5 有限会社天野警備保障


 カツン……カツン……。


 まるでヨーロッパの古城か、囚人でも幽閉している塔のように古びた石畳。そして果てしなく続く暗い螺旋階段を七海と雅の足音だけが響き渡る。

 足下に設置されたLEDライトの光だけを頼りに、2人は終始無言のまま下へ下へと深く降りていった……。


 時間にすると、もう10分くらいは降りたのだろうか、簡単に計算しても事務所の地下50……いやおよそ100m以上も真下に、まさか【トレーニングルーム】などという空間があろうとは常識ではとても考えられない。


 雅姉さんは考え事でもしているのだろうか。雰囲気のせいもあって、何となく今は話しかけ辛い。こんな時に柳楽さんも一緒にいてくれたら……いやいや、気は晴れるとしてもこんなに暗いところを変態のアイツと一緒では、また返って別の不安を感じるというもの……!?


「わあぁ――っぷ!」


 急に目の前の視界が遮られ、まるで低反発枕か何かのような程よく柔らかい張りのあるクッションみたいなものに包まれた。


「あららっ、ごめんね。着いたわ……ふぅ~、ここから先が天野警備保障特別対策訓練室、通称【トレーニングルーム】と呼ばれる場所よっ――!」


 どうやら地下階段の終着地点に到達したらしいが、雅が突然振り返ったことで彼女の大きな双丘に、七海は深く顔を埋めてしまったようだ。


「ぷあぁっ、訓練室って……こ、ここが?」


 雅が立つ背後に、それなりの歴史を感じさせられるくらい古めかしく重厚な、金属製の黒い扉が待ち構えている。


「そんなに心配しなくたって何も出て来やしないわよ、ただ……中は実際の模擬戦を想定していて確か500㎡くらいだったかしら? もちろん中にある建造物とかもハリボテ何かじゃないわ。くれぐれも迷わないようにね。いい、じゃあ入るわよ……ふぅ~」


 彼女は扉を施錠している重たそうな掛け金を外し、ギギギと軋む音をたてながらその扉を開け放った…………。




「え……こ、ここって? 丸っきり、街そのものじゃないですかぁっ――!?」


 果たしてそこを室内と言ってもいいものだろうか……こんなこじんまりとした警備会社の地下に舗装された道路や高層ビル郡。道の端には街路樹はおろか飲食店に雑貨店までもな軒を連ねている。

 七海が普段から通っている中津高校へと向かう通学路でもある葦原駅周辺の街並みが、そこに完全に再現されていた。


「うふふ、驚いたでしょう……そこにあるカフェとか実際にコーヒーを飲むこともできるのよ。と言っても店員さんは誰もいないんだけどね。じゃあ……早速業務別の教育訓練を行うわよ。はい、これ持って――」


 ――雅の手からブンッと何かが放り投げられた。

その、不意に寄越されて来るモノに見覚えが……。


「えぇ! ちょっ――これって……?」


「そう……幽導灯ライトリーダーよ。と言っても、正確には【汎用型】のもので、普通は業者側しか所有していないような、市場に決して出回ることがない代物なんだけど……訳あって借りて来てるのよ。あくまでオリジナルではないから、持主特有の能力を発揮することは出来ないんだけど、実際に幽導や浄化だって出来るし威力も決して引けは取らないわ。取り敢えず七海ちゃんがこうだと思う持ち方でいいから、ちょっと手に取って構えてみて……ふぅ~」


 七海は、彼女から渡された汎用型幽導灯ライトリーダーをまじまじと見つめた。


 握り手のエーテル伝導体となる柄の部分は勇が使用していたモノと違い、黒ではなく淡い白色の装飾が施されている。更に刀身であるエーテル供給回路の部分にはほんのりと赤色を帯びていた。


 七海はこれを、剣道でいうところの中段構え――右足を前に、軸足の左足は半歩後ろ。持ち手はまず左手から柄のエーテル伝導体に近い方(柄の先端)に持ち、右手は左手の前……「あっ!?」


 そう……これがもし剣道の竹刀であれば両手で持つ必要があるが、通常幽導灯ライトリーダーは片手で使用するように出来ている。だがそれには柄の長さが足りないため、更に右手も掴み両手で構えるだけの余地が無かったのである。


玉串たまぐしなら、まだ両手で持つことができたのにぃ……あ、さっき注文してもらったあたしの幽導灯ライトリーダーも!?」


 七海が躊躇する中、雅は終始落ち着いて見ていた。何故なら勇からメールをもらった七海のプロフィールを全て把握していて、彼女は既に七海の特徴をしっかりと押さえていたのである。


「うふふ……剣道やってたんだから、やっぱりそうなっちゃうよね。大丈夫……業者に以来した幽導灯ライトリーダーには、きちんと両手で持つことができるように注文してあるから。取り敢えず今この汎用品タイプでは右の片手だけで、そうね……ちょうど小太刀を扱うような感覚でやってみよっか。今日のところはその原理を理解するだけだから……」


 七海は少し恥ずかしそうにコクンと首を縦に振り、彼女の機転と気遣いの良さに改めて感心し、幽導灯ライトリーダーを右手で中段に構えた。


「それと、まず最初に断っておくけど……私たち幽導警備員は悪鬼エビルエーテルの殲滅ではなく、あれらを含めたエーテル体を【浄化】し、善きエーテルの流れに導く……ということを前提としているの。つまり、幽導灯ライトリーダーは【武器】ではなく【幽導】の手段として使用する……ということを忘れてはいけないわ。何故なら邪気性の無いエーテル体にとって幽導灯ライトリーダーは、あの世への迎え火としての意味合いもあるからなの」


 ふむふむ、なるほどなるほど……と、幽導警備員としての在り方について説明する雅の言葉を、七海は一生懸命聞いていた。


「例えば……昨夜みたく七海ちゃんが遭遇したような勇くんの現場では、注連縄しめなわ祓串はらえぐしで規制した区画周辺、全ての邪気化したエーテル体の浄化が目的だった。けど今後は中~大規模な仕事が入って来た時には【幽導資機材リードデバイス】とかも設置して、普通のエーテル体たちを幽導灯ライトリーダーを使って、その方向に導くように使用する何てこともあるわ。まぁ、少しその際の文言とか幽導灯ライトリーダーの振り方というのもあるんだけど、特にこれといって難しいことでもないし、基本的には私や勇くんがしていることを真似すればいいだけよ……ふぅ~」


 そう説明すると、彼女は七海に微笑みかけた。


 現実でも交通誘導員が振る誘導灯の合図は、警備業協会が一定の動作を定めてはいる。だが、現場でその合図や動作が実際に往来する通行人や運転手にとって、それが必ずしも分かり易い合図という訳でもない。

 その為、各社試行錯誤を重ね相手にとってより伝わり易い合図や動作を、工夫しながら業務に就いているというのが現状である。


「何となく分かりましたけど、この幽導灯ライトリーダーってどうやったら電源……というか、光りが点くんでしょうか?」


 七海は首を傾げながら、雅に疑問を投げ掛けた。


 幽導警備員は呼吸をする度にエーテルが自然と体内から捻出され、幽導灯ライトリーダーエーテル伝導体を通り指紋と文言による声紋認証により、刀身である供給回路にエーテルの光りが灯るという仕組みになっている。

 即ち、夜行チョッキや幽導灯ライトリーダーから、もしそのエーテルの光りが失なわれた際にはその幽導警備員が息をしていない(気絶しているか既に絶命している)ということになるのだ。


「そして、幽導灯ライトリーダーを起動させる際の文言というのがこれよ……一緒に念じるように叫んでみて――ご安善にっ!」


『ご安善にぃっ――!』


 七海が幽導灯ライトリーダーを両手で握り締めながら念じると右手が輝き出し、刀身にブゥウン……と力強く赤色の光りが灯った。


「うふふ……さすが素質のある子は違うわ。たった一度でこれが普通に出来るなんてねぇ……ふぅ~」


 幽導灯ライトリーダーはまるであの宇宙戦争映画さながら、七海の右手から発せられたエネルギーを刀身へと通し、煌々と眩い光りを灯している。


「す……すごい! これが……あたしのエーテル


「ふふ……そうね、でもこれは汎用型だから七海ちゃん本来のエーテルの色とか特徴、その全てを具現化出来ている訳じゃあないんだけどね。まぁ、それはオリジナルの幽導灯ライトリーダーが届いてからのお楽しみよ……ふぅ~」


「はいっ!」


 感心する七海を尻目に、雅はすぐ近くにある点滅信号機のところに向かうと、柱に取り付けてある操作盤のような蓋を開けた。


「じゃ、次は実技教育に移るわよ。いい、これからこの道路を車が走ってくるわ。その車の色が【青】なら……進行方向に沿うように幽導灯ライトリーダーを自分の頭上か足元を通して振るの。【赤】色の車両なら、幽導灯ライトリーダーを目の前の高さで真横に倒し、一旦停止させてから進行の合図を送ってね。もし【白】色や【シルバー】、【黄】色や【緑】色などその他の色の場合は、邪気化した【悪鬼エビルエーテル】だと思って。あなたの方に追突しようと向かって来るから、七海ちゃんもこれを回避しながらその幽導灯ライトリーダーで応戦するのよ。もし途中で私が危ないと判断したら、遠隔操作で停止させるから」


 雅はそう説明すると……進行、停止それぞれの合図や動作を七海に向かって教えた。


「わっ、分かりました!」


「それでは訓練開始っ――!」




 ブロロロオオオォ……七海が立つ交差点の向こうから進行車両が走ってくる。その色は――【赤】だ。


「えと……(【赤】は一旦停止)……お待ちくださぁ~い!」


 七海は幽導灯ライトリーダーを目の前の高さで真横に構え、お辞儀をしながら停止を促すと【赤】色の車両はゆっくりと減速し……やがて彼女の前の停止線でピタリと止まった。


「飲み込みが早いわね……上手よ。再び進行の合図を送る時には、改めて少し歩道側に寄るのよ」


 雅は優しく七海に声を掛けながら操作盤にある何かのスイッチを押した……。


 七海は歩道側に今一度寄り、【赤】の車両に進行の合図を送ると、彼女の横を通過して行った。


 七海は安堵のため息をつく……(本当だ、何てことはないじゃない。雅姉さんも言ったように、これなら誰にでも出来そう)と彼女は思った。

 そして、また別の進行車両が向かって来る。


「え……!?」


 進行車両の色は【赤】でもなければ【青】でもない……【白】の車両が向こうから轟音と共に、キュルキュルと左右にローリングを繰り返し、暴走しながらこちらに向かってくる――。


「来たわよ七海ちゃんっ! 相手はこちらの停止合図なんて目もくれないわ。あなたも轢かれないようにくれぐれも注意して、出来るだけ街への被害も最小限にしながら七海ちゃんの思うやり方で応戦してっ――!」


「は、はいっ!」


 暴走車両に気をつけて回避するだけなら、そうと分かっていれば存外難しいことではない。要は遮ることができる障害物を利用すればいいのだ。しかし【被害を最小限にして応戦する】となると、話しは少し違ってくる。


 七海は少しだけ考えると……やがて何か閃いたのか、街路樹のある大きな歩道へと向かって行った――。

 街路樹の周りにはそれを囲うように赤煉瓦が組み上げられ、その内側の盛土に樹が植えられてあったのだ。


「うん、いい判断よ。そう、それがベスト! あとはどう避けるか……?」


 雅は彼女への期待と、妹を思う姉のような気持ちで戦局の行く末を見守っていた。


 七海は街路樹を背にして【白】の暴走車両が向かって来るのを待ち構えた……そして暴走車両がエンジンを唸らせ間近に迫る――。


 暴走車両は目の前に障害物があるのを物ともせず、彼女の方へと突っ込んで来る――咄嗟に七海は後方にヒラリと宙に舞う……車両は前バンパーを街路樹に、前輪を赤煉瓦にそれぞれ引っ掛けると空回りしながら停車してしまった。


 暴走車両は空吹かしすることしか出来ず、前輪を左右に動かすが車体はピクリとも動かない。その様子はあたかも、ひっくり返って起き上がれずに蠢く甲殻類のようにも思えた。


「あそこで背面跳びだ何て、やるじゃない……これは益々期待させてくれるわね」


 前バンパーの上に乗っていた七海は、運転席に目をやるが運転手は誰もいない。ただ……何か白いモヤのような物がうっすらと掛かっていた。


「――てやあああっ!」


 七海は幽導灯ライトリーダーを右手に構え、左手でその握り手を押し出すように、誰もいない運転席へと突き出すと――ほんの一瞬ではあるがピリッと火花が散る。


『ギィヤアアア!』


 この世の物とは思えないおぞましい声が響き渡ると、白い暴走車両はフッと何かへと姿を変え、ドサッと崩れ落ちた……。


 人のような形を模した体長1m半くらい。頭の部分には1本の角のようなモノを生やし、白い鬼のような体型が姿を現した。

 また、その姿は弱々しく点滅していて、透き通って見える。


「ちょ、ちょっと……雅姉さん、こ……これって練習ですよね? 何かエビルなんとかみたいのが出て来たんだけど……」


 雅は頷きながら満面の笑みで歩み寄って来た。


「訓練とは言ったけど、これが練習だなんて私は一度も言ってないわよ。そう……これは正真正銘の悪鬼エビルエーテルで、その名も短鬼たんき……ほら、少し前に高速道路で世間を騒がせて迷惑をかけた事件があったの、覚えてるでしょ」


「あっ!?」


「うふふ、威勢は強かったんだけどね。こういう時の為の訓練に打ってつけだなぁって……ここに私が閉じ込めておいてたのよ。でも七海ちゃんの一撃で相当弱っちゃってるから、トドメ刺しちゃおっか」


 雅は優しく七海に微笑み掛けた。


 確かに訓練として必要ではあるかも知れない。しかも悪鬼エビルエーテルは生命体ではなく、1エーテル体に過ぎないのかも知れない。けど……こういうことに使うだなんて。


「えと、ご……ご免なさいっ! じゃなかった、成仏してください! これも違う?」


 浄化させる為の幽導の文言を教わっていない七海は、幽導灯ライトリーダーで何度も短鬼にトドメを刺す為にバシバシ叩き、その度に火花が散るだけで一向に浄化することが出来ない。


 短鬼の体は所々朽ちかけ、一層弱々しいものとなっている。


「あらあら、それじゃあ何か痛め付けてるみたいで可哀想じゃない。浄化の文言はこうよ……【善きエーテルの流れに導かれんことを!】あと忘れないで、最後にこれを短音と長音で2回吹くのよ」


 雅はもどかしそうにその文言を教えると、手に握られたチェーン付きの何かを投げて寄越してきた――。


「こ、これは……魔笛! はいっ、えと……これからあなたの往く末路が、善きエーテルの流れに導かれんことを……」


 七海の持つ幽導灯の光りが、先の一点にだけボゥッと収束し始める……。


 チェーン付きの魔笛を口に咥え、ピ・ピー……ピ・ピーと2回吹いた。


「はい――そこで幽導の文言を言って幽導灯ライトリーダーを上に振るうのよ……ご安善に――!」


「ご安善にぃっ――!」


 七海は叫びながら右手で握った幽導灯ライトリーダーで短鬼を下から上に薙ぎ払った――。

 短鬼は再びモヤとなって天高く消えるように昇っていく……。


「はぁはぁ……これで、良かったですか……幽導」


「パチパチパチパチ……えぇ、もう上出来だわ。とてもこれが初めてとは思えないくらいよ。(やはり報告で聞いていた通りの才能ね。まさかあの短鬼程の悪鬼エビルエーテルが、ものの10発程度でそれもこんな少女に浄化されるなんて……。そして、お陰様で彼女の素質の一端を垣間見ることも出来た。これはひょっとすると……本当に【化ける】かも知れないわね)」


 雅は両手で拍手をしながら七海に微笑みかけた。


 七海は雅の教え方と訓練方法の段取りに疑問を感じ、彼女のその優しい笑みの奥底に隠された一面があること。いや……そもそも、この訓練にはそれ以外に何か雅の別の思惑があったのではと疑問に思う七海であった……。



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