第3話

「ただいま」

 そう言ってドアにカギをかけ、靴を脱いで上がった。奥の部屋から顔を出していたのは、ひとみだった。私がここに越してきた時からわたしの家にたまに訪れていたが、最近では毎日のように家に来るようになった。

「また来たの」

 私があきれ顔でそう問いかけると、

「いいじゃん! 退屈なんだもん」

 と子どものように少し顔をしかめる。私が台所まで行って荷物をテーブルの上に置いていると、ひとみは、何を買ってきたの?とこちらに迫ってきた。私が野菜や果物を冷蔵庫にしまっていると、今日の晩ご飯は何かなーとのんきなことを言っていた。

「ねぇ……、あ、わたし新しいゲーム買って持ってきたから一緒にやろうよ」

 私は、ひとみが何かに気づいたようなそんな問いかけをしたような気がして、クマなんとかの存在でもバレたのかと思ったが、私が振り返ったときには、もうすでにひとみはゲームを用意しに隣の部屋に出陣していて、ひとみの顔をうかがうなどということはできなかった。


 昼ごはんを食べ終わると、すぐにゲームが始まった。ひとみが買ってきたゲームというのは、RPGゲームだった。これ、一人でやるやつやんけと思いながらも、私は、ひとみがゲーム機の電源を入れて進めていくのを、その横に座って足を投げ出して見ていた。ひとみの説明によると、これはどうやら、魔王が現れて廃墟同然となった世界を抜け出し、別の世界へ逃げ込むというストーリーらしい。こんなのがおもしろいのかとひとみに聞くと、先行して発売された虹の向こうの世界にいる友人からお勧めされたから、絶対に面白いのだということだった。

「面白いんだよなぁ、これが」

 ひとみはそう言っていた。

 そのゲームでは、主人公に名前をつけられるらしく、ひとみは、その名前の設定画面になると、迷うことなく「ムラサキ」と入れた。

「いやそれ、私の名前だけど」

「そうだよ。君がこの主人公になるのじゃよ」

 ひとみは、なぜか少し得意げな顔をしていた。

 ゲームをやっているひとみは、真剣で、負けず嫌いだった。興奮してくると、よっ、はっと掛け声を出し、コントローラーごと操作して、身体を前後左右に揺らして、挙句の果てにはその場に立ち、ジャンプを繰り返して相手を攻撃していく。少し前に、もう少し落ち着いてゲームできないのかと聞いたことがあったけれど、そのとき、彼女は「ゲームはねぇ、全身運動なんだよ」と語っていた。ゲームをよくやる娘の言うことは一味違うものだと感心したものである。その後3時間ほどひとみがゲームをしているのを見ていた。

 その日の夕食はハンバーグにした。私がハンバーグを作ると知るや否や、ひとみはわたしの下に駆け寄ってきて、「わたしも何か手伝う!」と申し出てきた。きっと彼女に尻尾がついていたら、ぶんぶんそれを振っていただろう。彼女の目はらんらんと輝いていて、こういう目が周りを輝かせているのかもしれないと思った。私がこんな目をすることはもうないのだろう。

 明日の昼ごはん用のものも含め、4つのタネを作り、そのうちの2つを焼いて食べた。ハンバーグには、玉ねぎのほか、れんこんやシイタケを入れる。これらは全てひとみの助言に従って入れている。彼女の助言はいつも正しいのだ。以前、ひとみの助言に従い、納豆を入れてみたらハンバーグも納豆もふつうに食べるより味のランクが下がったので、それ以来入れたことはない。しかし、これは味のランクが下がったハンバーグと納豆が間違いなのであり、ひとみの助言が間違っていたわけではない、ということになっている。

 夕食を食べるとき、ひとみはいつも幸せそうな顔をするのだ。今日は、ハンバーグだから、よりいっそううれしそうに見える。一口ハンバーグを口に放り込むたびに、目を閉じてその味を全身味わうかのようにしっかりとかみ砕いていた。そして次のハンバーグに手をつけようとするときに、にやにやしながら、大きな塊となっているハンバーグをゆっくり小さく切り分けるのである。

「なんか殺人鬼っぽいな」

 私が彼女にそう言うと、彼女は不適に笑い、手に持っているナイフで私をつくふりをするのだった。私がやられるふりをすると、彼女は、ナイフを鞘に戻すふりをして「またつまらぬ命を奪ってしまった」と言う。いつものことだった。


「おいしかった~!」

 ひとみは、食べ終わると、両手をグーにして突き上げ、伸びをする。それは、まるで何かに勝利したときの勝利宣言のような喜び方だ。ご飯一つでここまで喜ぶことができるやつが今までいただろうか。

「食器片づけたら、また送ってくから、ちょっと待ってて」

「それなんだけど、私、ここで紫と一緒に暮らしたい」

 この話は、ひとみからもう何度も聞いた話だった。夕食の後、真剣な眼差しとともに訴えてくるのだ。彼女の目には力が宿っていた。しかし、それを認めるわけにはいかない。

「それは、前にも言ったと思うけど、ひとみにもやることがあるでしょ。だから、やっぱり今はダメだよ」

 そう言うと、ひとみは、さっきの幸せそうな顔が嘘のようにしょげてしまって、そういうときは、私は、ひとみの隣に行って、「またそういうときが来たらね」と声を掛け、頭をなでてやるのだった。

 こう答えるたび、私は彼女を送っていった後でいつも苦笑してしまう。「そういうとき」というのは、自分でもいつなのかよく分からなかった。しかし、そう返し、彼女が納得することが暗黙の了解であるかのように、いつもうつむいたまま頷くのであった。彼女の母親が亡くなっていることをもってしても、私が彼女の親の代わりになることはできないのだ。

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