第23話 目覚めて

 なんだか久しぶりに、ゆっくり眠った気がするわ。長い夢を見ていたようだけれど、砂糖が紅茶に溶けるように消えていってしまう。


 瞼を持ち上げると、リダールの顔がすぐ近くにあったわ。悪戯がバレた子供のように笑うリダールに体を寄せて、頬にちゅっと唇を押し当てる。


 リダールはいつものように、溺れそうなほどの愛を込めた目で私を見下ろした。



「おはよう、セレア。随分とお寝坊さんだな」


「私、そんなに寝てたの?」


「丸一日だ。喉が渇いただろう? 茶でも用意させるか? 最初は水の方がいいか」



 ベッドサイドの水差しを示すリダールに促されるまま、ベッドの上で身を起こす。渡されたグラスを、礼を言って受け取った。


 私がゆっくりと水を飲む間に、リダールは私の髪を梳いて遊んでいたわ。なんだか随分と楽しそうね?


 視界の端でちらちらと踊る銀髪を見ていると、ふっと同じ色の持ち主が思い浮かんだわ。



「そういえば、カリオとクシェはどうなったの?」


「セレアが苛めるなと言うから、客人として丁重にもてなしている。さすがに監視は付けているが、反発する様子はないな」



 言われてみれば、夢現にリダールを止めた記憶があるわね。彼が遠慮なく殺気をまき散らすものだから、流石に目が覚めちゃったのよ。


 それから……、聞かなくても何となく分かるけれど、あの人についても。



「……ルシオンは?」



 その途端にリダールは顔をしかめた。嫌われたものね。私も嫌いだから庇ったりはしないけれど。



「牢に入れてある。何をしでかすか分からないから、全部終わるまでは拘束する予定だ」



 それには賛成よ。本当に、この短い旅の間だけでもどれだけやらかしたことか。思わず額を押さえると、リダールが労わるように抱き寄せてくれた。頬をすり寄せて応える。駄目ね、反動で甘えたになってる気がするわ。


 グラスをベッドサイドに置いて、「ああそうだ」とリダールが何かを手渡してくれた。



「セレアの魔貴石だ。魔力抑制のための杖部分は外してある」



 黒く輝く大きな魔石。私が育ててきた魔貴石。私の魔力だけじゃなくて、今まで奪ってきた魔力も込めた特別製よ。パンデリオの魔術師たちには、魔術を使用するための媒体として誤魔化していた。でも国を出た今、杖に偽装する必要もないわね。


 ああそれに、体内の魔力もずっと隠していたけれど、それもしなくて済むわ。これで随分と楽になる。


 両手で受け取った魔貴石を少し眺めて、リダールを見上げた。



「リダールは、自分の魔貴石をペンダントにしてたわよね」


「ああ、これだな」



 リダールは黒いシャツの下から、金色の鎖を引っ張り出した。銀色の魔貴石がペンダントトップに嵌め込まれている。私の魔貴石よりも少し小さいわ。


 目の前で揺れるリダールのペンダントを眺める。



「お揃いにしたいわ」



 その途端、リダールがとろけるような満面の笑みをみせた。



「なら後で作ろう! 用意させておく」



 ひょいと、リダールの膝の上に抱き上げられてしまったわ。でも嬉しいから、そのまま体を預けた。


 そこで、控えめなノックの音がしたわ。ちょっと面白くなさそうな顔をしたリダールが、入れ、と許可を出す。


 静かに入ってきたのは、メイド服を着た女性だったわ。いつの間に指示を出していたのか、美味しそうな匂いのスープを乗せたカートを押している。そしてその後ろから入ってきたのは。



「おば様!」



 ノルデオの街で別れたおば様が、陽気に手を振っていたわ。



「セレちゃん、起きたのね! ほらリダール、独り占めしてないで出ていきなさい! セレちゃんの身支度するから!」


「ここ、俺の部屋なんだが……」


「セレちゃんのお部屋がまだできてないんだから仕方ないでしょ! というかあんた、寝起きの女の子にべったりくっつくんじゃないの!」



 あれよあれよという間に、リダールが部屋の外に追い出されてしまった。最強の魔王様も、母親には勝てないのね……。


 「話し合いしないといけないから手短にしてくれよ母さん!!」ってドアの向こうで叫んでいる息子に構わず、おば様はにっこりと微笑んだ。



「さあセレちゃん、可愛くしましょうね! 元からとびきりの美人さんだけど!」


「おば様、すごく張り切ってるわね?」


「もちろん! やっとセレちゃんが娘になるんだからね!」



 思わず顔が熱くなっちゃったわ。ほかの人に言われると、恥ずかしいわね。



「さあ、まずはご飯ね。お腹に優しいものを用意したわ」


「……ありがとう、おば様」



 頬を押さえて笑うと、おば様もにっこりと笑い返してくれた。






 おば様が用意してくれたのは、不思議なきらめきを放つ青いドレスだったわ。きらきらと輝く布地は、魔法で丁寧に織り上げられているらしい。最上級の品質だと聞いて少し申し訳なくなったけれど、リダールが嬉々としてお金を出したと聞いて苦笑に変わったわ。


 食事と身支度を終えたところで、リダールが迎えに来た。金色の糸で刺繍を施された黒いマントを羽織っている。魔王をしてるリダールも素敵だわ。



「カリオとクシェが会いたがっている。お前の味方になると宣言しているが、どうする、会うか?」



 差し出された手を取って、私はリダールを見上げた。



「会うわ。二人と話がしたいもの」


「なら、こちらだ」



 リダールに案内されたのは、一つ下の階にある応接間だったわ。踏み出した足が沈みそうなほど柔らかいカーペットと、座り心地の良さそうな革のソファー。壁際にはメイドが待機していて、手厚くもてなされていることが分かる。ソファーに座るカリオとクシェは、ものすごく居心地が悪そうだけれど。



「姫様!」



 部屋に入った途端、クシェが飛び上がって走ってきたわ。そのままの勢いで抱きつかれて、思わず笑みが零れる。



「あらあら。クシェ、どうしたの?」


「あんなに寝てたんだから、心配して当たり前です!」



 ふふ、初めて会った時とすごい違いね。だけどクシェと仲良くなれて嬉しいわ。



「姫様、ご無事で何よりです」



 気が付けば、カリオが近くで跪いていた。相変わらず固い態度だけれど、今はそれも気にならないわ。



「カリオ、こっちについて良かったの?」


「はい。私は姫様に生涯仕えると決めています」



 そう断言するカリオの顔は、むしろ旅立ち前よりもすっきりしている。だから私も、小さく微笑んで頷いた。



「姫様、お伝えしたいことがございます」


「何かしら?」



 一瞬だけ何かを言い淀んだカリオは、すぐにふわりと笑った。



「姫様と魔王陛下を、心から祝福いたします。魔王陛下の隣で笑う姿は、私が今まで見たどの笑顔よりも美しい。姫様の騎士として、従兄として、あなたの幸せを願って、いえ、確信しております」



 初めて見る、カリオの儚げな笑みだったわ。なのにすごく幸せそうだから、私は何も言えなくなった。


 だって私の知っているカリオは、嫌になるくらいに生真面目な男だから。最近では小言とお世辞、社交辞令しか聞いてない。それが、こんな風に個人的な心情を口にするなんて。



「……ありがとう、カリオ」



 ちゃんと分かっていたのよ。カリオは固すぎて融通が利かないけれど、私のためにそうしていたんだってことくらい。


 だからこうやって解放されたことが、自分でも驚くくらいに嬉しかった。鬱陶しいと思っていたはずなのに、私も心に余裕ができたからかしら。


 これまでの感謝と、ほんのちょっとの悪戯心も込めて、私はカリオに顔を近づけて囁いた。



「そういえば聞きたかったのだけれど、クシェのことはいつから?」


「えっ、な、はい!?」



 一気に首まで赤くして後ろに飛び退き、私とクシェを交互に、それも高速で見るカリオがおかしすぎて、声を上げて笑っちゃったわ。こんな可愛らしい一面があったなんて、今まで損していたかもしれないわね。



「カリオ様?」



 クシェが不思議そうに名前を呼ぶものだから、カリオったらとうとう言葉を失くしちゃった。この調子じゃ、口説き落とすのはまだ無理そうね。



「セレア、遊ぶのはそのくらいにしてやれ」



 一転して苦笑いしていたリダールが、やんわりと止めに入ってきた。そして、真っ赤になっておろおろしているカリオを呼ぶ。



「カリオ・トゥーリア。貴公の大切な姫君、必ず幸せにすると誓おう」



 改まった挨拶にカリオは目を丸くして、でもすぐに笑み崩れた。



「ええ、知っています」



 実は仲良くやれるか心配だった二人だけれど、これなら大丈夫そうね。胸を撫で下ろしたのも束の間、そこに宣戦布告を叩きつける者がいた。



「あたしだって!」



 きっと眦を吊り上げたクシェが、カリオに指を突き付けた。



「カリオ様には負けません! 立派に姫様に仕えて見せるんだから!」



 ごめんなさい、カリオ。ちょっと笑いが止まらないわ。情けない顔に「そんな」って書いてあるわよ。


 リダールと一緒に遠慮なく笑っていると、くるっとこっちを向いたクシェが再び抱きついてきた。耳元で小さな声。



「ねえ姫様、カリオ様って、ルシオンと違っていい人だね」



 無言のままクシェの背中をぽんぽんと撫でると、小さく鼻を鳴らしてから離れていく。もうクシェは明るい笑顔を浮かべていて、カリオに向かって胸を張っていた。



「ほら、あたしの方が姫様と仲良くできます!」


「……仕える、というのは、仲良くするということではないが?」


「それくらい知ってますー! ほんとにカリオ様は頭が固いんだから!」



 いつもの言い合いだけれど、旅の最初みたいなギスギスした空気はないわ。


 今この部屋には、魔族と人間がいる。でも互いを憎み合ったりしてはいない。ルシオンを改心させることはできなかったけれど、それでも和平は不可能ではないはずよ。


 その希望を見せてくれた二人のためにも、頑張りましょう。



「話がまとまったのなら、次は作戦会議だ」



 リダールの言葉に、私は高い位置にある綺麗な顔を見上げた。悪だくみをしている顔。いつ見てもよく似合っているわ。



「セレアを幸せにするための、平和な世界征服をしようか」

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