第23話
「おもに順調である、と報告しておこうか。あの下衆な男はいい仕事をしている」
ちゃぶ台の上の端末に向かって話しかけているのは、その場にいること自体が不似合いな金髪長身のゾイノイド、メスト・リンガイン。
『今回のミッションは何かと小細工が多いようだな。貴官の進言に従って策定したものだが、本当にこれがミッションの面白さの拡大につながるというのか?』
「つながるとも。まあ、見ておくがいい。どのような帰結を生むか、楽しみにしておけ」
『ふん、相変わらずの自信家だな。まあよい、本国としては地球の移譲計画など些末事の一つだ。せいぜい楽しむがいい』
通信が切れた。メストは笑いを含んだため息を一つついた。
「のんきな物よ。些末事の一つか。ああ、そうだろう。だからこそ、私の楽しみが進行していくのだ。貴様らの楽しみなどどうでもよい。せいぜい、無関心でいてもらいたいものだ」
端末をたたみ、メストは冷蔵庫に歩み寄る。扉を開けると、いくつかの目覚まし時計のようなものが入っている。
それを手に取り、一つずつちゃぶ台に並べていく。
「さて、仕上げに入るか。まずは『
メストが慈しむように時計もどきの頭をなでると、ひとしきり身震いした後、グネグネと曲がった針が、歪に捻じ曲げられた数字が刻まれている文字盤を背景に、歪んだ時を刻み始めた。
それは、暗い暗い時を刻む音だった。
「資料検討の続きをしたいけど、明日香、休まなくて大丈夫かい?」
明日香は若干顔色が悪いが、怪我もないのでそのまま参加している。
「大丈夫です。それよりも、先ほどの件ですが、少し奇妙なことを感じました」
「奇妙なことって?」
「あのフィーフィールトの性根の酷さはともかく、私を助けてくれたのはメストなのです」
『へ?』
三人が呆けたような声を出す。彼らが駆け付けた時には、既にメストはいなかった。あまりに予想外の話だ。
「皆さんが来る前に、私はもっと危険な状態でした。メストが来なかったらどうなっていたか……助けていただいたときは、メストが去った後、もう一度奴が来た時なのです」
「メストが……いったい何考えてやがんだ?」
深月は首をひねる。確かにフィーフィールトのようなタイプを好む男ではないだろうが、それでも同じ陣営に属する以上、明日香を助ける意味が解らない。
「メストは、私を戦士として遇するという意味合いで、フィーフィールトから守ったようなのですが、会話を聞いていた限り二人の間でミッションに対する意味合いが異なっているようでした。そして、どちらも慧也様の抹殺という、本来のミッション目的は眼中にないようです」
「……どういうことだろう」
「よくはわかりませんが、端的にみると、メストは私との戦いを、フィーフィールトは私たちを弄ぶことをメインとしているようです。慧也様を処理してしまうとミッションが終わります。そのため、そこはあえて放置しているとしか思えません」
慧也はもう一度、メストが大将になっていたミッションのデータを見返す。負け率が一番高いが、ミッションへの参入率も高い。
負けた時の状況はミッションの結果ではなくメストの『降伏』というケースのみだった。
「降伏は、フェデラー側にのみ認められている特権だね? メストはよく使っているようだけど」
「そう言えば……ミッションの条件クリアがまだ可能な時点でも、メストは降伏宣言をして終わらせることがありますね。その場合、大概は敵方にメスト一人が残る状況なので、状況不利と見て、という考え方もありますが、不自然ではあります。ですが、勝ちを拾えるのであれば取り立てて異議を申し立てるものでもありませんし」
「そういやあったなあ。同じような抹殺阻止ミッションでさあ、メストが大将、その他知性体ゾイノイドが一体、ってやつで、相棒が戦闘不能な負傷をした時点で、降伏したっての。あの時のもう一体の奴って、なんかやたらこっちのチームワークを乱そうとして、怪情報を乱発してたっけ」
深月は当時の状況を思い出しながら、今日までの今回のミッションを振り返る。
符合というほどではないが、少し似通った事実が浮かんだような気がした。
「なあ、もしかして」
「あいつらは、ウチらをサンプルにして、極限状態の人類の思考回路を観察してんとちゃうかな?」
「あー! あたいが思いついたこと、先に言うなあ!」
「いやいや、そこまで来たらわかるってやあ!」
きゃいきゃい言い合う二人を尻目に、慧也は沈思している。
もしそうだとすれば、今回フィーフィールトが担う役割はなんなのだろう。少女であるこちらの戦力に否応なしに不快感を与えるタイプのゾイノイド。それを投入する意味は。
慧也は明日香の表情をちらりと見る。
今朝方までとうって変わった、不安げでおどおどした表情になっている。もちろん、フィーフィールトに何をされたかはまだ聞いていないが、想像するに、やはり何かしらの辱めを受けているのではないか、と。聞くに聞けないのだ。
だが、今までの無表情で、それでいて、何かしら思いつめた表情をしていた明日香とは、まったく印象が異なっていた。声にも張りがない。メストが認める剣技の達人ではなく、ただの弱々しい保護欲をそそると言ってもいい少女に見える。
「明日香、雰囲気が変わったように感じるけど」
「そ、そうでしょうか……」
目を伏せがちに答える。
「慧也っち、野暮なことは言うもんじゃねえなあ。明日香っちは晴れて乙女から女になったんだぜえ? 雰囲気も変わるわさ」
「み、深月! 変なことを言わないでください! わ、私はまだ……」
「あ、よかった、その一線は守れたわけね。いやあ、そりゃよかった」
慌てて否定をする明日香を尻目に、深月は悪戯っぽく笑う。わざと冗談に交えて、明日香がどこまでのダメージを受けたのかを確認したのだ。
「ひ、人が悪いですよ、深月」
「今に始まったこっちゃないけどなあ、で、慧也はん、やっぱりメストと話ししたいわけ?」
深月は慧也に向き直って問う。
慧也は頷く。そこに迷いはなかった。
明日香を助けたことも含め、彼の中でこのミッションがどういった位置づけなのか、聞いてみたい衝動はさらに大きくなっていた。
「まあ、問題は、どうやってそれをメストに伝えるかやなあ。拠点の位置はわかってるけど、そのうちのどこにメストがいるかわからん。またあのえげつないのに会ったら、それはそれで、めんどくさいしなあ」
「あれは、早めに片を付けておきたいですね。今度は不覚を取りません。一気に闇に返してあげます」
明日香は唇をかみしめるように呟いた。その表情は今までの明日香からは見ることのできないものだ。屈辱の表情がにじみ出ている。
慧也をはじめとした三人は、明日香の微妙な変化に気づいている。きっと明日香も気づいているだろうが、ここはあまりそれについて触れすぎてはいけないような気もした。
気が付くと、外はもう日暮れに近かった。夏の日の日暮れは遅い。時計を見ると午後七時を回っていた。
「あ。ご飯作らんなな。休憩中に買いものしてきたから、食材はたっぷりあるで」
「それはいいんだけど、あれは何だ? 気になってたんだけど?」
慧也は、臨時の会議室になっているこの部屋に鎮座している、真新しい冷蔵庫を指差した。そして簡易キッチンも立派なキッチンに変貌している。明日香救出から帰ってきたら、模様替えされていたのだ。
その問いに、藍那は得意げに答える。
「今朝、料理作った時に思うたんや。やっぱりキッチンは大きい方が使いやすいなあって。それに、食材買ってきても冷蔵庫がないと傷んでまうからな。サムダの設備部に頼んどいたんや。たまたまうちらのおらん時に運び入れがあった、ってだけやな」
「よ、予算はどこから!」
「へ? ミッション経費やん。この施設もかなり修理せなあかんし、ついでやついで。うちらその辺結構権限あるんやで? ほな、ご飯作るわ」
藍那はいそいそと支度を始める。
とりあえず会議は中断。慧也はメストに渡りを着ける方法がない物かと思案しながら、テレビをつける。
丁度ニュースの時間だった。
『本日午後、――市立中学校に不審者が侵入、教室でマシンガンのようなものを撃ち壁などを破壊して逃走しています。幸い怪我人はありませんでしたが――』
今日の出来事だった。なるほど、改変されていることを慧也は目の当たりにする。明日香をはじめ、サムダやフェデラーについてはなかった事になって全く触れられない。
「ありゃ、あたいが撃ったのが不審者が撃ったことになってやんの」
深月は頭をかきながらバツの悪そうな表情をしていた。
明日香もニュースを凝視している。思い出したくもない記憶がまた一つ増えただけに過ぎないが、今日の心の動揺は激しかった。ニュースを見ているだけでもまたぞろ不快感が這い上がってきそうになる。
改造を受けてから四年間、押し殺してきた感情が出口を求めて自分の体内を這い回っているような感覚が抜けない。
自分ではどうにもならないこの感覚に、明日香は朦朧としためまいを感じていた。
「……か! 明日香!」
遠くの方から自分の名を呼ぶ声に、はっと我に返る。
「あ、あ? 慧也様、私……すみません、ぼうっとして……」
「よかった……意識がないかと思ったよ。顔が真っ青だけど、大丈夫かい?」
「は、はい、大丈夫です。すみません、少し顔を洗ってまいります」
明日香は席を立ち、洗面所へと向かっていった。今日のダメージが大きいことは明らかだ。
「ほ、ほんとに大丈夫かな……ずいぶん疲れてるようだけど」
「慧也っちがベッドで慰めてあげたらいいと思うよー。早く寝ちまいなー。不寝番はやっといたげるからさ」
「深月はどうしてそっちに話がいくだよ!」
若干非難めいた眼差しを受けつつも、深月は全く気にせずにパタパタと手を振る。
「いーじゃん、若いんだから。男も女も若いうちはヤリたいざかり~って。ほらさ、戦場の男は子孫を残す本能が働いて、無性に女を抱きたくなるって話、知らん?」
「いや、まあ、聞いたことはあるけど」
「多分さ、女もおんなじなんだよね~。あたいら常に危険と隣り合わせだし。けっこうそこに通じるもんがあると思うんだなあ」
そんなものかな。そうかもしれない。と、慧也はぼんやりと考えた。死地に挑む前に自分の分身を、あるいは形見を、かもしれないし、残された者への生きる意味を、なのかもしれない。三大欲求とはよく言ったもので、これは性欲ではなく生命をつなぐ欲求なのだろう。
下ネタ、というと聞こえが悪くなるが、生命への欲求、といえばなんとなく肯定してしまいそうだ。深月にはそれなりのポリシーがあるらしかった。
そんな時に玄関のチャイムが鳴った。
ここから正面玄関まではかなりある。慧也はインターホンを取ろうと立ち上がった。
「あ、私が取りますよ」
洗面から帰ってきた明日香が、ちょうどインターホンの前を通りかかり、送話器を取る。
「はい、どちらさまでしょうか? あ、はい、はい、承知しました。少しお待ちくださいませ」
明日香は丁寧に対応すると、玄関へ向かおうとした。
「だれだい?」
「宅配さんのようです。受け取ってきますね」
笑顔とはいかなくても、今までに比べれば明るい口調で答え、明日香はパタパタと廊下を小走りに走っていく。
皆を心配させまいとしての振る舞いのようだった。だが、そもそも明日香がそのような振る舞いを見せることはなかったのだ。
いい兆候なのかな、と慧也は思いたかった。半面、急な心境の変化は戦闘や精神のバランスに影響を及ぼさないのか、という点も気になる。
「深月、明日香の様子、よく見といてくれ。ちょっと、変化が急すぎるように思う」
「ん、わかった。注意はしとくよ。あの娘、真面目で純情だからね。だからこそ、今までいろんなもんを封じ込んでたんだと思うよ。あたいもいろいろ世話焼いてきたんだけど、どうやら、慧也っちとのこの二日間が一番効いたみたいだなあ。妬けちゃうねえ」
「い、いや、僕は何もしてないけど。どっちかというと、あのフィーフィールトってゾイノイドのせいじゃないのかい?」
「さーあねー」
深月はそっぽを向いて拗ねたふりをする。その様子を目の端で伺いながら、藍那はふと不安を感じた。
「ねえ、明日香ちゃん遅くない?」
フライパン片手に、藍那がその不安を口にした。玄関までそこそこ距離があるとはいっても、小走りで往復ならもう帰ってきてもいい。いや、普通に歩いても十分往復可能な時間が経っている。
『まさか!』
慧也と深月は色めきだって立ち上がる。藍那もフライパンをコンロの上に放り置く。念のため深月はグレネード・マシンガンを手にし、三人の先頭に立って玄関への通路を急いだ。一〇メートルほどの直進通路から、角を二つほど曲がれば程なく玄関だ。玄関付近はまだ照明が復旧していない。外の夕焼けに赤く染まる光が、玄関ホールを不気味に彩色している。
そして、その赤一色の世界の中、明日香はうずくまっていた。
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