一日遅れのバレンタイン・デー

陶守 美幸

1

 世間一般の女性はそれほど気にしていないかもしれないが、よく言われるように、男性にとってバレンタイン・デーにいくつチョコレートを貰えるかということは、とても重要な関心事である。

 泰樹は、狭い下宿の中央にある、ちゃぶ台の上に積まれたチョコレートの箱をぼんやりと眺めた。三段。つまり三箱である。母からと、祖母からと、妹からの分だ。バレンタインの翌日、つまり今日の朝、宅急便で届いた。

「結局、ゼロじゃなくて済んだわけだけど」

 自虐的に、しかし淡々と呟いた。

「また三個に戻ったってことだ」

 約一年半のあいだ付き合っていた彼女と、つい一週間前に破綻した。従って、貰えるチョコレートの数も一つ減ったというわけだ。去年は生まれて初めて四個も貰ったのに。失恋のショックから立ち直ると、不謹慎なことを考えてしまう。ショックといっても、段々と二人の気持ちが冷めていっていることは分かっていたから、深く傷付いたわけではない。こうして現実を突き付けられていくのか、と悟ったつもりになってみる。

 大学の試験は二月の上旬に終わっている。暇な時間をつぶしに外に出ようと、寒いのも構わずに外套を引っ掛け、下宿の扉を開けた。すぐさま、きりきりと冷たい風が頬を打った。鍵を掛けようとしたとき、

「あれ、泰樹。久しぶり」

隣の部屋の奈々に声を掛けられた。同じく外出しようとしているらしい。隣同士だというのに一週間ほど会っていなかったので、『久しぶり』である。

「こんなに寒いのに、手ぶらでどこ行くの?」

「暇つぶしだけど。手ぶらなのはナナリーも同じだろ?」

 ナナリーというのは彼女のあだ名だ――小中学校で彼女はそう呼ばれていた。由来は分からないが、しっかり者の彼女にはしっくりくる、気がする。

「暇つぶし? 私は違うわよ。晩御飯の材料を買いに行くの」

「そうか。ちゃんと自炊してるもんな」

「あんたも暇なら行かない? 面倒ならおかずでも買えばいいじゃない。ラーメンはやめなさいよ」

 泰樹はうーん、と考え込んだ。あまり人と話したい気分でもない。外に出て川沿いでもぶらぶら歩きながら、なにか考え事でもするつもりだったのだ。しかし、確かに最近はまともなご飯を食べていない。奈々は泰樹の顔を覗き込んで言う。

「行くでしょ?」

「……行く」

 彼女はいつも通りの、自信に溢れた笑顔を見せた。私の言うことは正しいでしょと言いたげな、昔から変わらない笑みだった。


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