第2話荒れ果てた領地


「では、こちらが昨年度の財務報告書となります、若様」


 俺は執事のグレゴールから差し出された帳簿を手に取り、その重さを感じながらページをめくり始めた。


 分厚い紙の感触、手書きの文字がびっしりと詰まった表が視界に飛び込んできた。


 現代社会では見慣れない帳簿の形式に、一瞬戸惑ったものの、俺は集中してその内容を読み解こうとする。


 しかし、最初の数ページで俺はすぐに顔をしかめた。


「これは……想像以上だな」


 書かれていたのは、赤字と債務にまみれた領地の財政状況だった。


 税収は極端に少なく、経済活動はほぼ停止状態に近い。


 農業に頼っていたはずの領地も、作物の収穫量が激減しており、その結果として貧困に苦しむ領民たちの姿が浮かび上がる。


「農作物の生産量がここまで落ち込んでいるのか?……何が原因だ?」


 俺は表を指でなぞりながらグレゴールに尋ねた。


 俺自身、現代の知識を持ち合わせているものの、この世界での具体的な原因や状況を理解するためには、地元の事情に詳しい人々の助けが必要だった。


「若様、主な原因は天候不順と、最近の病害虫の発生でございます。また、税収の不足により農具の修繕も滞っており、労働力も著しく低下しております」


 グレゴールの冷静な報告に、俺は思わず頭を抱えた。


 ゲーム内では簡単に表示された「農業が壊滅的」といった一文が、実際に現実として目の前に突きつけられると、その重みは全く違った。


「それに加え、昨今の戦乱により商人たちも領地を離れ、領内での交易が激減している状況です。これにより、領地全体の経済が停滞し、貧困はますます深刻化しております」


 グレゴールの説明を聞きながら、俺は手元の帳簿を再度見直した。


 税収の低さは明らかで、借金の返済も困難な状況に追い込まれている。


 さらに、過去の領主である俺(今の俺の前任者)が無駄遣いをしていたことも一目瞭然だ。


「このままでは、領地が崩壊するのも時間の問題だ……」


 俺は声に出してつぶやいた。


 元々俺はこのゲーム世界で、物語の中盤で主人公たちに討たれる「悪役領主」として設定されていた。


 しかし、転生した今、俺はその運命を避け、領民を救うために何とかしてこの状況を改善しなければならなかった。


「分かった。まずは村を視察しよう。領民たちの声を直接聞き、状況を確認したい」


 俺の言葉にグレゴールは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻した。


 これまでの俺であれば、領民の前に出ることすら嫌がったはずだ。


 だが、今の俺は違った。


「かしこまりました、若様。すぐに馬車の準備をいたします」


 グレゴールは一礼し、素早く退出していった。


 俺は彼が出て行くのを見届けた後、再び帳簿に目を落とし、何度も確認した。


 現代の知識を使って、この状況をどう改善すべきか。


 まずは、農業改革と経済の立て直しが最優先課題だった。


 ***


 数時間後、俺は馬車に乗り込み、領内の村へと向かっていた。


 道中、俺は窓から外を見渡しながら、領地の荒れ果てた風景に心を痛めていた。


 かつては豊かな農地だったであろう場所が、今は雑草が生い茂り、耕されていない荒野と化していた。


「……これが現実か」


 道は泥だらけで、馬車は何度も揺れながら進んでいく。


 俺の隣に座るグレゴールは、無言のまま俺の様子を見守っていた。


 しばらくして、俺たちはようやく村に到着した。


 村の入口には、疲れ切った顔をした農民たちが数人、俺たちを出迎えることなくただぼんやりと立っていた。


 俺は馬車を降り、村を歩きながら目の前に広がる光景を観察した。


 家々は老朽化が進み、屋根は崩れかけている。


 子どもたちは痩せ細り、着ている服もボロボロだった。


 村全体が疲弊していることが一目で分かった。


「領主様……」


 ふと、農民の一人が俺に声をかけた。


 俺は驚いた様子で立ち止まり、農民を見つめる。


 中年の男で、顔には深いシワが刻まれている。


 彼の目には、わずかな期待と不安が混じっているように見えた。


「領主様、どうか……どうか私たちをお救いください。もう限界です。作物は育たず、税は重く、私たちは飢えに苦しんでおります」


 俺は彼の言葉を黙って聞きながら、その声の中にある切実な思いを感じ取った。


 これが現実だ。


 俺はゲーム内の「悪役領主」として設定された存在だったが、今やこの世界の領主として、目の前にいる人々の命を預かっている。


「分かっている。今、私ができることを全力でやる」


 俺は静かに答えた。


 農民はその言葉を信じているのかどうか分からない表情を浮かべていたが、俺の決意は固まっていた。


 俺は領地を立て直し、領民たちを救うことを心に誓った。


「まずは、農業から立て直す。新しい農法を導入し、灌漑システムを整えよう。現代の知識を活用すれば、この土地を再び豊かにすることができるはずだ」


 俺はそう考えながら、視察を続けた。


 領民たちとの対話を重ねるうちに、彼らの不満や困難が次々と明らかになっていく。


 特に、病害虫による被害が深刻で、作物がまともに育たないという問題が大きな障害だった。


「今すぐに結果を出すのは難しいが……少しずつ改善していくしかない」


 俺は心の中でつぶやいた。


 現代の農業知識を活かして、病害虫に対抗する方法を模索しながら、領民たちと共にこの荒れ果てた領地を立て直す決意を新たにした。


 馬車に戻る途中、俺は再び村の光景を振り返った。


 ボロボロの家々、疲れ果てた人々――これを救うのは自分だ。


 俺は自らの手で、この領地を再び豊かなものにするつもりだった。


「これからが本当の始まりだな」


 俺は小さくつぶやき、馬車に乗り込んだ。


 そして、領主としての新たな一歩を踏み出すための準備を始めた。

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