第28話 故郷への帰還

 オルヴァンから、「パンデリオと中央諸国が徴兵を始めた」という報告が入ったのとほぼ同時に、パンデリオ王国から宣戦布告の書状が届いた。


 ほぼこちらの予想通り、「これまではお互いに相互不可侵を貫いてきたが、魔王が聖女を操り世界征服を企むのならこちらにも考えが云々」などと書かれていたわ。魔王暗殺作戦を実行しておいて相互不可侵なんて笑っちゃうけれど、世界征服を企んでいるのは本当のことだから、何も言えないわね。


 そして、マヴィアナ国の対応はもう決まっているわ。



「兵士たちは国境近くに。俺たちが戻ってくるまで、あるいは敵軍が国境を越えて来るまでは、戦闘行為を禁じる」



 侵略戦争はしない。国の防衛に徹する。そのために、囚人たちも含めた近隣の国民は避難させてある。


 そして何より、まず戦争そのものを食い止める。それがリダールの出した結論。



「いまならまだ、兵力を集めている段階だ。実質的な開戦はもっと遅い。この間に、旗頭となっている勇者ルシオンとそれを操るラートルを無力化する」



 戦争する理由が無くなれば、少なくとも中央諸国は出兵を渋るはずよ。


 そのためには、聖女である私が出ないといけない。私が魔王城に引きこもっていたら、洗脳されているという思い込みに拍車がかかるもの。


 リダールは最後まで反対していたけれど。だけどそれ以外に方法がないことは、皆が分かっている。



「セレア。俺が必ず守るからな」


「ええ、信じてるわ、リダール」



 行くのはリダールと私、それからカリオとクシェの四人。ほかの魔族は同行しない方がいいと、オルヴァンはお留守番。それから、戦争が避けられなかった場合に軍を指揮するのもオルヴァンの役目になったわ。


 戦争が始まってしまえば、もう止められない。だから、戦いが始まる前に止めるの。


 それが叶わなかったときは……。私も、魔族と一緒に滅びることになるわ。


 リダールと一緒なら、それでも構わない、なんて、彼には言えないけれどね。



「準備はいいか?」



 いつもの黒いマントを羽織ったリダールが、ぐるりと面々を見渡す。私はリダールが作ってくれた魔貴石のペンダントをぎゅっと握り締めた。カリオとクシェも、愛用の剣と杖をしっかりと持って頷く。


 微かに目元を綻ばせて、リダールはパチン、と指を鳴らした。


 その瞬間、世界が裏返るように、周囲の景色が変わる。溶け合った様々な色が、ざあっと後ろへ流れていき、ふっ、と瞬きをするとそこはパンデリオの王城だったわ。


 よくよく見知った城前の広場。ぎっしりと詰め込まれるように兵士たちが並んでいて、設けられた演壇に立つルシオンを見上げていた。今まさに口を開こうとしていたルシオンは、間抜けな顔でポカンとしているわ。広場のあちこちに、声を増幅する魔道具が置かれているのが見える。ルシオンはこの場所で、いったい何を話そうとしていたのやら。


 演壇のすぐ下に控えていたラートルや将軍、隊長格の兵士たちが、驚き、目を見開く。そんな彼らに向かって、私はゆったりと笑みを浮かべた。



「ただいま、戻ったわ」



 この国の聖女ではなく、一人の魔族として。






 私は軽やかに壇上へ上がった。こうして向き合うと、ルシオンの変化がよく分かるわ。体内で魔力が渦を巻いている。彼は間違いなく、魔族化しているわ。


 下で何事か喚こうとしたラートルを、カリオとクシェが抑えている。ほかの人たちはどうしたらいいか分からないみたいで、カリオたちを止めようとはしない。戸惑う彼らをいいことに、ルシオンににっこりと笑いかけた。


 それだけでほわほわと嬉しそうにするルシオンに、告げる。



「あなたを止めに来たわ、ルシオン」


「止める?」



 何を言われているのか分からなかったのか、ほわほわのまま首を傾げるルシオン。私たちの会話が、魔道具を通して広場に、王都に響き渡る。



「無意味な争いを生み出そうとする、あなたを」



 目を丸くしたルシオンは、すぐに痛ましそうな顔で私を見返してきた。



「セレステア、やっぱり君は操られてるんだよ。今僕が、助けてあげるから」



 ざわつく兵士たちの視線を浴びて、まっすぐルシオンを見据える。


 堂々とするのよ。魔王に洗脳された聖女という、ルシオンの仕込んだ状況をひっくり返すんだから。



「勇者ルシオン。大切な話をする前に、まず、あなたに謝罪しなければならないわ」


「謝罪?」


「ええ。世間知らずのあなたに、身の丈に合わない夢を見せて振り回した、その謝罪を」



 本当はお父様が謝るべきなのでしょうけれど、あの人は絶対にそんなことをしない。そして私も、ルシオンを少なからず利用したわ。


 僅かに顔を歪めたルシオンに、私は深く、頭を下げた。



「お父様に、私とあなたを結婚させるつもりなんて無かったわ。それどころか、討伐作戦の実行後、勇者に選ばれた人が生きているとも、思っていなかった。魔王と戦って勇者が死ねばそれでよし、もし帰ってきたとしても、何か理由を付けて殺されていたでしょう。……たった一人の王女を、平民と結婚させるはず、ないもの」



 まったく、酷い話よね。お父様が求めていたのは、魔王を倒す英雄などではなく、聖女の盾になる人間だったのよ。カリオや騎士たちを選抜に出さなかった理由の一つには、これもあると思っているわ。だって下手に生き残ってしまえば、身分や立場がある彼ら相手に、約束を果たさない訳にはいかなくなるもの。


 勇者が私の盾になって死ねば、結婚の約束は無意味になる。万が一生き残ったとして、戦いの怪我が元で死んでしまったとかなんとか言って、こっそり殺すつもりだった。我が父ながら、なんて残酷なことを考えるのかしら。


 絶句するルシオンに、生暖かい視線がたくさん向けられる。この城で働き、お父様の人となりを知っている者たちは、うすうす察していたわ。お父様は私にも本心を口にしなかったけれど、何を考えているかなんて丸わかりだった。


 浅はかで馬鹿々々しい、けれどルシオンにしてみれば冗談では済まされない企み。自分勝手なお父様の被害者という意味では、私とルシオンは仲間ね。



「叶いもしない夢を見せて、あなたをここまで振り回した。お父様の考えを察していながら、私もあなたの勘違いを否定しなかったわ。私の目的を果たすために。だから、ごめんなさい。心から謝罪します。ルシオン、あなたの人生を、私たちがめちゃくちゃにしたのよ」



 選抜試合になど出ずに、ずっと村で暮らしていれば。ルシオンにはそれなりに幸せな未来が待っていたのでしょう。もしかすると、クシェには災難な未来かもしれないけれど。


 それを奪ったのは、私たちよ。お父様の馬鹿な計画に、私も乗っかったわ。



「な……ん、それは、どういう……」



 理解できない、というより、理解したくない、という顔をしているルシオン。私はゆっくりと、言葉を紡いだ。



「あなたは、英雄になれないのよ。ルシオン」



 勇者として祭り上げられて、叶わない希望に振り回され、挙句に死を望まれた若者。哀れだと思うわ。お父様も私も自分勝手ね。


 でも、ルシオンはただ可哀想なだけの人じゃないわ。クシェに対する仕打ちを忘れたとは言わせない。魔族を皆殺しにするのだと、息巻いていた姿を見ているのよ。


 ルシオン。あなたは人の上に立てる器じゃない。



「私が、聖女に相応しくないように。あなたはあの村から出てはいけなかったの」



 ルシオンはすべての表情を失くした。


 耳に痛いほどの沈黙が、広場を包む。あんなにたくさんの兵士がいるのに、武具の微かな金属音さえ聞こえないわ。


 息を呑んで皆が見守る中、ルシオンはぼそりと呟く。



「僕は……、魔王を倒して、英雄に……。そして、セレステアと」



 消えかけている幻想にしがみつく姿こそ、いっそ哀れだわ。



「あなたが魔王を……、リダールを倒したとして、私はリダールと一緒に行くだけよ。私は聖女なんかじゃなくて、この国の王女という立場も捨てて、魔族として生きることを選んだのだから」


「ちがう……、違う、違う違う、違うッ! なんで二人揃って同じことを言うんだ! 僕は勇者なんだっ!」



 ルシオンは激しく頭を振り、足を踏み鳴らす。子供が癇癪を起しているみたい。だけどそんな可愛いものじゃない。


 扱い方を知らない魔力が、歪な形で膨れ上がる。ぐずる赤ん坊と同じ、魔力の暴走よ。



「セレステアは、僕の物だ! 僕の物なんだ……!」



 咄嗟に魔法で障壁を張ろうとして、後ろから抱きしめられた。



「リダール!」



 私を庇うように半身を翻し、リダールはさっと手を払った。半透明に輝く壁が、私だけでなく兵士たちをも守るように出現する。


 直後、暴走した魔力が吹き荒れる暴風となって、リダールの障壁に衝突した。障壁は一瞬だけたわみ、魔力をルシオン本人へと跳ね返す。



「ぅぐ、あぁっ!」



 演壇の上からルシオンが吹き飛ばされて、地面に転がった。



「ありがとう、リダール」


「怪我はないか、セレア?」


「ええ。リダールが守ってくれたもの」



 体を強化しているルシオンは、すぐに飛び起きてこちらを睨みつけてくる。腰に提げていた真新しい剣を抜き放ち、私の隣に立つリダールに突き付けた。



「セレステアから離れろ、魔王!」


「お前はそればかりだな」


「うるさいうるさいうるさい!! セレステアが僕に酷いことを言うのは、全部お前が操っているからだろう!」



 どこまでも自分中心でしか考えられないのかしら。あまりにも幼稚な言葉に、思わず笑ってしまったわ。



「言ったでしょう、ルシオン。私はあなたを利用したことは申し訳なく思うけれど、感情は別よ。私は、あなたが大嫌いなの。リダールを選び、ルシオンを選ばないのは、私自身の意思よ」


「そんな訳がない、セレステアは僕のことが好きなんだ!」



 ルシオンがそう叫んだ瞬間に、リダールがものすごい形相になったわ。



「セレアは俺のものだ。そして、俺はセレアのものだ! 誰が何と言おうと、これだけは譲らない! 俺がセレアを幸せにするんだ、そのために魔王になったのだから!」



 ああ、こんな場面なのに、嬉しくって仕方ないわ。リダールが私を愛してくれている、それが分かるから。思わず微笑んだら、それがルシオンの癇に障ったみたい。



「なぜ、なぜそんな顔をする……! セレステアは僕だけを見て、僕にだけ笑っていればいいんだ!」



 下段に剣を構え、こちらが壇上にいることも構わず突っ込んできたルシオン。リダールは障壁を作り出そうとして――、ふと顔を強張らせた。



「セレア、下がれ!」



 横合いで魔力が爆発する。カリオたちに抑えられていたはずのラートルが、いつの間にか立ち上がってこちらに手を向けていた。



「グラエス・フルク!」



 氷の奔流が押し寄せてきた。うねる氷の流れを足場にして、ルシオンが高く飛び上がる。リダールが空中から取り出した光の剣と、ルシオンの剣が交差した。



「カリオ様!」



 クシェの叫び声に視線を下ろすと、ラートルの作り出した氷にカリオが閉じ込められつつある。



「く……っ」


「カリオ!」



 リダールがルシオンを再び跳ね返すのと同時に、私がラートルの魔法から魔力を奪い、氷を消失させる。解放されたカリオにクシェが駆け寄ったのを確認して、改めてルシオンとラートルに向き直った。



「僕の邪魔をするな!」


「はあ。邪魔ではなく援護ですよ、ルシオン様」


「全部僕が倒すんだ! あの魔王も、鬱陶しいカリオも、面倒なクシェも! お前は手を出すな!」



 本当に救いようがない。できることなら話し合いを、と思ったけれど、ルシオンがこれでは不可能だわ。



「……カリオ、クシェ。ラートルの相手は任せるぞ」


「はっ。もう二度と遅れは取りません!」


「もちろんですよ! こいつへの恨みも忘れてないんだから!」



 壇上へ上がってくるルシオンから目を逸らさず、リダールは二人に指示を出した。カリオとクシェは意気揚々とラートルの前に立つ。


 そして私たちも、ルシオンの殺意に塗れた視線を受け止めた。



「お前だけは絶対に殺す……! 魔王!」



 自分の妄想に憑りつかれ、ここまで狂ってしまったルシオン。それを増長させたのは私たちなのだから、ちゃんと止めないといけないわ。


 まるで飢えた獣のようにぎらついた顔をするルシオンを前に、リダールは私を背後に庇う。



「そこで見ていてくれ、セレア。何も心配することはない」



 喉が裂けんばかりのルシオンの咆哮が、開戦の合図だった。

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