第2話 街角で会話
「なあ、君も飲まんか?」
ビール缶を一万田誠二が差出す。
差出されたのは可憐な少女・・・の銅像
警視庁に3年勤めて退職した一万田は故郷に帰ってきていた。
地元の運送業に就職できたのはいいが、たまの休みはこうやって昼間っからビールをあおる以外やることがない。
少女に無視された誠二は軽く舌打ちをして缶に残ったビールを飲みほした。
「お巡りさん、そん子は未成年やで。」
女の声に誠二は正面を向いた。聞き覚えがある。
「アンタこげんとこでなにしよるん。」
「首藤・・・さん?」
「アンタ、私と出くわすと必ず「首藤・・・さん?」っち言うな。」
ニヤニヤ顔の首藤さんが正面に立っていた。
「首藤さんこそ、俺の気恥ずかしいところに必ず現れるやんか。」
誠二は首藤さんが何か腕に抱きかかえているのを見た。赤ちゃんだった。
「首藤・・・さん?」
「なーん?」
年の瀬が迫る街頭、今日はひどく冷えていた。
首藤さんは厚手のコートを着て、その上に大きな布を肩から掛けて赤ちゃんを抱きかかえていた。心なしか生活に疲れたような顔をしている。
「そん子は・・・?」
「あ、こん子?」
「ほかにおらんやろ。」
首藤さんの顔が曇る。
「いちまんちゃん、なんで帰ってきたっち、連絡してくれんの。」
「え。」
「あたし、待っちょったんで!」
「ええ?」
「連絡もよこさんでから!」
そういわれても誠二は首藤さんの連絡先を知らない。
知らないし、そもそも首藤さんは福岡の大学に行っていたのではないのか。
あらゆる言葉を飲み込んで誠二はとりあえず「ごめん」と謝った。
というか、そんな仲だった???と誠二の脳天には?マークの塊で出来た?マークが10個くらい浮かんでくるくる回った。
首藤さんはぐずる赤ちゃんをよしよしとあやしながら糾弾を続ける。
「誰ん子かわかる。」
「・・・いや、知らん。」まったく見当がつかない。
「こん眉、見よ!」
首藤さんが赤ちゃんの顔を見せてきた。
眉・・・?
赤ちゃんらしく、特にかわったこともない薄い眉だ。
「そっくりやろ、池辺の子や!」
「池辺?」
地元に池辺さんは無数にいる。誰のことか全くわからない。
「ほら、小学校2年生の時にあたしの隣に座っちょった。」
誠二は全く覚えていない。
「小学校6年の時にプールでウンコ漏らした池辺や。」
誠二は思い出した。
確か立派な眉毛が特徴的で「まゆべ」というあだ名で呼んでいた。ちなみにプールでウンコを漏らしたというのは冤罪で、プールサイドになぜか落ちていた犬の糞を「まゆべ」が水の中に蹴り落としたというのが真相なのを誠二は知っている。
「っていうか、お前、池辺と・・・!?」
子供の頃は特に気にも留めなかったが、池辺は金持ちの子供で、ゲームのカセットが新発売されれば必ず買ってもらっていて、今にして思えば家の車も高級車だった。
首藤さんがどういういきさつで池辺と結婚したのかは知らないが・・・経済的な打算でもあったのかと、つい邪推した。
首藤さんはぷいと顔を背けて言った。
「あんたが連絡寄こさんけん・・・」
誠二はいたたまれなくなってきた。
「いや、なんかすまん。」
いい子やいい子や、と首藤さんは手慣れたてつきで赤ちゃんをあやしている。悲しそうな顔だ。
誠二はそういえば首藤さんと最後に会ったのはいつだったかと記憶をたどった。
そうだ、警視庁に行くために地元駅で会ったのが最後だ。
小倉駅での別れ際にキオスクで買った駄菓子を袋一杯手渡されたのを覚えている。
自分も当時は「多分これっきり首藤さんと会うこともないのだろう。」なんて考えていたっけ。
誠二はとにかく情けなくなってきた。
首藤さんの気持ちに気付かなかった自分、今のなんとも甲斐性なしな自分が嫌になってきた。
目頭が熱くなってくる。
「首藤さん!!」
誠二が勢いよく顔をあげたその時
「ごめーん、待ったやろ~!」
元気のいい女性の声が飛んでくる。
「いいんよいいんよ、可愛かったわあ!」
首藤さんがその声に明るくこたえた。
元気のいい女性の顔にはどこか見覚えがある。
「鈴木・・・さん?」
「あー、なんやったっけ。ええと~」
「ヒント、一万円ちょうだーい。」首藤さんがヒントを出す。
「あ、いちまんちゃん!」
鈴木さんは小学校の時の同級生だ。
小学生の時はガリガリに痩せていたように覚えているが、すっかりふくよかになった鈴木さんは首藤さんから赤ちゃんを渡されるとニコニコとさらに笑いだした。
「なつかしいやん、なにしよるん。」
「そこの少女にビール飲ませようとしよったんよ。」首藤さんが解説する。
誠二はもんどりうちたかった。
「待たせたーすまんー」
元気のいい男性の声が聞こえてきた。
元気のいい男性の顔にはどこか見覚えがある。
「まゆ・・・べ?」
「おーいちまんやねえか。」
男は池辺だった。あいかわらず立派な眉毛だ。ふっさふさでキリっと立っている。
誠二は池辺と鈴木さんと首藤さんの三人をかわるがわる見て言った。
「池辺と鈴木さん、結婚したんか。」
首藤さんが答えた。「そうなんよ。アンタ知らんかったん?」
鈴木さんが赤ちゃんを誠二に見せてきた。
「ほら、この眉毛、そっくりやろ?」
赤ちゃんの眉は、あかちゃんらしく薄いうぶげのような眉だった。
「旦那そっくりなんよお。」
鈴木さんが赤ちゃんにほおずりをする。
「そ・・・そっくりやな。」
そう応じた誠二を首藤さんがチラと横目で見る。「似ちょらんやろ。」そう言いたげな顔だ。
「首藤ちゃんが見てくれちょったけん、らく~に買い物できたわあ、ほんとありがとう。」
首藤さんは「いいんよ、いいんよ。」とコロコロ笑っていた。
「いやー助かったわあ。」そう言ったのは池辺だ。
池辺は復員してきた兵隊みたいに荷物を背中に両手に持っている。
「いちまん、悪ぃけど俺達ちょっとこれから行くとこあるけん、これでな。」
「ああ、しかし、いや、ビックリしたわ。池辺が結婚したとか、それも鈴木さんと。」
こうして池辺は内地に復員するように、鈴木さんは赤ちゃんに頬ずりしながら幸せそうに去っていった。
誠二「首藤さんは行かんの?」
「家族水入らずを邪魔できんやろ。」
誠二「ほな、俺ちょっとこれから行くとこあるけん。」
「うそんじょお。」
嘘は一発で見破られた。
「昼からビール飲みよるようなグウタラに用事なんかねえやろ。」
ぐうの音も出ない。
「付き合って。」
「へ???」
「買い物するけん、付き合ってっちいいよるんよ。」
「ああ。」誠二はちょっとがっかりした。
「グリコのお菓子買っちゃるけん。」
「俺は子供やねえ。」
誠二は半ば強引に首藤さんの買い物に付き合わされ、帰りは復員の兵隊みたいになっていた。
まあ、流石に首藤さんと会うのもこれっきりだろうな・・・
冬の日暮れは気が早く、5時には街灯が街を照らす。
木枯らしが道行く人々の肩を、頬をなぜる。
首藤さんと別れ、買ってもらったグリコのお菓子を握りしめながら誠二はアパートに歩みを向けた。日はいよいよ暮れ、住宅街には夕餉の匂いがたちこめはじめた。
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