当然なのだけれど)
性別を問わず、均等なチャンスに恵まれる職場で、わたしは女性初の抜擢だそうだ。上司の口調は、恩着せがましくなく淡々としているぶん、男だから女だからといった領域で話をしていないのがよくわかった。
同僚は、男女を問わず祝福してくれた。「よかったわね、いのり」「がんばってね」「今度おごってよ」と、中には祝う言葉以外もまじっていたが、可愛らしくて憎めない。
(うれしいはうれしい。でも──)
わたしには、手放しで喜べない理由があった。付き合って三年になる、彼氏がいたからである。手をつなぐときは恋人のそれで、キスだって一度や二度ではない。デートの回数などもう忘れてしまった、そんな間柄だ。けれど、同棲はおろか、体はまだ許していなかった。そんなわたしが、ついてきて、などと言えるはずもない。どうしたものかと考えていると、彼は柔和な笑みを浮かべ、「
(
彼──
かいがいしい、とまではいかないまでも、わたしは仕事だけでなく「食」の面倒をよくみてやった。花嫁修行をしていたわけではないが、学生時代から料理は得意で、その力を存分にふるう。胃袋を掴めばなんとやら、気づけば、お互い隣りにいるのが自然な関係になっていた。彼のほうが年下なので、さしずめわたしは姉さん女房といったところか。結婚を前提としたお付き合いではなかったのだが、そういうことになるかもしれない、と思い浮かべた日は、何度もあった。夢にだって見たのだ、意識していないと言えば嘘になる。
(今さらだけれど、告白してもらっていないような気がするわ)
それを指摘すると、彼は「好きですよ」とこともなげに言う。少しくらいは照れを見せてはどうなのか。士郎くんのために、メイクはもちろん、身だしなみはきちんとしているというのに。彼が、パンツスタイルよりスカート、それも過度に丈が短くないのが好みなのは、リサーチずみなのだ。今日だってほら、と、さりげなくアピールしてみる。だが、彼はそれに気づいた様子をまったく見せない。わかりやすい視線を向けてくる連中のほうが、まだ可愛げがある。なんだか腹立たしくなり、わたしは勢いで突っかかってしまった。
「遠距離恋愛って、うまくいくかしら。わたしは、物理的な距離が、心理的にも影響すると思うの。つまり──」
「別れましょうか」
士郎くんは頭がきれる。仕事でもそうだった。わたしの言葉が足りなくても、自身で考え、あまりあるほどに補って成果を出す。優秀としか言いようがない。なんでも、趣味で小説を書いているそうで、たいていのことは、想像の域におさまるのだそうだ。書くことから、状況を「読む」力も培ったのだろう。そして、持ち前の想像力とやらで、わたしのまわりくどい心配から、終着となる結論を導き出した、といったところか。
率直に言って、ショックだった。確かに「別れ」のワードを、用意していなかったわけではない。だがそれは、もっと話し合い、もしもお互いを傷つけ合うようなことになったら、持ち出す予定だったのだ。
(なによ。そんなところまで先回りしなくてもいいじゃない)
わたしへの想いはそのていどだったのか。はたまた、わたしを困らせまいと理解を示してくれたのか。追いすがるのもみっともない、と見栄をはったわたしは、「そうね、別れましょう」と、努めて平静を装って返した。去り際、士郎くんから、連絡先だけは残しておいてよいか、と訊ねられた。どうせ別れるのだ、だんだんと使われなくなり、自然消滅するに違いない。そう思い、気軽に「いいわよ」と返事をした。
そうして訪れた別れの日、士郎くんもわたしも、離別する男女とは思えないほど、ごくごく普通に挨拶をかわした。ふたりが恋仲にあったと知る周囲が、しどろもどろになって気遣うほどに、わたしたちの態度は、奇異なものだった。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます