第32話

 風はますます強くなる。雨なのか『慟哭どうこく道標みちしるべ』による涙なのか、よくわからない水滴が横殴りの風に乗って頬を叩く。遠くで響いていた雷鳴は、いつの間にかかなり近づいていた。雲は渦を巻き、その中心には異形の石板が回っている。


「メスト、あなたはいったい何を考えているのです? いつもいつも、あなたは勝てるパイを捨てる。なぜですか? 私は今までそれについて考えようとはしませんでした。ですが、今回のミッションで私はいろいろ考える自分を取り戻したのです。答えなさい! メスト!」


「ふむ。今回でこれほどの効果を生むとは、私の戦略眼も捨てたものではないな」


 質問には答えず、メストは何やら自画自賛する。


「答えなさい!」


 明日香は焦れた。


 今回のミッションにおける慧也を対象に選択した経緯や、執拗なまでの精神的な揺さぶりなど、その真意はわからなかったが、様々な事象を総合した時、明日香は自分自身の心の再覚醒が真のターゲットであったのではないか、という推論に対して肯定的にならざるを得なかった。


 考える自分を取り戻すと、メストの今までの行動には数々の疑念があった。もちろん、それらの事は深月や藍那も感じていたことだが、メストに相対し、探りを入れるような会話を成立させることが出来るのは、戦闘において拮抗できる明日香だけだったのだ。故に、ここに来てようやくメストにその真意を質すことがかなったのだ。


「そう急くな。それより、貴公の罵声は心地よいな。もう少し焦らしてみるか」


「戯言を!」


 明日香は間合いを詰め、メストに切りかかる。数合打ち合い、二人は再び距離を取った。


「どこまで私たちを! 地球人を馬鹿にすれば気が済むのです!」


「馬鹿になどしていない。むしろ尊敬の念さえ抱いている。どうして貴公らの文明はここまで退廃しつつ、それでも前を向いて進めるのか? 私はそれが知りたい」


「どういう意味ですか!」


「ふむ、慧也とか言ったな。あの男に聞いてみろ。少しは答えを知っているだろう!」


 偃月刀えんげつとうを振りかざし、メストが突進してくる。明日香はそれを見切って左へ飛びすさる。雨に濡れた服はお互いの動きを少しだけ鈍くさせるが、それでも常人からすれば充分に速い動きで数度の攻防をしのぎ合う。


「メスト、申し訳ありませんが楽しんでいる暇はありませんので、全力で行かせていただきます。早くあれを止めないと、街の被害も甚大になりそうですからね」


「ふむ、望むところ!」


 両者渾身の一撃も、互いの技量によって阻まれてしまう中、明日香はロケット・ブースターを展開して空高く跳躍した。


「空中戦か、面白い!」


 メストもそれに続いて地面を蹴った。こちらは特に推進力を擁するアイテムがあるわけではなく、純粋に跳躍力のみで施設の屋根より高い位置にいた明日香に肉薄する。


「うおおおおおおおおおおおおっ!」


「はああああああああああああっ!」


 男と少女の裂帛の気合いが風雨荒れ狂う夜空にこだまする。お互いの武器が交差し、激しい衝撃が腕を襲う。その衝撃に押されて空中でそれぞれ反対の方向へ飛ばされ、一旦着地しては、再び空を舞う。より高く、上を取った方が勝ちとでも言わんばかりに。


 空中での激しい斬撃の衝撃波、飛び散るスルトリアの闇で地面と言わず建物と言わず、多くの対象が物理的ダメージを受け続ける。地はえぐれ、施設の壁は破砕され、カケラが闇に吸われていく。


 二人の対決の場は、もはや小さなブラックホールと化していると言っても良かった。


「メスト! 決着をつけます!」


 何度目かの着地をした明日香は、空いている左掌からもう一本のスルトリア用の柄(つか)を取り出す。そしてすでに顕現している右手に持つスルトリアの柄の下に連結させた。


「む、アスカよ、その手合い初見えだな」


「ええ、いろいろと問題がありましてね。今までは封印していたのですけど」


 ポウッ、とスルトリアの顕現体積が数倍に膨れる。


「今、私は心の底から慧也様や深月、藍那を護りたいと思っています。あなたが私の感情を呼び覚ましたおかげでしょうか。本当にそう思わなければ、これは使えません」


 明日香の表情は、今までになく引き締まった、それでいて穏やかにさえ見えるものだった。微笑みさえ浮かんでいる。


「む……」


 メストは気圧された。認めたくはなかったが、今の明日香の前に立つことに幾許(いくばく)かの戦慄を覚えたのだ。だが、彼にとってそれはむしろ望むところだった。それを望んで、明日香を揺さぶったのだ。


「よろしい。これぞ我が本懐。楽しませてくれるがよい、アスカ」


 腰を落とし、未知の攻勢に備えるメスト。静かに巨大化したスルトリアを片手平突きにに構える明日香。


「いざ! メスト!」


「おうよ! アスカ!」


 疾走する明日香。瞬息刹那に闇の切っ先がメストの偃月刀を襲う。


「何っ! 馬鹿な!」


 受け止めたのは一瞬。スルトリアの持つ凄まじい闇の圧力が突き刺さり、メストの偃月刀を真っ二つに破壊したかと思うと、瞬時にそれを闇に帰した。


 メストは衝撃を食らって吹き飛ばされながら、すんでの所で武器を放り出し、巻き込まれるのを避けていた。だが、自身の獲物を破壊された事に少なからず動揺した。


「馬鹿な! 馬鹿な! 私はスルトリアの特性に合わせて武器を調整している! 競り負けるなど!」


「これは、あなたの知るスルトリアではありません。深月や藍那さえ知らない、私だけが知っているスルトリアなのです。もう一撃、行きますか?」


 明日香は再び構える。彼女の意思に呼応するかのように巨大化したスルトリアはざわめく。闇の飛沫がほとばしり、触れる物を闇に返していく。風に飛ばされたそれは小さく威力こそ少ないが、地面や建物、所有者の明日香の服や肌にすらダメージを与えていく。闇が触れた肌には小さなやけどのような跡が出来る。


二人の距離はわずか一〇メートルほど。もう一度食らえば丸腰のメストに勝算はない。


「よかろう。降伏しよう。今までと違い、完全なる降伏だ。私は初めて真摯に負けを認めよう。ただし、この街を覆う慟哭を消し去ることが出来れば、だ。貴公のそのスルトリアですら、『慟哭の道標』を闇に返すことは出来まい。あれが健在なうちは、まだ私に分がある。もう邪魔は入らん。ゆっくりと対策を練るんだな」


 メストは跳躍した。このまま退かせてはと、明日香もそれを追う。スルトリアの運用ももう限界に近づいていた。ここで決着をつけなければ、次の機会にはまた初手からになる。


「逃がしません! 覚悟!」


 ブースターと翼によって空中での体制をコントロールしながら、メストに向かって切りかかる。だが、空中という不安定な体制の中で、それは必中の一撃にはならなかった。


「ふはははは! また会おう、アスカよ! そして私を楽しませてくれ!」


 スルトリアの斬撃が届く半瞬前に、メストは空間を飛んだ。虚しく空を切ったスルトリアは、闇の飛沫を飛び散らせただけだった。


「くっ……」


 着地した明日香が手にするスルトリアの闇の刃が消える。束を分離し、それぞれの収納場所へと仕舞い込む。


「また逃がしましたか……」


 肩で息をしつつ、空を支配する『慟哭の道標』を見上げる。


「あとは、あれを潰すのみ!」

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