第五話 『あたいと一緒じゃ、嫌?』
しばし呆然と鏡を見ていたが、とりあえず諦めることにした。
うん、くよくよ悩んでいても仕方ない。
俺はティナのもとに戻ってきた。
俺はどっこいしょと座った。
するとティナはするするっと俺の足の間に戻ってくる。
『えへへ。お揃いだね』なんて楽観的に笑ってるし。
ちくしょ、可愛いじゃねぇか。
「そういやさ、俺にもし、嫁さんいたらどうるつもりだったんだ?」
ティナは右手を俺の目の前に持ってくる。
「この指輪がね、教えてくれるんだ。一応魔道具なんだよね。むかーし、問題になったことがあったらしいんだ。それでこんなのを作ったみたいだね」
ティナの小指には決して可愛いとは言えない、武骨な指輪がはまっていた。
「ほほぅ……」
「武士の服、掴んだときね、赤く光らなかった。だから奥さんいないんだなーって安心したんだ。今はほら、あたいと夫婦になろうとしてるから、ちょっとだけ光ってるでしょ?」
指輪は小さな赤い宝石が埋まっている。
言われてみれば確かに、その宝石が若干だがぽうっと光っている。
「ちょっと待て、夫婦になろうとしてるって……。目のことか。そうか……」
「あたいと一緒じゃ、嫌?」
ティナは、ちょっと寂しそうな目で俺を見てくる。
そんなわけあるか。
それにその台詞。
某アニメの有名なやつと同じじゃねぇか。
こんなに可愛い子が俺の嫁になるなら、……いや簡単なことじゃないだろう。
それでも俺は嫌なんかじゃなかったんだ。
「嫌じゃないよ。なるほどなぁ。過去に既婚者がそうやって詐欺事件を起こしたってことか」
「さぎ?」
「あぁ、知らんでもいい。そうだ。俺が変わったのって、目の色だけなのか?」
四十二歳で中二病デビューとかないだろう。
今のところ痛いとか見えないとかはない。
これなら『この目が疼く~』とか遊べるんだろうけど、俺はやらん。
ガキじゃないんだからな。
絶対にやらないぞ?
「あたいもそれはわかんないかな。武士が同族だと思ってたし。まさか違うとは思わなかったから……」
「まぁいいか。気にすんな」
「うんっ、ありがと。大好き、武士」
俺の唇にティナは躊躇うことなく、重ねてくる。
いや、嬉しんだけど。
歯止めが利かなくなることは自重しておこう。
「あぁ、ありがとな。俺も風呂入ってくるわ」
「武士」
「ん?」
「喉乾いた」
「はいはい。少々お待ちくださいね、お姫様」
「うむ。苦しゅうない」
俺は冷蔵庫から氷を出して、コップに入れた。
そこにスポーツドリンクを注ぐ。
「ほい」
「何これ?」
ティナはお決まりの、すんすんと鼻を近づけて匂いを嗅いでいる。
匂いがしないからとりあえず飲むことにしたんだろう。
こくこくと喉が動いている。
「……ぷはっ。これ、美味しい」
「だろう? 汗をかいたときとか、風呂上りにいいんだよ。吸収も早いからな」
「おかわり」
「はいよ」
俺は並々注ぐとティナの前にペットボトルを置く。
「これ、こう捻ると開くから、足りなくなったら気にしないで飲んでいいからな。じゃ、風呂入ってくるわ」
「おうっ!」
ティナはなんというか。
男っぽいというより、男の子っぽい喋り方をすることが多い。
それがまた彼女の魅力でもあるのだろう。
いくら男の子っぽい喋り方をするからって、『男の娘』とかはない。
だってなぁ。
ついてなかったし。
いやいやいや。
妄想終了。
煩悩退散。
このハーフパンツじゃ、もっこりしたら見られちまう。
俺はさっさと風呂に逃げ込んだ。
この家は古い造りをしている。
沖縄は気候のせいもあり、昔から湯船に浸かるという習慣がないらしい。
そのため、古い家やアパートなどはシャワーしかないところも珍しくはない。
つまり風呂桶がないんだ。
俺は通販でバスタブを買って設置したんだが……。
泡風呂かよっ!
ティナのやつ、ボディソープ、突っ込みやがったか。
仕方なく俺はシャワーで軽く身体を流してから、どぶんと浴槽に浸かった。
うわぁ、違和感半端ない。
これちゃんと教えないと駄目だろうな……。
俺には欧米の習慣なんてない。
お湯の中で身体を洗うなんてやったことないからな。
つい勿体ないから入っちまったけど。
これ、俺には合わないな。
湯船から上がり、お湯を抜いて軽く洗う。
ついでに自分の身体と髪を洗った。
あれ?
何か、おかしくね?
生え際が。
生え際が、若かりし頃のように戻ってる。
それに連動して、額も狭く。
うっそだろう?
髪の密度も前より多い。
夢でもいい。
これは嬉しい夢だわ。
あれ?
首から下と腕から上。
腹の部分が小麦色になってるぞ。
あれ?
耳の先も若干尖ってきてるような。
よく見ると、毛根が。
脱色してるだけだから黒いはずなのが、ティナと同じ金髪になってる。
あれ?
これって。
俺。
ドワーフになってね?
『なんじゃこりゃぁあああああっ!』って叫びたい気持ちをぐっと抑える。
シャワーを浴びて風呂場を出た。
おなか、ぽよぽよはそのままだな。
でも若干前よりは引き締まってる感じはしないでもない。
気のせいかもしれないけどな。
俺の姿を見たティナが物欲しそうな目で見てくる。
「おかえり、武士。あのね」
「ん?」
「なくなっちゃった」
おい、二リッターのペットボトルだぞ?
半分以上入ってたはずだけど。
もう飲んじまったのか。
「あーうん。ちょっと待ってろな」
「うんっ」
俺は頭をタオルでガシガシ拭いて、そのまま肩にタオルをかける。
冷蔵庫を覗いて、ちょっと考えた。
悪戯してやろうかな、と。
俺はペ〇シコーラの千五百ミリのボトルを取り出す。
「同じのないけど、いいか?」
「いいよー」
飲んで後悔しろ。
ビールよりも炭酸強いぞ。
って俺も大人気ねぇな。
『プシッ』っと音を立ててキャップを外す。
新しい氷を入れたコップを用意して一緒に持っていく。
ティナの横に座ると、当たり前のように俺の足の内側に座りやんの。
まぁ、エアコン効いてるから汗でベタベタしないからだろうけど。
トクトクと音を立ててコップを満たす。
「何これ? 真っ黒」
「これな、コーラって言う飲み物なんだ」
「へぇ……。飲んで大丈夫?」
「おう」
ティナは両手でコップを持って、いつものようにすんすんと鼻を鳴らす。
きっと癖なのかもしれないな。
ひと口飲むと、こっちを向いて目を見開く。
「これ、面白い。しゅわしゅわしてて、すっごく甘い」
「だろう?」
「うんっ」
半分くらい飲み終わると、流石に胃に炭酸が貯まったんだろう。
ティナは可愛らしく『けぷっ』っとゲップをした。
これまで可愛いとかどうなんだよ。
ごめんなさい。
俺が悪かった……。
「なぁ、ティナ」
「んー?」
「俺、もしかしてドワーフになっちまったのか?」
「んー、エルフだったらハーフエルフって感じ? ドワーフにハーフはいないから。立派なドワーフだと思うぞ。あたいの目があるからな」
「あほかっ! 俺が人間じゃなくなるの知っててやったのか?」
「だって。言葉通じなかったし。武士が人間だなんて知らなかったんだよ。あたいだって、本当にいいのか悩んだんだよ。少しだけど」
「少しだけかい」
「それにね、ちょっとかっこよかったし……」
おい。
かっこいいって。
こんなぽちゃったおっさんが、かっこいいだと?
あぁ。
ドワーフ基準か……。
俺はラノベなんかで挿絵にあったドワーフを思い浮かべた。
ま、いいか。
髪も生え際も若いころに戻ったし。
見た目が変わったのは右目だけだろうし。
普段からサングラスしてるからその辺は大丈夫だろう。
そういや、ティナが着ていた服を洗おうとしたとき、焦ったね。
何の動物かはわからんけど、総革製でやんの。
あれじゃ洗えねぇじゃねぇか。
今は俺の服を着てるからいいとして、着替えくらいは必要だよな。
一応、ファブ〇ーズして脱衣所に陰干ししておいたけど。
それと驚いたわ。
こいつ。
下着持ってないわ。
かといって、すぐに帰るかどうかもわかんないもんな。
「ティナ」
「ん?」
「お前さ、帰りたいか? 多分玉泉洞の奥に行けば帰れるかもしれないんだろう?」
「んー。やだ」
「へ?」
ティナは俺の胸に顔を埋めてそう、あっさり言いやがった。
「武士、あたいと同じ匂いがする。いい匂い」
「そりゃそうだろう。同じボディソープ使ってんだから」
「髪も同じ匂いだ」
「お、おう」
そのままティナは俺をじっと見たかと思うと。
「……んっ」
唇を重ねてきやがった。
やわらけー。
あ、歯ブラシも買いに行かなきゃ駄目じゃんか。
こいつ、歯磨きとかの習慣あるのか?
いやいやいや。
そんなことを考えてる状況か?
うわ、こいつ。
筋肉質なのに、すっげー柔らかい。
俺の胸板に押し付けられたおっぱい。
ぐにゃって潰れてるんだけど、これがまた。
いやいやいや。
ここで流されてどうする?
だから舌絡めてくるなって。
うあ、駄目になりそうだ。
俺はティナをちょいと押しのける。
「ティナ」
「いいとこだったのにぃ……」
「服、買いに行くか」
「えっ?」
「だってさ、暫くこっちにいるとしても、着替えがあれじゃまずいだろう?」
「いいの?」
「あぁ、服くらい大丈夫だ」
「やった。武士とお買い物。こっちの町、面白そうだし」
「そうと決まったら、さっさと行くとするか」
「うん、ありがと。大好きっ」
今度は触れるだけのキス。
うわ、ホント、駄目になりそうだわ。
こうして改めて立ってみるとわかる。
ティナと俺って三十センチは違うんだな。
俺は百八十五。
多分ティナは百五十くらいだろう。
「あ、ちょっと待て」
「ん?」
ティナのその格好、まずいわ。
タンクトップから、乳首浮いてるし……。
俺はちょっと大きいかもしれないが、俺の袖を通していない真っ新なTシャツを出してくる。
黒地白い文字で『海人』と太く書いてある。
背中には『島ないちゃー』。
ナイチャーとは、内地の人。
島がつくことで、沖縄生まれではなく、長い間沖縄に住んでいる人と言う意味だと、俺は聞いていた。
そんなTシャツをティナに着せる。
そしたら襟首のところもだぶっとしていて、丈は太腿が隠れるくらいになってしまった。
まるでワンピースみたいに。
まぁ、これで透けるようなことはないだろう。
まだ認めたわけじゃないけどな。
炎天下で歩くのはちょっとまずいと思って、ティナには俺のサイクルキャップを被せる。
キャノンデールのもので、黒地に真ん中にライムグリーンのラインが入っているもの。
一応俺のお気に入りだ。
これは二つ持っていて、へたったときに使うようにサブで持っていたもの。
俺も同じキャップを被り、準備はできた。
「おそろいだね」
可愛らしいことを言ってくれる。
照れるじゃねぇか。
とりあえず、ティナには履いてきたサンダルを使ってもらうことにする。
靴はあとで買えばいいだろう。
「んーっ。武士とお買い物ー」
「はしゃぐなって。カギ閉めるから待っててくれ」
「うんっ」
俺は部屋の鍵を閉めると、ティナより先に階段を降りる。
まぁ、結構急な階段だし。
万が一落ちたりしたとき、すぐに受け止められるように。
いらん心配かもしれないけどな。
階段を降りきったところで違和感を感じる。
黒塗りの車が横付けされてる。
ティナが階段を降りたあたりで、車のドアが開いた。
中から出てきたのは、これまた暑苦しいスーツを着た二人。
ひとりは黒のタイトスカートのビジネススーツの女性。
もう一人は、同じ色のスーツを着た男性。
俺たちの方に向かって歩いてくる。
間違いなく俺たちに用事があるような感じだ。
ショートカットの眼鏡をかけた、年のころ三十手前くらいの女性が俺に向かって声をかけた。
「本郷、武士さん。ですね?」
俺はティナを守るように、彼女を俺の背中に隠す。
俺は別に格闘技ができるわけではない。
ただ、身体はでかいし、サングラスをかけてる。
ちょっとはハッタリが効くだろう、そう思っただけだ。
「あぁ。そうだが?」
その女性は、懐に右手を入れた。
ちょっと待て、拳銃とか取り出したりしないよな?
俺はまぁ、これくらいじゃビビらない。
一応、飲食店として修羅場は潜り抜けてきた。
なんせ、前に勤めていた場所が歌舞伎町だったからな。
揉め事なんて普通だった。
するとその女性は名刺入れのようなものを手に取った。
一枚の名刺を取り出すと俺に差し出してくる。
「入国管理局の立花
「へ? 入国管理局?」
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