第七話 酒場の娘というより若女将?
夕方まで時間があるから、ティナに歯ブラシの使い方を教えた。
「うぁっ。からい、からいよふぁけひ」
「我慢しろ、それで水でゆすいでみ」
ティナは口を俺に言われた通りゆすいでみた。
「どうだ? すっきりするだろう?」
「うん。びっくりした。これ凄い」
ティナの国では、太い先の毛羽立った楊枝のようなもので軽くこすって口をゆすぐ程度らしい。
ティナ用に椿油の入ったシャンプーやリンス。
今使った歯ブラシや歯磨き用のコップ。
布団を買おうと思ったが『武士と一緒がいい』とか言われて、顔が真っ赤になりそうで困った。
どこまで本気なんだかわからないが、嬉しいと思ったのは気づかれたくないな。
こうやってみると、初めて見た時と違って、ティナは本当に俺とそっくりというか。
可愛くて振り向かれることを覗けば、こっちで暮らしている人とあまり変わりないように見えるようになった。
服装って大事なんだな。
パレット久茂地で、スカートを買わないのか聞いたとき『ヒラヒラしたのはあまり好きじゃないから』と言っていた。
なんでも、向こうで暮らしているときはいつもドレスらしいのだ。
『こっちにいるときくらい、もっと楽な恰好がしたいから』と笑っていた。
あの革の上下は、着ていると結構口うるさく言われるらしい。
でも案外お気に入りらしく、あれこれ見てきていいものを買ってきた。
スマホで調べたんだが、花〇のエマー〇が使えるらしいといいと書いてあったから、勝ってきたんだよな。
手洗いしてやって、軽く絞って陰干ししてある。
ティナはお姫様だということは、立花姉妹さんを見ていたら本当だと思えたから、洗濯なんてしたことはないんだろう。
俺がやってるときに、興味深そうに見ていたからな。
「ティナ」
「ん?」
「俺の嫁になるなら、こういう知識は必要だぞ? なんもできない嫁はいらんからな?」
「うん。頑張るっ!」
「なぁに、時間はあるんだ。ゆっくり教えてやるよ」
「ありがと、武士」
そこは頬にだろう、普通は。
回り込んで唇だもんな。
可愛すぎるぜ。
やっと落ち着いてきたから言えることだが。
ティナが初めてこの部屋のトイレに入ったときな。
すっごく驚いていた。
というより、第一声が。
『うぁあああああっ!』だった。
何故かって?
あれは俺も悪かった。
男所帯だからさ、便座上げるじゃんか?
そこにティナがすっぽり嵌っちゃったわけだ。
驚いて俺がドアを開けたわけだ。
半泣きのティナがこっちを睨んでた。
俺は平謝りだったよ。
まぁすぐに機嫌直してくれたけど。
次にトイレに入ったとき。
あのボタンを押しちゃったわけだ。
そう、シャワートイレのボタンだな。
慌ててお尻を上げたらしいから、センサーが反応して水は止まったんだろうけど。
トイレから出てきたティナに、いきなりぶん殴られたもんな。
もちろん涙目で。
俺が教えなかったのがいけないんだろうけど。
はたして、どっちに温水が当たったんだろうか?
いやいやいや。
でも、可愛かったなぁ……。
俺はこんなことがあったから、ティナに部屋にあるものの使い方をある程度教えたんだ。
トイレと風呂はある程度すぐに理解してくれた。
洗濯は、……暫く無理だろうな。
エアコンのリモコンや、テレビのリモコンはすぐに覚えたな。
冷蔵庫もわかったみたいだ。
全て電気というもので動いていることを理解してくれた。
「そうか。なるほどなぁ。雷撃の魔法を流してるようなものなんだね」
「物騒だな、おい」
「狩りでは便利なんだぞ。痺れてる間に、安全に倒せるからな」
どれだけ文明が違うんだか……。
そうだろう?
一国の王女様が『狩り』だぜ?
欧州あたりでは、狩猟は貴族階級のスポーツやれジャーみたいだったらしいけど。
俺にはピンとこないわな。
一通り部屋の使い方を教えたあと、時計を見るともう十七時になっていた。
「ティナ」
「ん?」
「俺、これから下で仕事なんだよ」
「仕事?」
「あぁ。俺はな、んー。ティナがわかりやすい言葉だと、酒場かな。それの店主をしてるんだ」
「酒場かっ!」
「知ってるのか」
「うん。あたいね。酒場の娘。やってみたかったんだ」
「おいおい……」
部屋で大人しくしてくれるかと思ったんだが。
活発なティナはそうはいかなかった。
仕方なく店に連れていった。
カラン、カラン。
鍵を開けてドアを開いた。
カウベルの音が、酒場のような演出だったのだろう。
ただ。
「暑いな……」
「悪い。エアコン入れてなかったわ」
俺は照明とエアコンのスイッチを入れた。
ティナに目には珍しく映ったのだろう。
「これが武士の店?」
「そうだ。
「へぇ。面白い名前だね。魔獣でも出てきそうな感じ」
「あっちにあるのか?」
「うん。あるよ」
半端ねぇな、ティナのいた国って。
俺はエプロンをつけて店の準備を始める。
「武士、あたいもそれつけたい。酒場の娘みたいだし」
「そうか。ちょっと待ってろな。確か、この辺に……、あったあった」
俺はスペアのエプロンをティナにつけてやる。
その姿は、まるで居酒屋のアルバイトの女の子みたいだった。
うん、これはこれでありだな。
「ティナ」
「なんだ?」
「俺の仕事を手伝ってくれるんだろう?」
「うんっ」
「だったらな、俺のことを貴族と間違ったときのあの言葉遣い。あれでしゃべってくれよ?」
「なんで?」
「お客さんはな、この店でお金を使ってくれるんだ。俺よりも、ティナよりもな、この店の中では偉いんだ。それがな、商売ってもんだからな」
「なるほど。うん。あー、あっあっ。これでよろしいでしょうか? 武士さん?」
「武士さん、だけやめてくれ。背中がむずむずするわ」
「うんっ。武士っ」
せっかくだから、ティナに接客五大用語を教えてやった。
思った以上にティナは頭がいい。
仕草も女性らしく振舞うことができる。
さすがお姫様ってところだな。
「武士、それ。全部お酒?」
「あぁ、そうだよ」
「……飲みたいな」
「だーめ。飲んだら仕事にならないだろう?」
「武士のケチ」
「きっとな、お客さんと仲良くなれば、奢ってくれるぞ」
「ほんと?」
「あぁ。だからいい子で仕事してくれよな?」
「うん。がんばる」
もうすぐ十九時になろうとしていた。
カラン、カラン。
「いらっしゃいませー」
「ティナ、違うって。いつもありがとうな」
「いえいえ。アルバイト雇ったんですか?」
「あぁ」
いつも氷を配達してくれるお兄ちゃんだった。
「可愛い子ですね」
「だろう? ナンパするなよ。ぶっ殺すからな?」
「やめてくださいよ。俺、彼女いるんですから。氷、冷凍庫に入れときますね」
「知ってるよ。じゃ、頼むわ」
カウンター越しにティナが俺の袖をつんつんと引っ張った。
「武士」
「ん?」
「お客さん、じゃないの?」
「彼はな、氷を配達してくれたんだ。業者さんって言ってな、いつも世話になってるんだよ」
「へぇ。なるほどね」
「じゃ、これ。サインお願いします」
「はいよ。またよろしく」
「ありがとうございました」
カラン、カラン。
さてと、開店の準備は終わったな。
俺は看板のスイッチを入れる。
あとは客が来るか、来ないで閑古鳥が鳴くかだな。
有線放送のスイッチを入れる。
モニタとDVDついでいに入れておいた。
今流れてる映像は、沖縄の海を映した環境DVDだ。
ティナは画面をぼぅっと見つめている。
「どうした?」
「これ凄い大きいね」
ティナは俺の言いつけ通り、店にいる間は女性らしい言葉遣いに気を付けてくれている。
それでも、多少フランクになってしまっているのは仕方ないだろう。
「海がか?」
「うみ?」
「知らないのか?」
「知らない」
「これはな、あぁそうか。次の休みに連れていくよ」
「ほんと?」
「ほら、後ろにあるだろう。それに乗ってな」
ティナは俺の言葉の通り、後ろを向いた。
「右の大きいのは無理だろうけど、左の三角のやつならティナでも乗れるはず。あ、教えてやるから」
ティナなら乗れるかと思ったが、乗り方を教えるところからじゃないと駄目だろうな。
「これ、乗り物なの?」
「自転車っていってな、自分の足で動かす乗り物なんだ」
「へぇ……。知らなかった」
「馬車の車輪みたいだろう?」
「あ、そういえば似てるね」
カラン、カラン。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませー」
ドアから入ってきた俺と同じくらいの男性は常連客だ。
こんなに早い時間から来てくれる貴重な友人でもある。
早いといってもまだ十九時を回ったあたりだけどな。
「お、タケちゃん。アルバイト雇ったんだな」
「あー、うん。陽明さん。こいつティナってい──」
「ティナちゃんだね。比嘉といいます。よろしくね」
俺の話をばっさり切りやがる。
こいつは比嘉陽明。
近所の水屋の二代目。
沖縄は浄水器をつけるか、電解水などの水を売るところから買って飲むことが多いんだ。
車での配達やウォーターサーバーのリースなんかも手広くやっているらしい。
「はい、よろしくお願いします」
「こりゃまたご丁寧に。いい子見つけたな」
「あぁ、遠縁の日系なんだ」
「ほほぅ。軍関係か?」
「まぁ、そういうことにしといてくれよ」
「もしや、これか?」
陽明さんは『びむっ』っと小指を立ててくる。
もちろん『お前の女か?』という意味だろう。
「ばっか。ちが──」
「武士さん。あたい、嫌いなの?」
店内では俺のことを『武士さん』と呼ぶようにしてもらったんだが。
いやいやいや。
そんなことより。
ティナ。
お前なんで、そんなニュアンスまでわかるんだよ。
まさか、あっちでも同じような仕草があるんか?
「いや、違うから。ティナはその、な。大事だから……」
「ありがと、武士さん」
俺の日に焼けたような小麦色の頬が熱くなっていく。
そりゃドワーフになっちまってるんだ。
日焼け顔だよ。
慌ててグラスに氷を入れて、水を一気飲み。
ティナは俺と一緒にカウンターに入っているもんだから、腕にしがみついてるし。
そんな俺たちに感づいたのか。
「やっとタケちゃんにも春が来たんだな。こうしちゃいらんないな。よし……」
陽名さんは何やらスマホをいじりくりり回している。
「ん?
沖縄で流行っているLI〇Eに似たSNSだ。
「ちょ、なにやってんのさ?」
「知らんよー」
そうこうしてる間に。
カラン。
カラン、カラン。
あっという間に常連さんで満席になってしまった。
「いらっしゃいませー」
満面の笑顔で迎えるティナ。
あちこちでグラスの鳴る音が聞こえてくる。
「タケちゃん、おめでとー」
店内はお祭り騒ぎの状態だ。
「武士さん、いつ結婚するの?」
「あぁ、近いうちに、な」
「タケさん。このロリコンおやじ」
「ばっか。こう見えてもな、俺のいっこ上だぞ?」
「そんなわけないっしょ。このロリおやじー」
完全にロリコン認定だよ……。
ティナは王女様だけあって、社交性があるようだ。
口調も今、猫を被ってる上に、仕草は優雅でおしとやかだ。
意識すれば、本当にティナ姫なんだな。
「ティナちゃんは、タケのどこに惚れたんだい?」
「かっこいいとこ、……です」
頬に手を当てて、真っ赤になってやがる。
ちくしょう。
可愛いじゃねぇか。
「ティナちゃん、私、絵美里っていうの。この近くでパンを作ってるのよ。今度食べにきてね」
「はい。あたい、パン。大好きですから、今度伺いますね」
こうして見るとティナは、ぱっと見はハーフっぽい沖縄の娘に見えなくもないな。
「ティナ、竜田揚げ揚がったから持って行ってくれるか?」
「はーい」
俺とのコンビネーションも悪くなく、若奥さんにも見えてしまう。
「ティナちゃん、これおかわり」
「はいはい。武士さん。黒生お願いしますー」
「あいよ」
「ティナちゃんこっちも」
「はーい。武士さん、生絞りサワーおかわりね」
「あいよ」
「武士さん」
「なんだ?」
「大好き」
「ば、ばっか……」
「照れるなよタケちゃん」
「知らんわっ!」
酒場の娘か、若女将か。
しっかりなりきってるし。
お客さんが今何を飲んでるか。
全部わかってるみたいだ。
すっげー、頭いいのな。
こんな感じに『サブカルバー地下牢』の夜は更けていった。
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