第2話 アイリーン・シルキス


不意に意識が覚醒する。

どうやら、少しうたた寝をしていたようだ。


「ん、起きたか。」


ノイエは声を掛けられた方に顔を向けると、よく知る顔が呆れたような表情でこちらを見ていた。


「人の寝顔を盗み見ていたんですか?趣味が良くないですよ、団長?」

「いや、いやいや。そうじゃなくてさ。お前、よくこの状況で寝られるなーって思ってさ。一応ココ、戦場だよ?」

「そうですね、少し不用意でした。いや、不謹慎?とにかく気をつけます。」


そう言うと、ノイエはその場に立ち上がり、辺りを見渡す。

現在、ノイエたちが居るのは大陸最東端にある半島の根本部分。そして、彼の目の前には新興都市のルムドフがある。

この一帯は、元々肥沃な大地が広がっており、海に面した街は漁業も農業も盛んだった。

だが、近年街が急成長を遂げたのは、街の北西にそびえるシギル山脈にある炭鉱の採掘所が原因だった。

街の領主は野心家だったらしく、あらゆる方面の産業を拡大しようとした矢先、決して質が良いとは言えなかった炭鉱の採掘所から、金やその他の希少な鉱石が見つかった。

調査の結果、鉱脈がかなりの規模であることを知った領主は、瞬く間に港の整備と航路の確保を終え、大陸全土に鉱石を輸出して大きな利益を得たのであった。

ルムドフは、当時は王国の中でもせいぜいが中堅レベルの街であり、大陸の最東端という立地もあって、王国の中央もこの領主にはある程度自由にさせていた。

しかし、鉱石の貿易により急成長を遂げたルムドフの様子を知った王国は、採掘権を国に帰属させるよう要求した。

街の躍進の根源を引き渡せという理不尽極まる要求であったが、王国の命令には逆らえない。誰もが領主に同情した。

だが、領主は噂に違わぬ野心家だった。

王国からの信書に目を通した領主は、そのまま信書を破り捨てると、なんと非難の声を上げる王国からの使者をその場で叩き斬った。

そして、その後の領主の動きは早かった。

鉱脈発見からたった1年余りで巨万の富を手にしていた領主は、街に堅牢な城壁を築き、軍事力を増強すると、属していた王国からの独立を宣言。

都市国家ルムドフとして、王国を含む他国に対し、対等な国家として認めるよう要求してきたのである。


「ここの領主さんは、随分とやり手なようですね。軍隊はよく組織されているし、ちゃんとした訓練も受けているようです。」

ノイエは、団長と呼んだ人物に

「でも、ウチの練兵度と比べたらまだまだですけどね。」

と言って笑顔を見せる。

すると、団長はジト目になって

「練兵の責任者であるお前が言うと重みがあるな。でも、みんな訓練の内容がキツすぎるって泣いてたぞ。」

と言い、苦笑いをこぼす。

「褒め言葉として受け取っておきますよー。」

ノイエは軽口を叩いた後、再び戦場に視線を戻した。


現在、ルムドフの軍隊は城壁内に立て篭り、籠城の構えを見せている。

それに対して、城壁から一定の距離を置いて、3つの兵の集団が街を取り囲んでいた。

3つの集団は街の正面の門に対して中央、右翼、左翼にわかれるような配置になっていて、ノイエと団長が陣取るのは、左翼の集団の後方、小高い丘の上だ。

そして、ノイエの視線の先に展開する左翼の集団は、ノイエ自身が所属する傭兵団『紅の雫』の団員たちだ。

紅の雫は、人数が100人にも満たない小規模な傭兵団だが、個々の戦闘力、組織的練兵度の高さ、団長の高い統率力とカリスマ性などにより、王国でも10指に入る戦力を有していた。

このときも、中央と右翼に陣取っていた別の傭兵団より人数では劣っていたが、集団の戦力では互角以上だった。


次に、ノイエは戦場から自分の隣に居るカリスマ団長に視線を移す。


彼女は、紅の雫三代目団長


『アイリーン・シルキス』


年齢は24歳。傭兵団の団長を務めるにしては、あり得ないほど若い。

アイリーンは、灼熱の炎のような赤い髪が特徴的であり、瞳も燃えるような赤。少し厚い唇が女性としての魅力を引き立たせている。ように感じる。

肉体は鍛え上げられた戦士のそれであるが、胸はふくよかな膨らみを見せており、身につけるブレストプレートの胸部も女性らしい曲線を描いている。

ちなみに、ブレストプレートを含め、彼女が纏う軽量甲冑は全て赤色で統一されている。戦場では目立つことこの上ない。


側に立つ木に立て掛けている槍は、三又槍であるトライデントと十文字槍の中間のようなアイリーン専用の獲物だ。

団長に就任してしばらく経つまでは、最前線で愛用の槍を振るっていたが、団長に先陣を切られては自分たちの名折れだと前線メンバーから直談判されては、さすがの彼女も引き下がるしかなかった。本人はかなり渋ったが。

ただ、団員たちの意見の裏には、紅の雫のカリスマであり女神でもある彼女を少しでも危険から遠ざけたかったという思いが見え隠れしていた。


それからは、後方から部隊全体を指揮するスタイルにならざるを得なかったアイリーンだが、彼女はここでも非凡な才能を発揮した。

彼女の作戦・戦術の立案や、刻一刻と変化する戦況に合わせた柔軟な指揮は、団の損耗率を大幅に減少させた。

ちなみに、作戦・戦術に関しては本来ノイエの本分であるので、この状況は立つ瀬がないことこの上ない。

自分の居場所がなくなっては堪らないと本気で思ったノイエは、戦術書や指南書を読み漁って戦術理論を学び直したり、効率的な部隊運用・部隊指揮を研究したりするなど、これまでしてこなかった努力を強いられることとなった。

結果的に、それは彼自身の能力を大きく向上させることとなり、戦術・指揮の分野に関してはアイリーンとノイエが互いを補い、高め合う理想的な関係が形作られていた。


なお、ノイエは『いざというとき、自分の身は自分で守りなよ?』というアイリーンの言葉を受け、空いた時間に彼女から戦闘の手ほどきを(半ば強制的に)受けるようになっていた。

このときも、彼の傍には自身の身長の倍の長さはあろうかという八角の棍が置かれていたが、これは槍を獲物とするアイリーンの影響を色濃く受けていることは言うまでもないことだった。

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