第2話 握手会は流れ作業

 最後尾さいこうびが見えないほどの行列が並んでいる。ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろと。


 よくもまああんなに行儀ぎょうぎよく待てるもんだ。


 別に私なんかに会いにくるよりマシなことは山ほどあるだろうに、ほんとバカな人たち。


「うれしい! 来てくれてありがとね!」


 なんて思いは表情にすら出さず、目の前にいるファンに白い歯を見せる。


「な、ナマ桃華ももかさん……ず、ずずず、ずっと応援してます!」

「ありがとー。そんなに緊張きんちょうしなくても大丈夫だよー」


 ファン(小太り、30代男性)が差し出してきたCDに流れるような手つきでサインを書いて渡す。


「買ってくれてありがとう!こ れからも応援よろしくね!」


 そして、握手。


「あ、ありがとうごじゃいまひゅ!」


 にぎにぎ。


 ……げっ、コイツ手汗すごすぎだろ。

 並ぶ前に手くらい洗えっての。それくらいエチケットだろうが。


「はーい次の方ー」


 スタッフに促され、小太りのファンが出口へと消えていく。同時に、列が前進して次の人が私の前へとやってくる。


「来てくれてありがとー!」


 そして、さっきとまったく同じ笑顔を作る。


 先週発売されたCD。その販促はんそくイベントの一環いっかんであるサイン会兼握手会。

 ほんとはサイン会だけのはずだったのに、数日前の夜、マネージャーからいきなり握手会もすることになったからと言われた。


 そりゃCDが売れるのが嫌とは言わない。売り上げが伸びればその分給料も増える。給料が増えれば生活が豊かになる。

 これも仕事、アイドルとして働く以上、私がやらなければならないことだ。


 にしても、もう少し身なり整えてから来いよなあ。


 ひとり1分という時間制限の中、変わるがわるやってくるファンたちの身だしなみは、お世辞にもいいとは言えない。

 髪はボサボサ、顔や身体は脂でギトギト。毎日お風呂に入ってないのかこいつら。しかも服装は事前に打ち合わせでもしていたのかってくらいに似通にかよってる。チェックシャツかパーカー、そしてチノパン。これじゃあ見分けなどつくはずもない。

 まあ、元々見分けるつもりなんかないけど。


 早く終わんないなかあ。


 なんて思っていても、列は一向に減る気配がない。仕方ない、流れ作業の要領ようりょうで営業スマイル、スマイル――


 と。


「……ぉ、ぉ願ぃ…ます」


 次の人が来た。瞬間、私の目はまん丸になった。


 女性だったのだ。


 清純派のかわいい系アイドルとして売り出しているせいで、ファンは基本的に男性――それも、いわゆるキモオタ系のやつばかり。事務所の方針でもあるし、それなりの売り上げが出ているから私もやむなしと承服しょうふくしていた。


 なので、女性のファンがやってくることなどまずあり得ない、のに。

 目の前にいるのは、紛れもなく女の人だった。


 私と似たくらいの年齢かな……でも長い前髪でがっつり顔が隠れててわからない。


「……ぁ、ぁのぅ」

「あっ、ごめんね? 女の子が来るの珍しかったから、ちょっとびっくりしちゃって」


 おっかなびっくり差し出してくるCDを受け取りながら苦笑する。


「にしてもうれしいなー。私の歌、聞いてくれたんだ」

「……ぇと」

「がんばるから、これからも応援してねー」


 そう言って握手しようと手を伸ばす。が。


「……っ!」


 さっ、とかわされた。あれ?


「えっ……と、どうしたのーー」

「すっ、すみません!」

「あ、ちょっと」


 女の子は机の上にあるサイン入りCDをひったくると、逃げるように出口へ走り去っていく。

 なんか私が悪いことしたみたいになってる。


「……えーっと」


 だけど、スタッフは平然と(こういうタイプの人がやってくるのに慣れてるのか)お構いなしに「次の方どうぞー」と抑揚のない声を出す。


 なんだったんだろう、あの人……。


 大勢いる金ヅル――もといファンのうちの1人なのに、妙に気になってしまう。

 なんで、なんだろ……。


「よ、よよよ、よろしくお願いしまひゅ!!」


 が、次にやってきたチャーシューみたいに脂肪と汗にまみれた大男がきて、私の頭は真っ白になった。



  ***



「ふぅ」


 その日も夜遅くに仕事が終わって、タクシーに乗って自宅マンション前で下りる。


 身体は疲労ひろう感たっぷりで、ここで思いきりため息を吐きたい気持ちに駆られるけど……

 部屋に帰るまでは我慢、我慢。

 短く息を出す程度に抑える。


 身バレ防止の帽子を深くかぶり直し、一応念のため周りを見回す。ファンもたくさんできて、外ではいつ誰が見てるかわからない。だからこそ、マネージャーもあれこれダメだと言うんだろうけど。


 マンション入口でロックを解除し、ドアをくぐってエレベーターに乗る。


 そして自分の部屋がある7階――ではなく、6階でおりる。


 あえてひとつ下の階でおりるのは運動のため、なんてことはもちろんなく、部屋バレ防止のためだ。いくらエントランスがオートロックのマンションだからって、週刊誌の記者たちは平気で入り込んでくる、らしい。

 それにほかの住人がいつ敵にまわるとも限らない。このマンションでさえ、私はひとりぼっちだ。

 たったひとりを除いて。


 ……ナギさん、もう帰ってるのかな。


 今日は壁からノックが聞こえるかな。どんなお酒を見つけてきてくれるのかな。――いつか、直接会って話してみたいな。

 少しだけ心を弾ませながら7階へ向かう階段をのぼりきると、


 ん?


 廊下ろうかに人の気配を感じて、私は足を止める。

 この時間にほかの住人が通ることはほとんどないはず。


 誰だろう……。


 そう思って階段からこっそり廊下を覗くと、


「あっ……」


 思わず声が出そうになるのを慌てて口でふさぐ。


 そこにいたのは、この間のサイン会にやってきた女性ファンだった。

 猫背に、表情が見えないほどの黒い前髪。間違いない、あのとき握手会なのに握手もせずに去っていった人だ。


 どうして、ここに……? まさか、私をけて?


 嫌な予感が脳裏のうりをよぎる。

 とりあえず様子を見てみよう。そう思って陰で見続けることにする。


 が。


「えっ……?」


 またしても衝撃しょうげきが走った。


 女の人は、私の隣の部屋――つまりはナギさんの部屋の前で止まると、カバンから鍵を取り出し、ドアを開錠かいじょうしたのだ。


 いやいや、まさか。あの人がナギさんなわけ。

 なにかの間違いだろう。そうだ、きっと部屋を間違えたりとか、そんなのだろう。


 だけど、現実は追い打ちをかける。

 ドアノブを回す彼女の手が、私の視界に映る。


 真っ赤なネイルと、対照的な白い指。


 見間違えようがない。だって、私がずっとベランダで、きれいだと思って見てきたものだから。


 気がつけば、彼女は部屋に入っていき、廊下は無人の空間となる。


 あの人が……ナギさん?


 突きつけられる事実。変えようのない現実。


 私はしばらく、その場から動くことができなかった。

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