乙女怪奇譚

Friend

第1話 桜

「美しい桜の木の下には死体が埋まっていると言いますよね」


 先輩に私はそう質問した。私の通っている学校には、校門のすぐ横に大きく立派な桜の木が咲いている。

 桜の木は美しく、その鮮やかな色は私の知っているどの桜よりも鮮烈で目に焼き付く。他の桜よりも一回り大きいそれはこの学校の名物にもなっている。

 さて、こんな話をし始めたのは私が読んでいる本に有名なフレーズが書かれていたからだ。


「あの桜にも、死体が埋まっているんですかね?」


 先輩に私はそう尋ねると、いつものように読んでいた本に栞を挟んで閉じて私に身体を向ける。

 彼女は不思議な先輩だった。

 文学部の部長をしているが、人を呼び込むこともなく私と先輩しか部員はいない。廃部にならないのは、昔から歴史がある部活だからとのこと。


「そうね」


 いつものように、人差し指で自分の耳を撫でる。彼女が質問に答える時の癖だ。

 先輩は綺麗な人だ。まるで人形のように小さく美しい。だというのに、コロコロと表情が変わり子供っぽく人形のようなイメージを与えない。だからか、そのチグハグさが先輩の不思議な空気を生み出しているのかもしれない。

 しかし、構ってくる生徒には何だかんだと答えてくれて知識も深い。何処から仕入れてくるのだろうと思うような話もしてくれる。私の持っていないものをすべて持っている憧れの先輩だ。


「あの桜の下に、死体は埋まってないのよね。昔、掘り返してみたんだけども」

「え? 掘り返したんですか?」

「ええ。私も同じようなことを思って」


 ニコリと笑みを浮かべる。

 見た目は小さくて、人形のようなのに変にアグレッシブなところもある。


「結局何もなかったわ。でも、その後調べたら少し面白い話があったの」

「面白い話……ですか?」

「ええ。あの桜にまつわる噂話」


 いつもの笑顔。

 悪戯げな、それでいてまるでそれを見てきたかのように確信に満ちている先輩の顔。

 この時間はいつもの楽しみな時間だ。だから私は文学部の部室に毎日顔を出して、先輩とこうして話をしているのかもしれない。



「――あの桜には、恋が埋まっているの」


 ……歴史のあるこの学校は遡ること、明治時代から存在していた。

 特筆すべきようなこともないただの女学校。そんな学校に、一人の女子生徒が入学してきた。

 名前は小町という少女だった。健気で可愛らしくて、皆から愛される少女だったらしい。

 そんな彼女は、恋をする。それは決して叶わぬ恋だった。


「叶わない恋?」

「ええ。その相手は男の先生だったの。それも、結婚して妻子もあるね」


 その下りから、少しだけ嫌な表情になってしまう。色恋の関わるような、あまり人の情念の篭った話は聞いていてすっきりしないからだ。

 とはいえ、先輩の話であるならきっと面白いはずなのだろうけども。


「小町ちゃんはね、その先生に懐いていつも側に居たらしいわ。可愛らしくて、誰にでも愛される少女。悪意があるわけでもなく慕ってくれるから先生も無碍にできないし、他の人もみんな微笑ましく見守ってたらしいわ。それで、一年の始まりに小町ちゃんは告白するの。あの、桜の木の下で」

「それで結果は……」

「当然、断られたわ。当たり前よね」


 それはそうだ。妻子ある大人がコロリと誘惑されることはあるかもしれないが、女学院に採用されるような教師がそう簡単に靡かないだろう。

 ここで普通なら終わりだ。女学生の淡い憧れの終わり……だが、そこで終わりではないのだろう。


「断られた小町ちゃんは、どうしたと思う?」

「どうしたって……普通は諦めますけど、そうじゃないんですよね?」

「ええ。小町ちゃんは諦めなかったの」


 先輩は笑顔でこういった。


 彼女は季節が変わるごとに桜の下で告白を続けたのだと。そう、あの美しい桜の木の下で。

 枯れた日も、緑色の葉を付けている日も。季節が変わるごとに。


「……うわぁ」

「ちょっと病的よね。とはいえ、手紙を渡して好きです……って伝える。それを先生が断るって流れが名物になっていたらしいわ」


 ……まあ、一種の風物詩。諦めの悪い子供がするための儀式に近い物だったのだろう。


「小町ちゃんがその先生に惚れたのは一年生……入学してから三年間、何かあるたびに桜の木の下で告白を続けたわけね。まあ、それ以外でもアプローチはしていたらしいけども」


 ……それを聞いていると、尚更恐ろしさを感じる。小町という子からは愛される少女と言う情報しか聞いていない。だが、まるで人の味を覚えたクマのような執着とその情念は少女というには生々しく……おぞましい。

 初恋だというが、何度も断られてしまえば涙とともに忘れて次の恋を見つけに行くだろう。もっと他の方法もあるはずだ。それでもなお、彼女は先生を諦めることなど考えずに全く同じ失恋をした場所で告白を続けていたのだ。

 聞き手によっては、美しい純愛だと取るか、恐ろしい執着だと見るかは分かれるだろうが……。


「そうして、卒業前の春。先生は小町ちゃんの告白を受け入れたの。小町ちゃんからの恋文を受け取ってね」

「えっ? 妻子がいるんじゃ……」

「実はね、その数日前に奥さんとは別れてしまったらしいわ。諦めなければ恋は叶う……そうして、この学校の噂でこういうモノが出来たわ。『桜の木の下で告白をすれば成就する』って」

「いや……それは……」


 聞いて思った。

 それは成就ではないのじゃないかと。もっと……恐ろしいものではないかと。その話から、そんな噂になるには流石に話がネジ曲がりすぎている気がする。


「わざわざ学校の外の男性を呼んだりして告白する子もいるのよ。告白して成功するって」

「……捻じ曲がりすぎですよ。その噂」

「得てして、噂というのは捻じ曲がるものだから。いい結果だけを抜き取ったり、悪い部分だけが強調されたりね? 古い話だもの。誰だっていいところだけにあやかりたいでしょう?」

「そうなんでしょうけど……」

「……それで、ここからは私の調べたもう一つの話」


 先輩は、いきなりそんなふうに切り出す。


「小町ちゃんは、先生に手紙を渡そうとして断られたら一つのことを行っていたの」

「一つのこと?」

「ええ」


 楽しそうに先輩は語っていく。この小町という少女の思いの話を。

 そして、私にとびきりの秘密を教えた。


「――小町ちゃんはね。その断られた日の夜に、手紙を燃やして灰にしていたの。その桜の木の下で」

「……え、燃やす……って」


 想像してみる。

 快活で明るい誰からも愛される少女。そんな子が、夜中に桜の木の下で手紙に火をつけて灰にしている姿を。

 その表情は……想像している私の小町は、悲しむ表情でも諦めた表情でもない。ただ、無表情で何も写していなかった。

 まだ寒くもないのに、肩が震えてしまう。


「それだけの話なんだけども、そこも伝わってるのよ。『思いを伝えられなかったら、桜の木の下に思いを書いた手紙を燃やして灰を撒く』っていう風に」

「……誰が伝えたんですかね、それ?」

「さあ? 偶然見られたのかもしれないし、小町ちゃんが伝えたのかもしれないわね。噂っていうのはね、さっきも言ったけど形を変えていくわ。やりやすいように、納得しやすいように。でもね? 不合理なおまじないは同じくらい伝わるの。今でも、実はよく失恋をした後に灰を撒いている子はいるのよ。恋する子に伝わる話だから誰かしらが常に教えてるんでしょうね」


 ……それが、どのくらい前から伝わっているのか。それは、毎年のように灰は積み重なっていく。

 冷静に考えれば灰はすぐに飛んでいってしまうだろう。手紙を燃やした程度の灰の量がなにか影響を及ぼすはずがない。

 でも……なんだろう……。


「……小町という少女は、どうやって先生を射止めたんでしょうね」

「え?」


 先輩の話は戻る。それも、一番おぞましいと感じる部分に。


「三年もの間、小町という少女は一人の男を思い続けた。決して叶わぬ恋を叶えるために。どれだけ、自分を変えたのでしょうね。どれだけ、その先生との可能性を掴むために動いたんでしょうね。多分、もう最初の愛される小町は恋が成就したときには居なかったんじゃないかしら?」

「……」

「毎年、伝えた思いを燃やすのは自分との決別なのでしょうね。ダメだった自分の思いを燃やして、その次の自分の思いに。それを続けて、続けて。続けていって。最後には叶えてしまった初恋」


 それは確かに、初恋なのだろう。だって、恋に破れた自分を燃やし続けたのだ。彼女は、ずっと変わらずに燃やすことで思いをつなぎ続けた。ほんとうの意味で、失恋をしてない純白の初恋。

 ……それはもはや初恋ではなくて。


「先輩……その、小町はどうなったんですか」


 恋でもなく、愛でもない。初恋というなの呪い。

 いや、もうそれ以上におぞましいナニカにしか思えない。成就させた、その小町は……

 いったい、どんな結末を――


「……ふふっ、ごめんなさい。そこからは興味がなくて調べてないの」

「えっ?」

「追いかけるのも大変だったしね。私が調べたのは学園で収まった話だけ。ね? ちょっとは面白かったかしら。あの桜一本にしても色々な……それこそ、思いもよらないエピソードがあるものよね」


 そう言って柔らかく微笑む。

 そして、この昔話はおしまいとばかりに先輩は栞を外して本の続きを読み始める。

 これはいつも会話の終わり。先輩が話を止めて栞を外し本を読むときは、その話は終わりなのだ。


「……終わり」


 なんだろう。

 本当に、ここで終わりなのだろうか?

 私でも、この先が気になるのに。桜を掘り返してまで調べる先輩がこの話の、その先を調べていないわけが……


「……」


 ペラペラと捲って本を読む先輩はどこか楽しげで。

 ……最初に、私がこういった話は好きではないという表情を出した。その表情を見て、先輩は敢えてこの話を最後まで私に伝えないようにしたのじゃないだろうか。

 もしくは、本当に興味がなかったのか。どちらかはわからない。でも、先輩に聞いても決して答えてくれないだろう。そう、この話はここで終わりだ。


「……謎は謎のままかぁ」


 ……最初に言った、先輩の言葉。


『――あの桜には、恋が埋まっている』


 どういう意味なのだろうかと考えて、ふと分かった気がした。

 燃やして、灰にした手紙。その思いは初恋の死体だ。数えきれない恋が……終わった恋が燃やされて、死んであの桜の木の下に眠っている。それはもはや呪いとでも呼ぶべき怨念になっているのだろう。それは、未だに少女たちの恋を引き寄せ続ける。

 ――成就する恋は、幸福なのだろうか? わからない。しかし、これ以上調べる気はない。気になるが、私の好きな話ではないから。


「……ああ、そうそう」

「先輩? なんですか?」


 驚いた。本を読んでいるのに思い出した様に声をかけてくるのは先輩にしては珍しい。

 それこそ、最初のような悪戯げな顔を浮かべて……嘘か本当か。


「あの桜を掘り返した時にね……地面がサラサラしてて凄く柔らかかったの。それこそ、灰だけで出来てるみたいに」


 それだけを言って、先輩は本を読み始める。

 ……意地の悪い人だ。気になってしまった部分の、要となる部分をぼかして伝えてくるなんて。でも、何となく私の中で答えは出た。


 ――あの桜の木の下には、恋が埋まっている。


 少女たちの叶わぬ恋の死体が、数え切れない程に埋まって養分となり咲き誇る桜なのだ。

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